がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
人類全てがニュータイプになったらどうなるか・その2
 前回は、人類全てがニュータイプになったら言語文化が衰退し、結果人類は滅びるのではないかということがテーマでした。
 今回は、ニュータイプの意志伝達能力はどれほど発展するか?という話をしたいと思います。
 要するに、ニュータイプの伝達能力が言語にとってかわるほど大きなものであれば、人類は滅びずに済むかもしれない、という話です。
 しかし、常識から考えるとそれはないように思えます。というのも、ヒトとそれ以外の動物を区別しているのはまさに言語であり、それを失って思念の電波で会話するニュータイプは動物に戻っているだけなのではないかと言えるからです。以前も述べましたが、イルカに近い生物になるのでは?ということです。イルカは音波で会話を行いますが、ニュータイプはサイコウェーブで会話をするというだけの違いです。
 ただし、劇中の演出を現実であると判断するならば、サイコウェーブの情報量はイルカなどの動物のものをはるかに上回っているように思えます。その極みがアムロがア・バオア・クーで仲間たちに脱出経路を指示するシーンで、あれだけ詳細に周囲の状況を把握した上で的確な指示を伝えているあたり、かなり正確な情報伝達を可能としていたと言えます。アムロとララァが共感したときも、かなりくどい言いまわしをしていましたし(笑)。
 実際、通常の電波でもかなりの情報を送信することが可能です。一番身近なのは電話でしょう。あれは話したことがそのまま電波を介して遠くの人間に伝わります。ニュータイプが電話機を介さなくても電話できる存在だと考えれば、その情報伝達能力は生の会話と同等レベルだと考えられます。少なくともサイコミュを介すれば、それくらいの会話は可能なのかもしれません。
 というわけで、少なくとも話し言葉は絶滅しないだろうという推測が可能となります。が、書き言葉はやはり滅んでいくと思われます。そして、もしニュータイプの伝達能力が電話と同等レベルであるとするならば、思念の記録媒体があったとしても、それはカセットレコーダーと同レベルにしかなりません。それでは記録媒体としてはあまりに不十分です。
 もちろん、ニュータイプとは「1を聞いて10を知る」ような洞察力があるのであり、記録されている情報を一瞬で読み取る能力があるという考え方も出来ます。しかし一瞬でわかるということはそれだけ抽象的な理解に留まるわけで、そうであるならばそれはやはり動物レベルの直感でしかないと言えます。そうではなく通常の会話レベルの内容を一瞬でわかるというならば、それは脳がパソコン以上の処理能力を持っているということになり、ただ脳細胞が異常に発達しただけの人類であるに過ぎないということになります。が、劇中のニュータイプはそんな超人ではありません(しかし、コーディネーターはそれに近い処理能力を持っているようですね)。
 結局のところ、ニュータイプというのは動物的な(ヒトが言語を習得するにつれて失った)感性とヒトの言語の両方を備えた存在だということが出来ます。が、生物というのはより使用頻度が高い能力に特化して進化していくものですから、やはり次第に言語は失われていくのではないかと思うのです。しかし人間にはそれを予測して乗り越える叡智があります。もしそれが自然の摂理に勝ったとすれば、例えば論理的思考を訓練するなどして意識的に言語を忘れないように鍛錬することによって、言語を失わずに存続できるかもしれません。しかし、人間の運動能力が低下する一方、スポーツの記録は塗り替えられているという現実から考えると、そうやって言語を扱える人間は限られたプロの人間だけになるのかもしれませんね。

 案外、黒歴史の記録が一部の人間で集中管理されていたのも、そう言った事情があったのかも知れません。
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コメント
コメント
うーむ。。。
最後の2行が面白いですね。
かつてワープロを使うようになって以来、漢字が読めるけど書けない症状が年々悪化しておりました。最近、ニンテンドーDSの脳年齢試験のやつで、漢字の書き取りが出るので、「ぬぉぉぉぉ」とアツくなっております。(笑)
これも鍛錬か・・・。
2006/06/08 (木) 18:13:32 | URL | 囚人022 #TJwDdEqg[ 編集 ]
実際ムーンレィスは身分が二極化していたみたいですしね。
まぁ実際、宇宙世紀の識字率がどのくらいあるかってかなり怪しいものがあるんですよねぇ…。

DSの流行り方は凄いですよね。任天堂は偉大です。
2006/06/08 (木) 20:33:30 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
「人類全てがニュータイプになったら言語文化が衰退するか?」という点については個人的には「しない」と考えています。理由はプライバシー。

NT同士の戦いの描写を見るにNT間の意思疎通(?)は「相手の意思に関わらず」という印象を受けます。これは非常に問題だと思いません?

全人類がNTになったら言語以前に社会が崩壊するのではないでしょうか?なので「NT防護フィルター」なるものが全力で開発されて、言語は相変わらす残る・・・ってのはどうすかね(^^;)>。
2006/06/09 (金) 00:17:32 | URL | だっちん #TojGNFVY[ 編集 ]
勝手に頭の中に話しかけられたら確かにウザイか
NTの思念での問いかけに対して
無視を決め込む事って出来るんでしょうかね?
上コメントで「だっちん」さんが書いてらっしゃる
「NT防護フィルター」の能力版みたいな感じで
エヴァでいう ATフィールドみたいな感じの
それが無いと廻りが全部NTだとひたすら鬱陶しい事になりますね
精神に異常をきたしそうです。

あと思うのは、対話面では思念通話的な事は発達するでしょうが…
文字媒体は残ると思いますよ
思念というのはやはり感覚に大きく左右されるファジーなものだから
正確な数値や決まり事を共通の事項として記録するためにも
文字が必要なんじゃないかなと思います。

此処的な題材で言うと
NT思念=MSグラフィック
文字媒体=MS解説文
みたいな感じかなぁ
2006/06/09 (金) 02:37:48 | URL | スウ #-[ 編集 ]
一応前回のコメント欄で似たようなことを話してるので
ご参照願いたいです。

>だっちんさん
ニュータイプが感応する条件って「発信者が強力な意志を発していること」くらいしかなくないですか?
ララァとアムロ、カミーユとハマーンのような共感の例はありますが、あれは相性の問題かなと思いますし。
思念の発信者が必要以上に念波を飛ばさないシステムないし能力は必要かもしれませんね。

>スウさん
記録に文字は必要となるんですが、日常生活に必要のない能力は衰退してしまうと思うので、
結局限られた人だけが使えるものになるんじゃいかと思うんです。

ある程度はサイコミュデータベース(頭にケーブル繋ぐだけで内容が頭に入りこんじゃう、みたいな装置)のような記録媒体で補えそうですし。

この辺の文字をほとんど必要としなくなった世界ってゼノサーガである程度実現されてるんですが、
ゼノサーガは二次SFみたいなものなんで、別に元ネタがあるんだろうなぁ。
2006/06/09 (金) 20:34:06 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
瞬間で知覚できるものと時間をおいて考えないとわからないもの、という差がどこまで解消できるのか、ということを考えました。

ルロイさんのおっしゃるNT同士の意思疎通というのは全員がある程度“均質”であることが前提になるように思います。

ものすごく卑近な例で行けば、私たちが知り合った場所の方々、及び私たちが良く行動を共にするメンバー間でも、さて全員がNTになったところでどうなるか、という問題です。

NTというのはダイヤルアップ回線がBB回線とか光回線になるようなもので、ハードディスク容量の底上げやCPUの強化を必ずしも併発するものではない、のではないでしょうか。(誘発までは大いにあると思われる)

してみるとNT化というのは言語の変化のようなもので、記録媒体はまた別に残るように思います。直感的には古代ローマ帝国から中世ヨーロッパにおけるラテン語とかギリシャ語のようなものなのかな。会話言語に当たるものがNT意思疎通で、一定以上の知識階級のみがアクセスする情報媒体として保存されたNTの思念情報(表意文字になるのかな)、庶民レベルが使うものとして情報量の少ない従来の文字(表音文字)という分化・・でしょうか。

長くなりました。結局総NT化というのは情報伝達の手段が取って代わるのではなく、オプションが増える効果をもたらすように思います。いかが?
2006/06/10 (土) 22:06:59 | URL | ナタル #-[ 編集 ]
最初はオプションに過ぎないと思うんですが、
何世代も重ねていくうちに徐々に退化していくんじゃないかなって思うんです。
生まれた時からNTだったらやっぱりその感応力に頼っちゃうんじゃないかなぁと。
小さい頃からテレビばっかり見てる子は本を読まない子になるのと同じようなもので。
2006/06/11 (日) 12:09:17 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
NT論については、私はパスです。(あまりに意見が違いすぎて議論にならないので)
気になったところを一箇所だけ…

>小さい頃からテレビばっかり見てる子は本を読まない子になるのと同じようなもので。

2000年ごろの統計だと「TVを長時間見る子=本をよく読み、勉強も比較的できる子が多い」だそうです。
ちなみにTVゲームを良くやるというのもその特徴に入ります。

まぁ、『インドア系の方が本をよく読む』のは当然ということでしょうね。
2006/06/11 (日) 22:38:22 | URL | くっきーもんすたー #-[ 編集 ]
くっきーもんすたーさんがNTについてどう考えているかというのは少し興味深いですね。
議論は別として、異なる価値観はできるだけ知りたいと言う気持ちはあります。

>2000年ごろの統計だと「TVを長時間見る子=本をよく読み、勉強も比較的できる子が多い」だそうです。

そうなんですか?それは凄く意外です。
小学校や中学校の頃先生にテレビばかり見ていないで本を読めとよく言われていましたし、テレビと読書は相反関係があるものとすっかり思い込まされていました。
自分の周りでも、テレビを見る子は流行を追いかけるような明るいタイプで、本を読んだりTVゲームをやるような子はあまりテレビを見ていませんでした。
一応、実体験を伴った根拠があるからそう言ったんですけどね~。実際、テレビを見るのと本を読むのでは頭の使い方が全く違いますから、絶対相反するものと思っていたんですが…。かなりカルチャーショックです。

インドア系=本を読む=勉強ができると言う図式は分かるんですが、そこにテレビが繋がるのが全く理解できません。
2006/06/12 (月) 20:05:42 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>インドア系=本を読む=勉強ができると言う図式は分かるんですが、そこにテレビが繋がるのが全く理解できません。

極端な例を挙げましょう。
・運動部で全国大会を目指し、朝練→夜遅くまで部活という人は、成績が中くらいで本を読む時間もTVを見る時間もあまりありません。
・夜遅くまで、ずっと友達と「たむろ」している人は、やっぱり本をあまり読みません。

つまり「家にいる時間が少ない=必然的にTVや読書の時間が削られる」という単純な理屈です。


ただ、元の統計を見てみると「1日に6時間以上TVを見ている人は本を読む時間が少なくなって」います。
確かに…1日6時間は見すぎですねw
それでは他に何もする時間が残らないでしょうね…
2006/06/12 (月) 21:38:20 | URL | くっきーもんすたー #-[ 編集 ]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006/06/12 (月) 21:52:07 | | #[ 編集 ]
全く異論はないのですが、
自分としては「読書好き」と「テレビ好き」はインドア派として一緒くたにできないだろうということを言いたかったので、
ちょっと論点がずれているかなと思います。

>「1日に6時間以上TVを見ている人は本を読む時間が少なくなって」います。

こっちの方が自分が言いたかったことに近いです。
2006/06/13 (火) 21:10:11 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>元の統計を見てみると「1日に6時間以上TVを見ている人は本を読む時間が少なくなって」います。
この結果は実際には、全体の数%程度の数字です。
ですので、統計結果全体としては大きな影響を与えているわけではないですね。


>こっちの方が自分が言いたかったことに近いです。
>一応、実体験を伴った根拠があるからそう言ったんですけどね~。
『数%』といいますが、40人のクラスの中だと、1~2人くらいはいる可能性は非常に高いです。
実体験ではその人たちの『印象』が強かったのではないでしょうか。
統計して押しなべてしまうと、「印象として強く残っている」ものと違う結果が出ることが往々にしてあるのが、データ解析の面白いところです。


>小学校や中学校の頃先生にテレビばかり見ていないで本を読めとよく言われていましたし、テレビと読書は相反関係があるものとすっかり思い込まされていました。

私の見たデータからの結論をいえば、
・TVを見ている時間と本を読む時間の対しての因果関係は認められるほどの特徴はない。
・本を全く読まない人に比べて、(月に3冊程度)本を読む人のほうがTVを見ている時間も長い(2時間程度の場合が多い)。
・TVを見る時間が極端に多い人は、本を読む時間が少ない場合がある。(ただし、そういう人自体が少数)

これから考えると…
・家にいる時間が長い人はTVや本をよく楽しむ。
・どれに時間をかけるかは、その人の趣味や興味による。(同じ人でも読みたい本がないときはTVを見るという場合も往々にしてありますし、面白いTVがないから本でも読むかという気分になるときもあります。)

…ということじゃないんでしょうか。
まぁ、至極当たり前の結果ですけどね。
2006/06/14 (水) 09:19:21 | URL | くっきーもんすたー #tBF1tvso[ 編集 ]
んー、そのデータの結果に全くピンと来ないのはなんでだろうと思ったんですが、
要するに自分の言いたいことをデータで裏付けるなら「3歳の子のテレビを見る時間と本を読む時間と20歳になったその子供のテレビを見る時間と本を読む時間の統計の推移」のような、二点間以上のデータの推移を見ないとダメなんですよ。あくまで将来予測ですから。

>小さい頃からテレビばっかり見てる子は本を読まない子になるのと同じようなもので

というのは、幼少時の体験が成長してからどうなるかという話ですので。
2006/06/14 (水) 21:25:50 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
初めまして。
人類全てがニュータイプになったら、多分言語機能は衰えるんでしょうね。喋らなくてもいい訳だし。
しかしガンダムの劇中では、どうも異常事態でテンションの高い時に、主にNT能力が発揮されていたと思いますから、実際に日常ではどれ位能力が使われていたのでしょう。(ビンタを避ける位かな?なんとなくNTって、武道の達人が普段は普通の人と同じ生活を送っているというイメージ)

あと文字については、記憶が全て共有化され、尚且つ蓄積されるのなら(最終的にイデみたいになるのかなぁ)、文字も不用になるのかもしれませんが、案外機密保持や記録の保存には、文字の方が適当であり、人類が文明を捨てない限り無くならないんじゃないかな。

それにしても「ロシア語で考えろ」ではないですが、世界共通語のようなものがなければ、NT能力だけでは高度な内容の会話は無理でしょうね。(どうもガンダムワールドでは世界共通語が使用されていたようですが)
2006/06/23 (金) 12:41:11 | URL | わんこ #-[ 編集 ]
初めまして、でしたっけ(^^;
もしかしてSDのイラストが得意なわんこさんとは別の方でしょうか?

NT能力の日常性は、人類全体がなるくらいだからもう日常化しているだろうという前提でいます。
NT能力はNT同士が出会ったときに拡大するイメージがあるので、周囲がみんなNTだったら感じまくりなんじゃないかなぁと。だからフィルターが必要になるのでは?という意見も出てくるわけで。

当初の理論は
言語が衰退する→文字も衰退する→記録に残せなくなる→人類滅亡
という筋書きだったんですが、
仰る通り文字がなくなること自体がどうなのかという話になるので、昔のように(途上国では今も、ですが)識字能力を持つのは一部の人間のみという形になるのかなぁと思ったりします。

NTは「誤解することなく分かり合える存在」なので、言語体系の違いは超えられるんじゃないかなぁと思っています。この辺は次回で語る予定ですが。
NTって言語じゃなくて脳神経の信号で意志を疎通させてるような気がするんですよね。
2006/06/23 (金) 20:52:58 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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