がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
機動戦士クロスボーンガンダム 鋼鉄の7人 3巻
 年末新刊ラッシュ第1弾。もう完結なんですね。元々話の舞台設定に時間制限を設けたのは、何ヶ月で連載を終えるとあらかじめスケジュールを決められていたからなのかな?なんか終わりになればなるほど切羽詰ってる感が凄い伝わってくるし(笑)、作者コメントを見てもそんな感じがします。人気があれば長々と~というジャンプ的手法を使うつもりは初めからなかったんでしょうね。

 というわけで、拍手で買わないんですか?というコメントを頂きましたが、ちゃんと買ってますよ~(笑)

 今作はこの一言に全て集約されていると言えそうです。

「あなたに手渡されていたものを、今こそ全て受け継ぎます!キンケドゥさん!」

 クロボンの外伝にもこの「鋼鉄の7人」にもキンケドゥが登場しないのは、キンケドゥ=シーブックは富野監督のキャラだから、という作者のコメントがありました。つまり、この台詞は長谷川氏自身の、富野監督に対しての言葉と取れます。
 この「鋼鉄の7人」は、外伝ではなく、クロスボーンガンダムの正統な続編となる作品です。しかし、この作品に富野監督は関わっていません。そこに長谷川氏としては苦渋の気持ちがあったんじゃないかと思います。作者自身にとっても、クロスボーンガンダムは富野監督と共に作ったものであり、自分だけの作品ではない。しかし、今度はその続編を自分一人で作らなければならなくなったわけですからね。
 こういう台詞もありました。

「彼女がテテニスになるというなら、俺はあなたになってやればいい…」

 トビアがキンケドゥになる、ということは、つまり長谷川氏が富野監督になるということ。長谷川氏としては、そういう気持ちで作品を作ったんだろうと思います。(だから皆殺しか!・笑)

「ぼくはただベルナデットが幸せに過ごせればいいと、それだけを考えていたのに…その彼女が望むものが、僕のいられない世界にあるのだとしたら…」

 ここからは深読みですが、ここでいうベルナデットは「ガンダムという作品」にあたるんじゃないかと思います。クロスボーンを描き終えてからの長谷川氏は、ガンダムを純粋に娯楽作品として描いていたように感じます。スカルハートの作風なんか、そんな感じですよね。あくまで外伝であって、しかも公式設定にはならない内容ばかりでした。しかし、クロスボーンの正統な続編を作れと言われてしまった。これが「ベルナデットがテテニスになる」ということなんじゃないかと思います。いや、セシリー=ベラが富野監督にとってのガンダムだったかは知らんけど(笑)

 「鋼鉄の7人」は、2巻までを見ても、これまでの長谷川作品と違い、どちらかというと暗めなテイストだったように感じます。エウロペとカリストの関係にしても、いきなり全滅するレコードブレイカーにしても、どこか今までの「活劇」的な内容ではないように感じました。これが、「長谷川氏が富野監督になる」ということだったんじゃないかなと思います。

 ただ…やっぱりそれは長谷川氏のテイストとは違っていたんだろうな、と思います。今までの「熱くも計算された描写」に比べると、今回は純粋に「物語を終わらせる」ためだけに作品を描いていたように感じました。メインキャラのほとんどを殺し、クロスボーンガンダムを破壊し、トビア自身も全く別の姿になってしまった…というのは、完全に続編を作る余地を無くしていると言えます。「こいつが最後の"クロスボーン・ガンダム"だ!」ですからね。
 Zガンダムも、ガンダムZZも、Vガンダムも、またエンドレスワルツ、SEEDデスティニーもそうであったように、クロスボーンガンダムもまた、自分で広げた風呂敷を自分で閉じる内容になったのかな、と思いました。
 いつもの長谷川氏なら、もっと痒いところまで手が届く内容になっているんですが、今回は、例えばエウロペとカリストの心が繋がっているという設定も最後のところで機能しなかったし、影のカリストに比べて光のカリストの威厳が足りていなかったし、ギリの特攻なんかも、うーん。最後の一撃は長谷川氏らしかったのですが、光のカリストの描写が微妙だったので、クライマックス的な盛り上がりには欠けたのかな、と感じました。やっぱり長谷川氏は「陽」の人で、「陰」の作品は難しいのかな、と感じました。それでも、決着をつけなければいけなかった…という、大人の事情が垣間見える作品だったと思います。作品に登場する相当前から商品化されていたフルクロスとかね。

 ただ、普通の漫画なら一番の死にキャラである老人キャラを死なせなかった、というのはいいな、と思います。あとドレックとかね。お前シーブックと同レベルに達したのかよ!みたいな。あ、そういえばクロスボーンガンダムにもバイオコンピュータが搭載されていたことが明確になりましたね。

 あとは個人的に思うこととして、ギリがビギナ・ギナIIに乗るっていうのはどうなのかなと。「うほっ、そんなマイナーメカを!」と言いたいところですが、最近のガンダムエースの漫画は、なんか変なところでマイナーメカを使ってくる気がするんです。クライマックスUCのプロトジャベリンとか、CDAの三連星ザクとか、メカとキャラクターの関係を完全に放棄してるよね、と思うんですよ。マイナーメカを出すのは結構ですが、ただ出せばいいわけじゃないでしょ、と言いたいです。例えばジャベリンというメカは、ザコの中のザコとしてデザインされたわけです。それに主役を乗せるってどうなの?とか。オリジンでアムロがジムに乗ったり、なんか違うんじゃないの?と思うことが多いんですよね。そう言うのが多いんで、これはたぶん作者じゃなくて編集者の意向なんじゃないかな、と思ったんです。
 今回で言えば、F90Iタイプはいいんですよ、運用目的が一致してますから(これ、F90IIに見えるけど頭部がIだから違うんですよね)。でもビギナギナIIは…まぁ、赤いしギリに合わないわけじゃないですが、わざわざスネークハンド付けてるあたり、長谷川氏的には必ずしもビギナギナIIでなくても良かったんじゃないだろうなぁ、と思います。スネークハンドをつけないとギリっぽさが出なかった、というわけですからね。
 もう少しね、メカを適材適所に配置して欲しいな、と思います。ボトムズみたいな世界観とは違って、それなりにメカがキャラの象徴になってる作品なんですから。SEEDのアスラン機とかはやりすぎですけど(設定上何のつながりもないのにみんな似たような頭部デザインってのはねぇ)。

 あとは…「盲目のニュータイプ」ってありそうでないキャラですよね。これは使えるな、とか思っちゃったり。

 何にせよ、長谷川氏には「お疲れ様でした」という言葉しか出ないですね。マイナー作品の筆頭だったクロスボーンガンダムが、いつのまにかメジャーになり、そして商品として消費されてしまった…色々苦しい面もあったんじゃないかと思います。ガンダムで名をあげた作家の宿命なんでしょうかね。
 ガンダムエース編集部には、設定オタを釣るよりも作品で訴える(Gジェネに参戦しても恥ずかしくない)方向で作品を展開していって欲しいと思います。

※追記:長谷川氏のブログによると、ビギナギナIIが登場したのはサンライズ側からの打診だそうです。元凶はダムAじゃなくてサンライズの関係者?
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コメント
コメント
>作者じゃなくて編集者の意向なんじゃないかな

半分当たりで半分ハズレです。詳しくは色々あって自粛(w
2007/12/29 (土) 22:49:45 | URL | とっぱ #B8xSsyyA[ 編集 ]
あぁ…事実を知っていらっしゃるわけですね。
なんにせよ、個人的にはあまり好ましくないっす。
2007/12/30 (日) 00:11:13 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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