がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話 「マタニティマークへの風当たりから社会の風潮を考える」

 先日、マタニティマークを付けると逆に悪い扱いを受けるので、自粛している人たちがいるという記事がツイッター上に多く拡散されていました。この記事について、思ったことを記してみます。


○おそらく多数派ではないが・・・
 おそらく、マタニティマークを付けた人に厳しく当たる人も、それを恐れて自粛する人も、多数派ではないと思います。どうしても、インターネット上では突出して嫌な思いをした人が一生懸命その事実を拡散する傾向がありますし、そういう意見ほど目に留まりやすいという現実がありますので、これを読んで「最近の日本人はおかしい」と考えるのは早計かなと思います。
 どちらかというと、現代社会は変な人に出会う確率が上がったと言った方が正しいのかなと思います。「変な人」の総数自体が増えているというよりは。それはインターネットの発達によって、本来知り合わなくていい人と知り合う可能性があるということでもありますし(先日のアイドルが刺された事件などは、まさにその典型でしょう)、交通機関の発達によって一個人の行動範囲が広がったというのもあると思います。特に交通系電子マネーの登場は大きいかもしれません。あれができるまでは、切符の買い方がわからない人は電車に乗れませんでしたからね(高齢者や障害者などには、切符券売機はハードルが高かったはず)。
 ただ、総数が増えていなかろうと遭遇率が上がるのであれば、一個人の視点では危険度が上がったのと同じです。いずれにせよ、対策は考えなくてはなりません。

○マタニティマークを敵視する人
 マタニティマークに対して厳しく当たる人は、大まかに分けて3パターンあるかと思います。1つは高齢者、もう1つは子供がいない女性、もう1つは犯罪者予備軍です。それぞれ抱えている背景が違うと思うので、分けて考えます。

(1)高齢者
 ここでいう高齢者というのは、優先席に譲られて当然のレベルの高齢者ではなく、中年と高齢者の間くらいの世代を指します。この辺りの層が、マタニティマークを付けた人間に席を譲らないことが多いようです。
 これはおそらく、妊婦と言えども自分より若い人間に席を譲る、ということに抵抗があるのではないかと思います。基本的に、電車の優先席というのは高齢者のためにあるというのがこれまでの社会で培われた概念でした。自分も、優先席はお年寄りの席だと教えられた記憶があります。そう教え込まれて実際に年長者になって、ようやく譲られる側になってきたと思った頃に若者に席を譲る風潮が出てきた、ということを感覚的に受け入れられないのかなと。
 個人的な感覚としては、どうも「年長者は敬われて当然」と思う人がいるなと感じています。全てがそうではないですし、実際に大きな実績を残したり多くの資産を持っていて敬われている人は多いですが、そういうバックグラウンドなしに、年を取っただけで無条件に偉ぶる人が増えているかなと思うところはあります。日本の風土として、年長者や目上の人間に対し、過剰に空気を読み、本人がどう思っているか以上に気を遣う文化がありますが、それが高齢者を必要以上に増長させてしまっているような気もしますね。
 いずれにせよ、「優先席は自分たちのフィールドであり、妊婦が入ってくる場所ではない」という感覚が根底にはあるのではないかと思います。

(2)子供がいない女性
 今の社会は女性の進出が進んだ反面、女性が適齢期に子供を産むことも難しい世の中になりました。その結果、これまでは当たり前だった女性の人生のルートに外れる人が多く出てきました。しかし、まだ社会は、そんな女性の別ルートを異端視しています。その結果、子供がいない女性は必要以上に疎外感を感じているようです。
 この歳になるとわかってきますが、子供を産んだ女性とそうでない女性は、人生観が全く違います。どちらが上か下かではなく、全く別の生き物なんじゃないかと思うこともあります。それくらい、出産という経験は女性を変えるようです。また、男性よりも「子孫を残せない劣等感」というものを強く感じるのかなと思うこともあります。子供がいなくても、ペットなど別の対象をわが子のようにかわいがる人も多いです。また、産休に入る人への風当たりは、男性の上司よりも女性の同僚からの方が強いとも聞きます。
 そして、電車に乗っている人は、圧倒的に社会人、サラリーマンが多数派です。自分でも、満員のラッシュ時にベビーカーで乗ってくる人を見ると、おいおい今がどういう時間かわかってるのかよと思ってしまいます。当然女性でも企業に勤めている人がほとんどなわけで、その中には本当は結婚して子供を産みたいと思っている人もいるはずです。そんな時にマタニティマークを付けた人が乗ってきたらどう思うか、ということなのかなと思います。
 勿論、そもそも妊婦が電車に乗るということ自体、昔はほとんどなかったのだと思います。それも含めて、女性の多様な生き方を認めるには、まだ社会が追い付いていないという現実があるのかなと思います。女性は男性が持つ権利を与えられればそれで平等なのではなく、その上で結婚・出産を自由に行うことが出来て初めて女性の権利が認められることになるんじゃないかなと思いますね。

(3)犯罪者予備軍
 これは妊婦の腹を殴るなど、物理的に妊婦を攻撃する人間のことを指します。これは、社会通念から考えても異常なので、認め難い存在です。
 イメージ的には、ネット上で荒らしをしたりツイッターで個人攻撃をするのと同じタイプの人間かなと思います。赤の他人の、一番弱い部分を狙って攻撃するというのは、他人を攻撃することで自尊心を確保するタイプの人間がすることです。ゲームでも、わざと初心者と戦って一方的に嬲り殺すことを快感としている人がいますが、そういう感じの延長のように思います。
 こういうタイプの人間は、大抵の場合、描いている自分の理想像と現実に大きなギャップがあります。自分はものすごいことができる人間だと思っているのに、実際にはそれができない、その理由を見出せないで孤立している状態の人間です。本当は強い相手にも一方的に勝てるくらいの人間になりたいけど、それができないから弱い相手に一方的に勝って満足するという、結果を得るためには相応の努力がいるということを知らずに大人になってしまった人間が、弱い他人を無作為に襲います。
 こういう人は、ネット上に多くいる印象ですが、それはこういうタイプの人がネットで自尊心を満たしていることが多いからで、実際は昔からいたのだと思います。田舎町で突如殺人事件を起こしてしまう人などは、こういうタイプが多いかなと。
 こういう人間を生むのは、成長のどこかの過程で自分の能力以上に過信してしまい、それが過信であることに気付けない環境にあった場合です。親が本来叱らなければならないところでも叱らず、むしろ褒めたり失敗をなかったことにしていたりするケースなんかがそうなんですが、小さいころに超人扱いだったスポーツ選手なんかも陥りやすいですね。

○共通する要素
 3つのケースはどれも背景が違いますが、総じて言えることが2つあります。それは、「自分と立場が違う人間を許容できていない」ということ、そして「その背景にそれまで培われた日本の文化がある」ということです。多分、今の日本人が直面している問題はここにあると思います。
 昔から日本人は、周囲と同質化することを良しとしてきました。異質なものは排除し、なるべく同質化することで、その中でのみ、ご近所づきあいなどの共助の概念で社会のバランスを保っていたのだと思います。しかし、今の世の中では、タイプが細分化しすぎて簡単に同質化することが難しくなりました。また、社会が変化し、世代や所得層等により全く違う生き方をするようになりました。その時に、元々日本人が歴史的に培ってきた、「異質な人間は許容しない」という概念を、どのレベルまで適用するかに、個人差が現れてきているのではないかなと感じます。元々他人に寛容な人と、そうでない人では、許せるレベルが違うわけです。その結果、不寛容な人ほどトラブルを起こし、起こされる確率が上がる世の中になっているのです。
 欧米のキリスト教文化のように、「隣人愛」や「個人の責任」の概念があればもう少し違うのですが、これを「身内びいき」「個人の責任は集団の責任」でやってきたのが日本なので、なかなかうまくいかないというわけです。
 異質な存在を許容する勇気と柔軟性がある人間が増えることが望まれるわけですが、本来日本の文化自体は異質なものには柔軟であるはずなんですよね。だから色々な料理が独自にアレンジされているわけですし。ちょっと考え方を変えればそんなに難しくはなさそうな気がするので、そのヒントを今の世の中で見出したいところです。

○弱者・マイノリティを守るということ
 そういった社会の意識の問題とは別に、もう一つ感じることがあります。それは、マタニティマークを付けた人に否定的な目線を向ける人がいると同時に、マタニティマークを付けた人間は「無条件で守らなければならない」存在であり、それ以外の選択肢を「認めない」という人がいるということです。
 これはマタニティマークに限らず、障害者や外国人、性的少数者などに対してもそうなのですが、弱い者やマイノリティに対して、無条件で保護しなければならないと考えている人たちが、それを他人に押し付けることによって火種を増やしていることもしばしばみられます。
 実際、弱い立場にあるが故に不利益を受けているのであれば、それは是正すべき不平等だとは思うのですが、その「弱者は守らなければならない」という発想自体が、自分自身が強者であると認めていることの裏返しであり、つまり守らなければならない相手を無意識に見下している、からこそのものであると思うのです。それは守られる側にとって、それは決して気持ちのいいものではないはずです。 例えば、高齢者に席を譲ると逆に怒られる、という例もよく聞きます。これは、高齢者にとって、弱者扱いがプライドに障ったということです。配慮されて嬉しいという人もいれば、それを「見下されている」と感じる人がいます。
 結局のところ、善意の押し付けは相手のことを気遣っていないのと同じであり、本当に相手のためを考えるのであれば、ただテンプレのように弱者を擁護すればいいというものではないはずなのです。「弱者は守らなければならない」という論理は、「何故自分より弱い者に合わせなければならないのか」という考え方と衝突してしまい、逆に弱者を攻撃対象にしてしまうのです。
 一方で、守られた弱者が「自分は弱いから守られて当然」と思ってしまい、増長してしまうケースもあります。また、弱者だけが優遇されるのであれば、意図的に弱者になろうとする人も出てきてしまいます。生活保護の不正受給というのもそこに問題があります。
 そう考えると、マタニティマークを付けているということも、「自分は弱者だから擁護してください」と主張しているように捉えられてしまい、そこに反感を覚える人が出てきてしまうのかもしれません。

 おそらく、弱い者、劣っている者だから助けなければならない、という論理自体が間違っているのだと思います。同じ綺麗事を言うなら、誰にも弱い部分、劣った部分があるわけで、それを互いに補い合うのが社会の理想的な姿だということなのではないでしょうか。強い者が弱い者を一方的に守るのではなく、互いが互いに弱点を支え合うという考え方が必要です。そのために必要なのは、自分は強い者の側であるという意識を持たないこと、他人を見下さないことなのでしょう。それは自分の強ささえ認めないということではありません。ある部分が強い人間にも必ず弱い部分があるということです。
 だからヒイロ・ユイがガンダムW最終回でゼクスに言ったセリフというのはかなり真実を突いた言葉なんでしょうね。「人類すべてが弱者なんだ、俺もお前も弱者なんだ!」と。うん、やっぱりガンダムWはよく出来てたよね、というこのブログらしいオチで締めておきます(笑)
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自分は小さい頃から格闘技をやっていて、今は小学生に空手を教えている立場の人間で 妹が妊婦なので、同じく妊婦の方には席を譲るのは当たり前の事だと思っていました。 自分は増長していたのかもしれないと思い コメしました。 ガンダムから色々学んだはずだったのに…少し反省しました。
2016/09/02 (金) 14:44:47 | URL | せーちゃん #-[ 編集 ]
力が強い人間が力が弱い人間以上にその力を使う、というのは全く間違っていないと思います。
気をつけなければならないのは、力が強い人があらゆる意味で強いわけではない、ということですね。
2016/09/04 (日) 16:46:10 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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