FC2ブログ
がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話「マスコミは何故被害者の個人情報を知りたがるのか」
 あんまり毎月ガンダム以外の話はしていないんですが、今回はちょっと思うところがあったので更新してみます。

 京都アニメーションの放火事件は大変痛ましいものでしたが、そこでもう一つ話題になったのが、被害者の氏名を公開するかどうかという問題です。構図としては、遺族も会社も公開を求めず、警察もその意向を尊重していたにも関わらず、マスコミ側の強い要請によって結局公開されるに至ったという形で、望んでいるのはマスコミだけなのに公開されるという現実が明るみになりました。
 それにしても、マスコミは何故そうまでして被害者の個人情報を求めるのでしょうか。やや執拗過ぎるような気がします。自分も多くはありませんが仕事でマスコミ対応をしたことがあるので、そのわずかな知識から推測してみたいと思います。


 鍵は、被害者の個人情報を使ってマスコミは何をするのか、ということです。これは、東日本大震災以降、大きな災害や事故の被害者にクローズアップした記事は決して珍しくないため、容易に想像できるかと思うのですが、いわゆる「お涙ちょうだい記事」を書くわけです。こういう記事は、テレビでもよく扱われますが、やはり注目度が高いのだと思います。かといって、そういつでも気軽に書ける記事でもなく、それなりのバックグラウンドがなければ「泣ける」記事にはなりませんので、大災害・大事故クラスでなければなりません。
 つまりマスコミにとって大事件や大事故は格好のネタなのです。ゲームにおける超稀少素材を狩るがごとく、常に記事のネタを求めているマスコミにとって、これらの事件事故は突発レイドボス登場としか認識されないわけです。そこに、被害者がいかに悲しんでいるか、などという慈悲はありません。飯の種ですから、容赦なく狩りに行きます。なのに、「ボスを倒しても素材は手に入りません」と運営に言われたらどうなるか。プレイヤーは非難轟々でしょう。そのプレーヤーが、個人情報を求めるマスコミそのものです。そしてプレーヤーの声に負けた運営側が、警察です。

 スキャンダルを起こした芸能人や政治家にプライベート無視で突撃するのも、海外で活躍するスポーツ選手に周りからどう見られようとも大量について回るのも、構図としては同じで、マスコミは常にネタに飢えていて、より鮮度の高い、レア度の高い情報を求めています。少しでも他人より良い素材を手に入れて上に上がりたい廃課金ランカーと同じような存在と言っていいかもしれません。そこに「見た目重視の装備」とか「キャラへの愛着」などはありません。ただ記事が書ければそれで良いのです。
 マスコミを理解する上で必要なのは、彼らは人を人と思っていないということです。人だと思って行動しているという前提だと酷いことをしているように見えますが、彼らは一種の効率厨でしかないのです。

 何故そうなるのかというところまで考えると、記者が取材してもそれを採用されるとは限らないからです。紙面や枠は常に限られていて、より面白そうなネタが選ばれます。採用されないと記者は取材した時間が完全に無駄になってしまいますし、立場によっては収入にも直結するのでしょう。そんな無慈悲な競争社会だからこそ、現場のマスコミは他人の都合もお構い無しに自分の都合だけで行動するしかないのかな、と思います。
 現時点では、このマスコミの体質を改めるのは難しいかなと思います。それは実際に注目度の高いネタが売れてしまうからです。視聴率や雑誌の売り上げなどの数字に直結してしまうから、より面白いネタに走らざるを得ないのです。Youtuberとかも同じですね。結局サムネイルとタイトルだけで期待値を上げないと見てももらえないわけですし、実際に奇抜なことをやらないとアクセス数を稼げないというジレンマがあります。
 人間の性として下衆な部分がある限り、マスコミはネタを探し続けますので、これはある程度は仕方のない部分だと思います。

 マスコミが被害者の個人情報を欲しがるのは、お涙ちょうだい記事を書きたいからだと最初に述べました。個人情報が分かれば、その家族・知人・職場の関係者・昔の同級生・出身の学校といくらでも取材先が広がります。これが「テンプレ」です。そのテンプレに従うだけでしばらく食っていけるわけです。つまり他にネタ探しをする必要がなくなり、楽になるのです。この「楽になる」というのがポイントで、そこに被害者の個人情報の旨みがあるのだと思います。だからお涙ちょうだい記事と言えば個人情報の掘り下げなのです。
 マスコミには、短時間で膨大な情報を処理して記事にするため、様々な「テンプレ」が存在しています。テレビなら「天気予報の時は近辺の名所に行く」とか、「困ったらテレビ局の近くで食レポ」とかが分かりやすいでしょうか。プロ野球のヒーローインタビューに中身がないのもそれに近いかもしれません。新聞なんかも、イベントや記念式典の紹介記事の場合、写真と資料の事前提供があれば取材に行かず記事になることもあるようです。プロ野球のキャンプ報道なんかも一種の「テンプレ」です。その時期はスポーツ記者が一斉にキャンプ地に行き、観光産業に貢献することが一つの「風物詩」になっているため、辞めることができないのです。その結果、試合のテレビ中継よりもキャンプ報道の方が時間が多いんじゃないかという事態になってしまっていても変えられません。

 このような、古いテンプレを使い続けているが故に、かえって非効率になっている部分があるにも関わらず、習慣化してしまっていてなかなか変えられない、という事象は様々な業界で見られると思います。大企業が突然大失態を犯してしまうことがあるのは、まさにそういう古いテンプレを変えないままでいた結果の大事故であることが多いと感じます。
 もし変えるべき点があるとすれば、この「昭和の時代から習慣化しているテンプレ」の見直しなのだろうなと思います。特に、現場レベルでは作業効率を上げるために重宝されるテンプレが、より上位の判断レベルでも使われていることがある点が問題なのかなと思っています。
 本来、組織の上位階層に上がれば上がるほど、その構成員には高度な判断能力が求められます。画一的な判断では対処しきれない、相手や状況に応じて対応を変えなければならないことが多々あるからです。その意味では、年功序列精度は理に適っているはずでした。経験が多い人間の方が引き出しが多いため、より高度な判断が可能になるからです。
 しかしたまに、上位階層にいるにも関わらず特定のテンプレに固執する人間が現れます。そういう人間が高次の判断をすべき立場に就いてしまうと、組織はたちまち劣化していってしまうようです。それまでの経験の中で判断能力を磨いてきたのではなく、特定のテンプレを駆使することだけを磨いてきたようなタイプでも、同じ「経験」とみなされ昇進できてしまうのが、年功序列制度の欠点でもありました。それでも大きな権力・影響力をもった組織であれば、テンプレのごり押しで仕事を進められてしまうというのが、昭和の時代の特徴だったのかなと思います。特に、専門性の高い業界ほど、テンプレのごり押しが出来てしまう側面があり、令和の時代になっても残っているのは、そういう業界なのだろうと感じます。その代表格が、マスコミというわけです。

 つまり「大惨事が起きたら被害者の個人情報からお涙頂戴エピソードを書き連ねる」というテンプレートに固執し、それを円滑に行うためだけに無理矢理個人情報を公開させるというのは、マスコミの前時代性の象徴なのかなと思ったりしました。政治の世界でも、テンプレートに従って行動するだけの層が左右から足を引っ張って前に進めないのではないかと思うことがありますね。
 「今まで通りのやり方」で良いのか悪いのか、その都度考え直し、悪いと判断したときに適切にやり方を変えられる人間でありたい、と思わずにはいられません。もう、レールを走るだけで「あがり」にたどり着ける社会ではないのですから。
スポンサーサイト



コメント
コメント
既存のマニュアルに従って一定の仕事を効率よくこなす「テンプレ効率厨」としての日本人は優れるが、新規のマニュアルを作ったり臨機応変にマニュアルから外れた事をするのは苦手というのは、ずっと言われ続けていますね。
2019/09/07 (土) 22:05:27 | URL | #dxh2Uhv6[ 編集 ]
一兵卒は優秀だが指揮官は無能、と言われる日本人の永遠のテーマに繋がるものかもしれませんね。
2019/09/14 (土) 22:27:00 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2019 がんだまぁBlog all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.