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がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話「日本では経営者や指導者が育たない理由」
 久々にガンダム以外の話を。社会に出るとしばしば無能な経営者や指導者に出くわしますが、じゃあ自分が彼ら以上に経営や指導ができるようになり得るか、ということも考えるような年齢になってきました。その上で思うのが、そもそも「優秀な経営者・指導者を育てる仕組み」がこの国にはないのではないか、ということです。それは研修とか講習とかそういうものではなく、なんとなく自然に生まれる流れのようなものが、根本的にこの国にはないのではないか、ということです。


 何故そう思ったかというと、まずは日本の教育のシステムにおいて、そんな人間を育てる要素はどこにもないからです。日本の学校教育は、教師の作ったルールに従う以外の選択肢が用意されていません。そして、皆さんが小学生中学生だった頃を思い出して欲しいのですが、「班長」とか「委員長」に進んでなりたがる人がどれだけいたでしょうか。むしろそれらは罰ゲームに近いものであったはずです。もちろん中には進んでなりたがる人もいましたが、それは奇特な人種の部類に入っていたはずです。そもそも、学校教育の中でそういった「長」に進んでなりたがる子を作るようなシステムはなく、先生の言うことを良く聞く「いい子」や集団にわがままを押し付けない「無難な子」が自然と推薦されるようになっていただけだったのだと思います。内申点などで優遇される仕組みはありますが、それは子供側の自発的な行動でのみ評価されるもので、自然とそういう子が多く生まれ、その椅子を奪い合うような状況にはなり得ません。
 そもそも、日本の教育は個性や自己主張を否定することから始まっています。卵と鶏のどちらが先かという話でもありますが、戦時中の教育の影響が強いようで、簡単に言えば日本の義務教育は「優秀な一兵卒」を育成するためのものでしかないと言えます。そんな教育機関で育てられたら、そりゃ優秀な一兵卒にはなり得ても優秀な指揮官にはなり得ないですよね。

 では日本の指導者はどうやって生まれていたのか。歴史的な観点で言えば、それは明白で、単純に「家柄」によって決まっていたのだと言えます。良家の長男。ただそれだけが日本の指導者に求められた条件だったのではないでしょうか。戦国時代であっても、平穏な時代であっても、天下を支配する一族の長たる条件は血筋と家柄以外の何者でもなかったはずです。言うまでもなく皇族がそうですからね。もちろん、たまにその立場の人間が超絶無能で様々な理由で別の人間が長になることもあり得ましたが、それも全て「お家騒動」の範疇内のものです。
 そして指導者教育もまた、その「家」の中で行われていたものだと言えます。良家の長男に生まれた時点で、将来は決まっていますので、生まれたときからそれを使命にして育てられるのですから、よほど不向きでなければそれなりの指導者にはなれるでしょう。周囲もサポートを義務付けられていますから、そう大きな失敗をすることもありません。
 そう、ここが日本の特徴的な部分です。「長」たる者は周囲の絶大なサポートを受けるのが当たり前なのです。何故なら「長」に求められる条件は能力ではなく家柄なので、能力は最初から期待されていないのです。
 その分、下に付く人間には高い能力が求められます。上のフォローを全てしなければなりませんからね。だから、優秀な一兵卒が必要なのです。日本の教育は、おそらく太平洋戦争よりもずっと前から、「優秀な一兵卒」を育てるためにあったのではないかと思います。

 要するに、日本ではそもそも「指導者は無能であることが前提に」社会が構築されてきたのではないか、ということが言いたいのです。最初から、指導者にはさほど期待されていないのだと。むしろ指導者の役目は象徴になることであり、飾りであれば良いのです。実務は下の人間がやるものなのです。
 例えば、自治体の首長が普段何をしているかご存知でしょうか。居住する自治体のホームページでも見れば、首長の日々の記録は公開されているはずです。それを見れば分かりますが、ほぼ毎日何らかの式典や会合に出席したり、表彰したりしているはずです。もちろん会議などもあるとは思いますが、その最大の役割は「首長として顔を出すこと」でしかないはずです。これは総理大臣であってもそうで、それ故に総理大臣の政策や実行能力にケチを付けるのは割と的外れだったりします。総理が言うことのほとんどは、別の誰かが考えたことなのですから。もっとも、ケチをつけている人たちもそれを分かってやっているのだとは思いますが。

 で、昔からそうだったのなら何故昨今やたらと経営者や指導者が失敗したせいで大企業が危機に瀕したりするかというと、それはおそらく問題が生じているのは「長」ではなくその下の組織だからなのだと思うのです。仕事をしていてても、他の組織・企業の話を聞いても思うのですが、ダメなところは「組織」がダメなんですよね。そのリーダー個人とか、構成員一人ひとりに問題があるのではなく、チームになっていないと言ってもいいでしょうか。簡単に言えば「連携」が不十分なために問題が起きていることがほとんどです。ちゃんと伝えていない情報を「多分分かってくれているだろう」と決め付けて失敗したり、良く分からない指示を確認せず分かったふりをして適当に処理することで失敗したりと、そういうミスが致命的な失敗に繋がりやすいイメージがあります。そういった組織の連携不足の問題の元を辿っていけば、最終的には一番上にたどり着くので、指導者が悪い、ということに当然なります。
 それは本当に指導者の指導力不足によるケースもあると思いますが、そうでない要因の方が多いのではないでしょうか。大きいのはやはり「人脈重視の採用」から「スペック重視の採用」に変わったことではないかと考えています。かつて採用とはコネそのものでしかありませんでした。同じ大学の繋がりや、知人友人の紹介、地場産業なら地縁など、何らかのコネがあって初めて採用に繋がっていたと言えます。これがインターネットによるエントリーと履歴書と面接だけで見ず知らずの若者を採用するようになったことで、組織のコミュニケーションの取り方が変容していったように思います。何らかの「知り合い」であることで結びついていた組織が、「他人同士」の関係になったことで、今まで何もしなくても繋がっていた部分を繋げられなくなってきているんじゃないかと思います。
 で、それを今後しっかり「繋いで」いくために必要なのはなにかというと、結局はリーダーシップとかコミュニケーション能力とか、そういう「良くある」新卒採用の条件に挙げられる要素だったりするわけです。ただ、最初に述べたように、それを育てる教育はこの国には存在しないわけで、それが今日本が抱えている病巣かなと考えています。

 東京オリンピックのゴタゴタなどは典型的な例の一つと言え、オリンピックに立候補したいという一部のトップダウンに対し、昔なら周囲の人間が全力でフォローして何としても成功させようとしたはずなのですが、それが広く浸透しておらず、多くの人間が適当に仕事をした結果、スタジアムにしろロゴマークにしろ「やり直し」をせざるを得ないところまで追い込まれてしまいました。オリンピックとは直接関係ありませんが、築地市場の問題なんかも同じ要因ではないかと思います。
 ある意味では、組織が肥大化しすぎてしまったことも原因の一つなのかなと思います。どんなに強い結びつきを作ろうとしても、組織が大きくなれば上と下の距離が離れ、どこかで綻びが生じてしまいます。国も都も大企業も、昔よりも規模が大きくなっており、関わる人間の数が増えています。その結果、それまでなら届いた指示もちゃんと届かなくなっているという側面はあるでしょう。

 日本のいわゆる保守的な思想を掲げる人たちが、やたらと「家庭教育」を重視したがりますが、これは元々指導者教育は「家」が行うものであったからで、ある意味では当然の考え方なのかなと思います。ただ、それを出来るのは由緒ある家柄の人たちだけで、一般家庭にはもはやそのような教育機能はないと言っていいと思います。実家を出て働きに出て、そこで新しい家庭を作るという文化を生んだのが高度経済成長期ですからね。また、東日本大震災の後に「絆」という言葉が強く言われるようになったのも、元々日本人は人間的な「コネ」を重視してきた民族で、その効能が再評価されたからなのだと思います。
 ただ、この国は成長していく過程で、「コネ」だけでは結びつきを維持できないほど肥大化してしまったのだと思います。そのため、これまで通りのやり方では組織を御することができなくなってしまったのでしょう。この対処の仕方には二通りあって、それが再び組織を「小さく」すること、もう一つが大きい組織を制御するための新しい方法論を構築することです。
 現政権は、どちらかというと組織を小さくする方向を選び、昔の日本文化に回帰しようという志向の方が強いです。地方分権を進めようとしているのは、国や東京の組織が大きくなりすぎたため、分散させようとしている意思の表れですし、憲法改正の方向性も、古い時代への回帰を想定しているように見受けられます。それは、選択肢の一つとしては間違っていないと思います。
 ただ、今はグローバルな時代であるため、外国との連携は欠かすことができません。そうなると、国内だけなら昔に戻せばどうにかなるかもしれませんが、いずれにせよ新しい結びつきを作る能力は必要となります。古い日本的な「コネ」の力だけでは、よそ者である外国人とは仲良くなれません。
 実際に、今「高等な教育」というと、それは偏差値の高い学校を経て東大に行くことではなく、外国語や海外文化に精通したグローバル教育を受け、より早く海外に適応することであるような状態にあると感じています。そして日本の組織を変えていくのも、そういった海外に適応した人たちなのかなと思うことも多々あります。ただ、そういう人たちが国や地方の政治に関わる仕組みが出来ていないようです。現政権が過去への回帰に向かうなら、その反対勢力は未来志向であるべきなのですが、現実には「現状維持」を叫ぶばかりでその先に進むビジョンがない、というのが実情です。与党側にも、野党側にも、政府の内部にも、未来志向の考え方の人はいるような気がするのですが、ステレオタイプな左右の思想に塗りつぶされてしまっているようにも感じます。これからの世代が戦うべきは、左右とか保守リベラルではなくどちらの層にもある「古いステレオタイプ」そのものなのかもしれません。

 指導者の話に戻すと、現状では「高い身分の無能な指導者」を「団結心が強い優秀な一兵卒」が支えるという仕組み自体が崩れてしまっているので、新しい教育システムが必要とされています。今高等な教育を受けることができているエリート層はある程度その新しいシステムに適応していると言えますが、それを国民全体に広めるためには、国のシステムを変えなければなりません。しかしそれをやろうとしている人も、それを実現する仕組みもまだない、という状態です。
 現状でできる対処としては、指導者が高い身分でなくなった以上、「この人のために頑張ろう」と思うことは難しい環境となっており、一兵卒のモチベーションを上げる代替手段が必要となります。本来であれば給料が上がればよいのですが、どのくらい給料を上げればどのくらい生産性が上がるか、というイメージがないため簡単には上げられないだろうと思います。そもそも何のために仕事をするのか、人材は適材適所に配置されているか、そこから考える必要があるように感じます。
 おそらく、もっと日本人は「組織作り」に熱心にならなければならないのだと思います。同じ大学から人材を集めて毎日一緒に酒飲んでればどうにかまとまる、という時代は終わって、メンバーや仕事内容、環境に合わせた組織の構築を柔軟に行わなければならない時代なのです。それを人が集まらないなら中途採用、それも来ないから派遣やバイトで、とより適当に組織を作っていくから上手くいくものもいかなくなるということなのではないでしょうか。
 しかしその「組織作り」を学校は教えてくれない、というところに戻ってきてしまいます。そもそも学校の教師は「組織」に属したことがありませんので、教えようがありません(学校関係者の連携能力のなさは、たまに関わるとびっくりします)。辛うじて「部活」がそれを教える代替手段になっていたと言えますが、これも学校活動の中での自主的な集まりでしかなく、不要論さえ出てきているのが現代です。自治会などの地域組織も、近隣住民との人間関係だけで成り立っていたために引っ越してきた知らない人を組み込むことが出来ずに、機能不全に陥っています。基本的にこの国の人間は情的な関係以外でチームを作ることが苦手と言えます。これを克服することが、この国に課せられた課題と言ってもいいのかもしれません。
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かつて偉いドイツの軍人さんは言いました。
・有能で働き者は参謀に。
・有能で怠惰なものは将軍に。
・無能で怠惰なものは兵卒に。
・無能な働き者は排除せよ。

組織の問題は別に「この国」だけの問題ではないように思われます。
組織をどう作るかにおいて必要なのは、破壊を容れられる時間的・金銭的余裕の量の差であって、教育の質的問題ではないでしょう。

歴史を鑑みれば、アメリカによって旧軍は破壊され、予備隊を経て、陸海の壁をなくして人的交流や目的にかなう予算配分がなされるようになりましたが、米軍では、たった5年しか平和が持たなかった(朝鮮戦争)がゆえにトルーマン大統領(陸軍派)による陸海の統合は限定的でした。傍から見ておりますれば、今や4軍で予算を引っ張り合ってますよね。

また日本はコネ社会と言われるのも、これは余りに一面的ではないでしょうか。
アメリカなどでは学生時代に培ったコネが何よりも重要であり、そのためのツールが実名での登録を前提とするfacebookだったり、インターンシップだったりします。
そして受け入れ先の組織の構造ではなく受け入れ先が金銭的に余裕がなくなれば、このコネによる構造は更に強化されます。
現状の本邦も就職氷河期以降、そのようなコネと押しが強い人物が出世する方へ向かっているようですね。

しかしながら、無能で怠惰でコミュ障な私は思うのです。
このやり方は、無能な働き者でプロンプタの演説を読むのだけは上手な人間がトップに就くだけではないかと。
2017/11/07 (火) 15:49:56 | URL | 774 #6dpF1YoA[ 編集 ]
争いが起きるのと組織の指導者が優秀なのはまた別の話で、新しい組織に優秀な指導者が生まれれば古い組織を駆逐するのが当然の摂理かなと思いますが、日本の場合はそもそも起きるべき争いが起きずに自壊してる組織が多いことが問題かなと思っています。

またコネそのものを否定しているわけではなく、古いコネの作り方が定着しすぎて新しいコネを作れなくなっているというのが言いたいことです。その新しいコネ、つまり昔からの縁に頼らない新たなコミュニティを創出する能力があれば、今は成功できる世の中であると思います。
2017/11/10 (金) 21:16:14 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
昔友人から聞いた真偽不明な話ですが、
「日本の漫画では『チームなど組まず自分一人の方がうまくいく』という考え方をするのがライバルキャラなんかにいるが、アメコミだと立場や能力がどうあれチームという概念を否定するキャラは見たことがない。
実は日本はアメリカより組織の恩恵を感じていない人間が多いのでは」
というのを思い出しました。
2017/11/10 (金) 22:20:44 | URL | #cRy4jAvc[ 編集 ]
縁故は悪しき風習という空気
指導者の家柄という面で言うと、一族経営の良い点は組織が安定する事で、悪い点は保守的になりがちな事でしょう。
しかしメディアなどは一族経営は絶対悪のように扱い、そのような企業は堕落しているというような印象論でもって批判します。
企業経営者にしろ政治家にしろ、二世三世はそれだけで駄目だと。

そういう空気があると、家柄に対して公然と忠誠を誓えなくなりますね。
家柄によって安定する筈が、安定に繋がりにくくなります。

また地域社会などもそうですが結束が強いとムラ社会などといって批判されます。
他者を排除するレベルになると確かに問題ですが、単に結束の強い地域というだけでも、他者が入り辛くなる(結果的に他者排除になる)から駄目だと。

つまり、教育方針として明確にそうなっている訳ではありませんが、メディアなどがつくる社会的な空気として「結束してはいけない」というものがあるのです。
極端な話では日本国としての結束すら駄目で、日本人やアメリカ人といった境界の無い個人のみが存在する世界こそ至高であると。
口先では絆が大切とか協調協力が大切とか説きますが、報道姿勢などの態度は正反対なんです。

一方では「絆や協力が大切だ」と説きながら、裏では「結束してはいけない(結束=排他性)」という空気がある中で、どうして良質な組織が作れるでしょうか。
・絆や協力が大切だから結束しよう → 内向きで排他的になるからけしからん。
・排他的なのは良くないから結束を緩め(止め)よう → 組織とは結束してこそだろう。
・やっぱり結束が重要だろうか → 内向きで排他的に(以下略)

要はダブルバインドが日本社会を覆ってるんです。
2017/11/11 (土) 06:24:28 | URL | ゴミ #Kn05stJQ[ 編集 ]
今回は正直言って雑過ぎやしませんか・・・
東京オリンピックを例に挙げるとあれは現状認識から利害の調整まで何もかもができなかったのが今につながっているのだと思いますが。

指導者とは何か?といった分析ができていないのではないかと考えてます。もっと言うならば仕事をするにあたっての分析自体ができていないといいますか。

「MBA100の基本」という本を読んでいますが、これは経営学の入門本で正直言って大した本ではないようなのですが、この本にある内容が体験からなんとなく分かってはいてもノウハウとして整理してる人は多くない(と感じる)のでこうしたものを科学的に分析する姿勢が乏しいのが原因だと考えます。

>ゴミさん
間近で一族経営や一種のムラ社会を見ているので、「組織が安定する」という生易しいものだったらどれだけ良いものかと思いますが。
逆ですよ。結束してないからこそ絆や協力の大切さを説くのです。
それらが本当に足りていたら口に出す必要性はないのですから。
2017/11/19 (日) 04:02:50 | URL | PYU #McFwrg3I[ 編集 ]
PYUさんは間近で一族経営や一種のムラ社会を見ているとのことですので、自分の知らない世界をより多くご存知のようです。
そういう意味では、人が一生で所属できる組織は限られていますし、組織を分析するのにも限界があるのかもしれないなとも思います。

日本人はお祭りなどのイベントごとを開催することで無理矢理親睦を高めてきたような節が見られるので、元々「仕事のために合理的に協力関係を結ぶ」というのはあまりない文化だったのかなぁとも思いますね。
2017/11/27 (月) 20:59:31 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>#cRy4jAvcさん
日本人って割と職人肌が褒め称えられるところがあって、本来は組織に縛られずに自分のことだけを考えて生きたい人種だったりするのかなぁと思うことはありますね。
それを色々な方法で無理矢理纏め上げるので、息苦しさを感じる人が多かったりするのかもしれません。

>ゴミさん
ダブルバインドというか、何かを肯定するよりも否定する方が簡単なので、何をしても反対の立場の人間の声が大きくなりやすい世の中ではあると思います。
本来それぞれの声を上げているのは別の人種のはずなんですが、マスコミや匿名というフィルターを通すと同じ人が否定してばかりいるように見えてしまったりします。
理想は周囲に気を配りつつ自分の信念を持つことなんでしょうけど、難しいんですよね。
2017/11/27 (月) 21:19:54 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
先日のコメントについて
返信を頂けたのでコメントを見直すと相当棘のあるコメントになってますね。申し訳ございません。
2017/11/28 (火) 06:59:19 | URL | PYU #OeRJ.efk[ 編集 ]
いえいえ、異なる意見を頂けた方が個人的には刺激になります。
2017/12/22 (金) 22:38:30 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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