がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
クライマックスUC、そしてゼータから一日過ぎて
 シナリオ主人公は一通りクリアしました。デンドロはサーベルのチャージで簡単にカタがついてしまった(汗)どうなってるのか良く分からんけどガーベラ2発で倒せたよ。
 で、ファイナルステージって何の意味があるのか良く分からないなぁ。最後にクロスボーンでも出てくるのかと思ったけど何もなかったし。各ステージに入るセルの絵がすっごくダサいし、思ったほどよいゲームではないのかもしれないなこれ。クロスボーンのシナリオはあるの?他のシナリオを全てクリアしなきゃダメってやつかな?ビギナ・ギナでラフレシア倒すのすっげぇ辛かったんだけど。ビーム兵器しか持ってないしフィールドも貫けないってば。ヴェスバーって偉大なんだな。
 それから育成モードに突入。最初の主人公は固定だったんですね。しかも結婚相手も自由に選べるってか。戦記みたいに好感度システムがあるわけではなかったようで、実にプラス要素が少ない。ゲルググマリーネとかリックドムIIはないのがちょっと切なかった。んー、いまいち捻りのないゲームだな。

 んで新訳Zの話。自分は一作目からわざときつめの感想にしてるつもりです。だって、富野作品だからって言う理由で無条件でマンセーしてる人多すぎるんだもん。そういうのっておかしいじゃん。元々の富野作品を知ってる人ならともかく、それを知らないで、ネット上の富野マンセー意見を読んでなんとなく無意識のうちに「富野ガンダム>>>(超えられない壁)>>>他のガンダム」っていう意識を植え付けられてる種世代の若者も多いように見えるんですよ。そうじゃないだろと。こういうことを言ってる人もいるんだな~ってのは感じてほしいし、だからと言ってつまらないから見るなとは言わない(TV版のゼータが好きな人にはとても受け入れがたい作品だとは思いますが)。ゼータを知らない人は先に劇場版を見ておいたほうがいいと思うしね。TV版のゼータを受け入れられなかった人も見ておいたほうがいいだろうし。
 ただ、この映画で富野監督がガンダムがいかに各世代に拡散しているかに気づいて、今度ガンダムをやるなら5億はかける必要があると認識してくれたのは非常に良かったと思ってる。でも今の富野監督の作品の作り方で完全新作のガンダムを商業的に成功させるのはかなり難しいと思う。ちゃんと若いスタッフがいろいろ意見しないとね。それが出来ないなら、ガンダムなんてやらないで自分のやりたい作品を好きなだけ作ればいいと思う。その方が絶対いいものができるから。
 とにかく新訳Zトータルの感想は一つ。そうやって「なぜ」という部分を排除するから、「言われた事しか出来ない子供」増えたんだろうがッ!大人は子供に「なぜ」かということをちゃんと教える義務がある、それを放棄して何が「子供に見せて恥ずかしくないガンダム」と言える!…それだけです。
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コメント
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富野マンセー論者に聞こえるかもしれませんが、
「ガンダムなんてやらないで」・・・それはそうなんだろうけど、ガンダムをバンダイがやり続ける以上、富野さんが「作っちゃいけない理由」というものもないのではないでしょうか。
あるいは富野さんが作ったことで今までのガンダムの何かが壊れたのでしょうか。もしそうなら、そいつは大したもんだと私なんかは思います。
「なぜ」とは説明が不足ということですか?「言われた事しか出来ない子供」というのは逆の意味?「ちゃんと教える義務がある」というのはやはり説明しろということ?(・・・今回はルロイさんには珍しく、お話の仕方に富野節が入ってませんか?)
先日トラバさせていただいた中でも書きましたが、私もラストでの「突っ放され」感はショックだったんですよ。ただのマンセーというよりは「・・・やられた・・・。」という印象も強くあります。
未見の人はTV版ではなく劇場版から見ろ、というあたり、やはりルロイさんはさすがルロイさんだと思います。私も感想はまとまりきっていないので、もう少しゆっくり考えたいと思います。(意外とショックのほうも大きいので、少しクールダウンしてからもう一度観ようと思っています。)
2006/03/06 (月) 14:00:44 | URL | 囚人022 #TJwDdEqg[ 編集 ]
あー、えっと、まず言い訳をすると、これまでの感想は全て自分の主観であり生の感情です。品性を求めるのが絶望なくらいに気持ちの赴くままに言葉を発しました。ゼータに一番求めていたものがなくて肩透かしを食らったもので、もうヤケですね。メールシュトローム作戦が始まるまでの感想がいまいちで、もうあとはラスト2話のテンションがどれだけ維持されるかしか期待できないな~と思ったら見事に維持されてなかったのが切なかったです。

というわけで、単に個人的に富野監督にはガンダムを作って欲しくないなという意見を言っているだけです。そこに合理的な理由はあんまりないです。ただ、TV版で生きていたキャラが死んでいたのが凄く切なかっただけです。特にティターンズ側。

>「なぜ」とは説明が不足ということですか?「言われた事しか出来ない子供」というのは逆の意味?「ちゃんと教える義務がある」というのはやはり説明しろということ?

これは本気で書くと大変な分量になってしまうんですが、「言われた事しか出来ない子供」が何故生まれるかというと、それは結果だけを求められてそれを何のために行っているのかということを教えられずに育っているからなんです。特に母親は「なぜ」を教えるのが苦手ですね。ダメなものはダメなの!ってよく言ってる。新訳Zもそういう「なぜ」がなかった。福井氏が第一部のときに指摘していましたが、カミーユのバックグラウンドの説明がゼロ。そもそも旧訳のカミーユと全く同じ環境に育っているのに何故ああも健やかなのか?ということ。
ファーストの作品論で指摘した「こういうキャラクターならこういう行動をするよなと理解できること」が新訳Zにはほとんどなかったというのが全てです。レコアのように意識的に描いていたキャラ以外は完全に置き去りにされていた。ジェリドは新訳においては一部で死んでいいキャラだった。ヤザンは種の三馬鹿と同レベルだった。ハマーンは結局何をしたかったのか分からなかった。カミーユとファの絆がラストシーンに繋がるほど深まるような描写はなかった。サラとカミーユの関係は結局TV版と変わらなかった。エマとレコアが刺し違える意味がなかった。これは、他の良かった点でカバーできる物ではないと思います。

とは言え、色々と見出せる意義も多いですし、いつものノリの文章はもう少ししたら、ちゃんとコラムという形にしたいと思っています。あの最後のZガンダムの変形には計り知れない意味がある。タイトルは…そうですね、「刻の涙は拭われた」ってところでしょうか。
2006/03/06 (月) 20:39:38 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
あ、一番言うべきことが抜けてましたね。

理屈だけで考えるのは良くないことです。往々にして、理屈を信奉する人間ほどすぐ感情的になりますしね。でも、理屈と理由は違います。理屈は何にでもつくからなくてもいいけど、理由は子供だましでもいいからなきゃいけない。理由がなきゃ納得できないし、納得できないと身につきませんから。身につかないということは、伝えられないということです。新訳Zは視聴者に伝える努力を放棄しているように見えました。それはニュータイプ的な感性ではなく老人の怠惰だと、感じてしまいました。新訳Zは三部作通して、そこだけが欠点だと思います。
2006/03/06 (月) 21:12:35 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
意見は食い違いながら、ルロイさんと話すのが一番楽しいなと思ってたりするんですが(笑)
「理屈だけで考えるのはよくない」これには大賛成。
「結果だけを・・・」こういうのがシロッコ的な人の動かし方ですよね。『新訳』のカミーユは、与えられた状況を全部大人のせいにして爆発せずに、自分の感性で(頭で、ではないと思う)理由を考えていた気がします。レコアさんに寄りかかっていた『星を継ぐ者』の冒頭でのカミーユは、テレビ版より少し辛抱強くものを考える子だっただけだったと思います。三部作を通じて彼は真摯に感じ、考えて、成長したんじゃなかったかなと思います。
2006/03/07 (火) 09:16:31 | URL | 囚人022 #TJwDdEqg[ 編集 ]
正直自分も楽しいんです(笑)

新訳はカミーユ個人よりも周囲の人間の影響が大きいのかもしれませんね。クワトロもレコアもエマもみんな穏やかでしたし、アーガマ内の雰囲気がよさげですしね。でもみんな結末は同じだったという(苦笑)
みんなTV版とは微妙に違うキャラなのにカミーユしか結末が変わらないというも解せない点の一つです。多分物語を結末から作っていったんだろうなぁ。だから一部が一番TV版と違って見えるという。三部のラストは初めからああするつもりだったみたいですからね。
2006/03/07 (火) 20:31:30 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
一人一人ね、「この人はこうだから、こうしかならない」みたいな部分はたぶん、テレビ版以上にシビアなのだと思うのですよ。その中でカミーユは、今回は成長をみせたから潰れなかった。ストーリーの肌合い的には言われるとおり、第一部こそ一番テレビ版との差が大きい気がします。でもカミーユを見れば、テレビ版以下の子どもから始まった第一部から、最後にはクワトロ兄貴より物事が見渡せるヤローに成長しやがりやってコイツめ!って感じです。ホントは他のキャラクターも成長させてやっても良かったのかもしれないけど、何よりもそれだとカミーユの成長がボケるから・・・じゃないのかな?
2006/03/08 (水) 14:56:39 | URL | 囚人022 #TJwDdEqg[ 編集 ]
確かにTV版では「この人がそうなるか?」と感じられたところを補強した感じはありますね。レコアとかサラはそんな感じですが…あっちを立てればこっちが立たずってとこですかね。
劇場版はカミーユの物語だといつか監督が言っていましたが、実際のところカミーユがジュドーになる物語でしたね、これは。
2006/03/08 (水) 19:57:34 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
ジェリドとかクワトロ(特にクワトロ)は、ヘタレっぷり(もしくは成長のなさ加減)が激しく強調されて、かなり分かりやすいのですが、「シャア=かっこいい」という先入観でみてしまうと、「そんなはずはない」フィルターに阻まれるきらいはありますね。
ジュドーって、どんなやつだったでしたっけとか言ったら叱られそうですが・・・(笑)
ΖΖだって、ヤケだけで作ったわけではないでしょうから、Ζに足りないと思ったものが入っていたのでしょう。両極端に行き過ぎた作品を、「足して2で割った」というのは暴論というか嘘ですが(笑)、そんなふうにΖΖの要素も生きているんだと思うのは、悪いことではないように思います。
2006/03/08 (水) 20:33:53 | URL | 囚人022 #TJwDdEqg[ 編集 ]
んー、クワトロはTV版からしてヘタレなんで何の違和感もないですけどね。ジェリドは今回ヘタレだと言えるほどの出番がありませんでしたが。カミーユの眼中に入ってなかったもんなぁ。

ジュドーの名を出したのはキャラクター的な話ではなくて、カミーユは壊れたけどジュドーは壊れなかった、という対比で言われることが多かったので、じゃあ新訳カミーユはジュドーだねというだけの話です。だから、ZZがいらなくなるのも当然だよね、と。
2006/03/08 (水) 21:01:04 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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