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ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話「選挙における、色のない人々の話」
 先月参議院選挙があったので、どうしても政治的なことを考えることが多くなりました。その思考を吐き出すための文章です。

 選挙になると、どうしても「投票率が低い、上げなければ」という話と、「そうは言っても誰に投票すればいいのか分かりにくい」という話が出てきます。この現実と向き合うためにはどうすればいいか、という話です。


 この問題は、選挙に出る候補者の立場でものを考えると、より鮮明に見えてきます。候補者としては、当選するためにたくさんの票が欲しいわけですが、そのために取られる手法は、「少しでも多くの票が入るようたくさんの人に知ってもらう」ためにとりあえず駅前など人の多い場所で挨拶することと、「一度にたくさんの票をもらうために」特定の団体・集団に支持してもらうようお願いすることです。ほとんどの政治家が、この2つの行動を取っています。
 そのうち、特に重視されるのは後者の、特定集団の票、つまり組織票を得ることです。どれだけ多くの組織票を取ることが、選挙の勝敗を分けていると言っても過言ではありません。それは投票率が低いせいでもありますが、その方が効率が良いという側面もあります。スライムをたくさん倒すよりも、はぐれメタルを1体倒すことに労力をかけたほうが確実に早くレベルが上がるのと同じで、1人1人の浮動票を得るより、固定票を狙いに行った方が当選の早道であるというのは間違いありません。

 ではその「固定票」とは一体何なのか。一言で言えば、「特定の人に投票を指示されたらそれに従う層」です。その「特定の人」は人によって大きく異なります。政治家に知り合いがいればその政治家ですし、自分が所属している団体の指導者ということもあるでしょう。企業の経営者が「特定の人」になることもありますが、それは大企業から末端の社員まで届くことはなく、どちらかというと中小企業の方が多いかと思います。それも、経営者と人間的に親しい層、あるいは常日頃から接点のある幹部層くらいでしょう。この辺になると「指示されたから投票する」のではなく「付き合い上仕方ないから投票する」と言ってもいいかもしれません。
 簡単に言えば、固定票とはそういう「人のコネの連帯」であると言えます。そこには様々な「色」があります。色々な業界だったり、町会みたいな地元界隈だったり、特定政治家の派閥であったりです。言い換えれば、一つのコミュニティが固定票と言え、それぞれの「色」のコミュニティがどの候補を応援するか、いかに多くの色の支持を取り付けるかが選挙における「戦い」とさえ言えます。

 このように言うと固定票を奪い合っているのは自民党だけというイメージになりますが、実際は野党にもそのような色があります。それは、「特定の政策のみを判断基準としている人」という色です。例えば、原発とか、憲法改正とか、最近ではLGBTとかですね。このような人たちの「色」は、長年の野党の活動から作られていったと言えます。旧社会党と共産党は、長年この色の人を増やすことで存続してきたような政党です。これらの政党の支持者は、自らの広告物などによってこの特定の政策に特化した主張を広め、それらの政策に積極的ではない、あるいは逆行しているという論法で政府や与党を批判し続けてきました。その結果、これら「特定の政策」のよる是非のみで候補者を決める人種が固定票と化していったように思います。
 小沢一郎や小泉純一郎といった、本来保守オブ保守の自民党重鎮だった人が突然原発反対とか言いだしたのも、そう言えばこの「色」の人たちの票を取れてしまうからです。最近ではれいわ新撰組が票を取ったのも、(障害者という別の固定票を取ったこともありますが)旧民主党系政党からこの色の層を奪い取っただけなのかなと思っています。

 いずれにしても、これらの固定票には、「その色に染まらない人には参加権がない」というのが一つの特徴であると感じています。与党系の固定票、これをここでは「コミュニティ票」と表現してみますが、そのコミュニティに属しているからこそ応援する候補者が決まる、というものですから、当然そのコミュニティに属していなければ応援する理由がありません。そのコミュニティの外にいる人間には、候補者の魅力も人柄も伝わらず、「誰だかわからない別世界の人間」としか認知されません。
 一方の野党票、これは「特定政策票」と表現しますが、これらは原発反対とか憲法改正反対とかそういう特定に争点に対しての是非のみで候補者を判断する集団ですので、逆に言えばそれらの政策に賛成しない人間には、参加する権利がありません。建前上は世界中の人々のため、弱者のため、マイノリティのためと言っても、結局は「我々と同じ考えの持ち主のみウエルカム」という思想なので、そこに興味も関心もなければ「無理やり自分たちと同じ考えに洗脳しようとしてくる怖い人たち」でしかありません。

 つまりどちらも、自分たちから積極的に既存の色に染まろうとしなければ参加できないという状態が続いているのが、現在の選挙を取り巻く環境と言えます。そこに「色のない人間はお断り」という空気ができてしまっているのです。この排他性が投票率低下の正体だと自分は感じています。
 それでもなお、選挙に積極的な人たちは色のない人間を批判し、自分たちのように色がなければならないと考えて色のない人間を無理やり自分色の染めようとしてきます。そこに、色がないことを選ぶ自由はありません。

 かつては多くの人が何らかの地域コミュニティに属していたので、自民党を支持するコネクションがどこかに存在していました。それが自民党の強さだったのですが、地域コミュニティが弱体化して勢いは衰えました。宗教の力でコミュニティを維持している公明党がその代わりを担っています。しかし、かと言ってそういった地域コミュニティからこぼれた層を、これら政権与党以外の党が掬うには至っていません。それは、旧態依然とした野党層が排他的だからです。色のない人たちのニーズを拾うのではなく、色のない人たちに自分たちの色へ染まることだけを要求するために、支持が集まらないのです。
 こうして、どの色にも染まらない、染まれない人がずっと浮遊しているのです。

 このように書くと、人には必ず何らかの色があって、近い色の人同士が集まって組織票になるだけだと思う人もいるかもしれません。自分はそうではないと思っていて、そもそもここで言う「色」とは誰もが生まれもっている個性や性格のようなものではなく、違う色の存在を認めない、他の色よりも自分の色が優先されるべきという排他性を伴うものであると意味で使っています。多くの人にとって、そこまで強くこだわりがあるわけではないことに対し、強くこだわることを色の濃さとしています。
 例えば、ある業界が優遇され、別の業界にとって大きく不利になる政策が進められようとしているとき、前者を票田とする政治家と後者を票田とする政治家が争うことになりますが、この時この2つの業界が「色がある」状態になり、それ以外の無関係な業界全てが「色のない」状態になります。それぞれの色の業界は自らが勝つためにそれぞれ色のない人たちを自分の色に染めようとして、より多くの色に染まった方が勝つのが旧来の選挙ですが、これだとどちらかの色に染まった人だけが選挙に行くことになり、興味のない人は色に染まらず投票にも行かないわけです。投票率を上げるためには、「色がなくても投票に行って良い」という状態にすることが必要なのだ、ということを言いたいのです。

 よく投票するときは政策をよく見て、という話が意識の高い人から出ますが、これは選挙の理念から考えると正しいですが、実態からはかけ離れています。これまで述べたように、選挙は組織票の奪い合いであり、人がどの「色」に染まっているかで大半が決まります。そこに政策の影響はあまりありません。与党系候補者が掲げる政策は、特定の業界の票を取り付けるための、「私が勝ったらあなたたちの業界を優遇しますよ」という宣言ですし、野党系候補者が掲げる政策は「この政策を昔から支持する人は集まりなさい」という信者への号令です。本当に政治家自身がどうしたいか、をはっきり政策に掲げている人は多くありません。というか、実現したい理想があって政治家になっている人の方が少ないのだと思います。実際は、既存の利権や政策を維持するための人柱として持ち上げられている人の方が、ずっと多いように思えます。
 つまり政策で候補者を選ぼうと思っても、そもそもまともな政策を掲げている候補者が少ないので選びようがないのです。だから、「政策を見て候補者を選びなさい」は無意味です。山田太郎氏のような、一貫した政策を掲げて結果を出した議員は評価されるべきですが、色のついた固定票で食っている他の議員から見れば、おそらく「オタクの票を取って勝ったんだな」としか認識されていないでしょう。オタクが組織票になることを示した意義は大きいですが、それはオタクという新しい色のついた固定票が生まれただけに過ぎません。

 多くの色のない人々は、色のある世界とは縁がなく一生を終えます。ただ学業を修め、仕事をして、年老いて死んでいくだけです。この人たちの票が生かされないまま世界が回るのが、現在の日本の選挙の実情です。
 本来行われるべきは、特定の色の人のためだけに政治家をやることではなく、色のない人をいかに自分たちの色に染めるかを競うのでもなく、色のない人たちに向けた政策を掲げることなのだろう、と思います。個人的にはそれはそんなに難しくないことだと思います。誰もが人生を送る上で悩むこと、進学・就職や家庭の問題に関しての政策を掲げればいいだけだからです。それをしないのは、これら誰もが通る人生の通過点を、特殊な形でしか通ったことがない人たちが政治家に多いからです。
 おそらく、本当の民主主義は、色のない人が色のない人のために立候補して、当選するようになって初めて達成されるのだろうと思います。その時初めて投票率は改善されますし、そうならないと永遠に投票率が上がることはないだろうと思っています。特定の色に染まらない、無属性の党が生まれることに淡い期待を抱きつつ、同じく色のない自分は、少しでも色の薄い政治家に投票していきたいと思っています。
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