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ガンダムネタだけを語るブログです。
プロトZガンダムって何のために開発されてたの?
 MSZ-006XプロトZガンダムは、ガンダムMk-IIの奪取以前から非可変MSとして設計されていた試作機です。可変型Zガンダム完成のために実機を流用したため、このMSの開発は事実上中止されたと言えます。
 しかし、エゥーゴは最初から可変MSの開発をオーダーしていました。非可変機としてもネモや百式を開発しています。それなのになぜアナハイムはかなり初期の段階から非可変MSを開発していたのでしょうか。


 プロトZガンダムについての記述は様々な資料にありますが、基本的に共通しているのは「Mk-IIの奪取より前から開発されていた」「非可変MS」「Zガンダムの実機に流用された」という記述です。具体的な性能についての記述はほとんどありませんが、デザインからして実戦用の武装とは言い難く、頭部が3パターンテストされていたことから考えても、完全に社内実験機であったと思われます。
 3パターンの頭部は、それぞれ百式・ディアス・ネモのカメラタイプのテストであり、このことから考えると、百式やネモといったエゥーゴ序盤の配備機の次を見越した、次世代機の開発を想定していたと想像できます。
 初期エゥーゴの次期主力機はZガンダムでした。プロジェクトZはまさに次世代のMSを開発する計画です。これはエゥーゴのオーダーで可変MSとなることが決定していましたが、デルタガンダムの開発失敗により計画に暗雲が立ち込めます。この背景で、非可変の次世代機を開発していた意味を考えれば、それは可変MSの開発が頓挫した時のBプランとして用意されていたと考えるのが妥当なところでしょう。
 公式とは言い難いですが、コミック「バニシングマシン」におけるZプロジェクトの話でも、可変機の開発が難航していた時期には、アナハイムの方針としてプロトZガンダムをベースとした非可変機を次期主力機にするように描かれていました。その方針が覆るのは、ガンダムMk-IIの奪取が成功した後です。
 つまり、MSZ-006XプロトZガンダムは、MSN-001デルタガンダムの対案として用意されていたもので、デルタ失敗後に採用が現実的に見えてくるも、Mk-IIのフレーム技術が入ったことで急遽可変案が復活し、そのための礎になってしまったと考えることができるのです。デルタガンダムはシールドや頭部形状にプロトZの片鱗が見えますが、並行開発されていたA案B案だとすれば共通項があるのも理解できます。

 デルタガンダムの開発が失敗した後、可変テスト機として開発されたのが005メタスで、非可変テスト機として開発されたのが006プロトゼータだと考えると、型番の辻褄も合います。メタスは実戦投入されてはいますが、その胴体フレームむき出しの構造は明らかに実戦向きのものではなく、Zガンダムと同速で運用できる機体として急遽投入されたものと思われます。実際は、プロトZガンダムと同等の実験機レベルの代物だったんでしょうね。それを実戦向きに改装したのが、メタス改だったということでしょうか。

 では、もし可変MSの開発に失敗し、Zガンダムが非可変MSとして完成していたらどうなっていたのでしょうか。その姿が、実はMSZ-007量産型Zガンダムなのではないかと思います。MSZ-006XとMSZ-007は、武装が同じメガビームライフルであり、背部のスラスター配置も似ています。コンセプト上、同系機であると考えられます。おそらく、006が可変型Zガンダムの型番になったので、スライドして非可変Zが007になったのだと思われます。また脚部の形状から、006のスピンオフは受けており、脚部にジェネレーターを搭載する仕様に変更されていた可能性があります。頭部デザインはネモタイプが採用されたようにも思えますが、バイザーで隠れた(シビリアンアストレイやアストレアFのように)百式やディアスの頭部である可能性もないわけではありません。
 そして、その量産型Zガンダムと対抗関係にあったとされているのが、量産型百式改でした。おそらく、本来可変MSとして開発されたデルタガンダムが百式として設計変更されたことで、非可変MSとしてデルタ系とゼータ系のどちらが優れているかを検討する必要があったのだと思います。以前考察した通り、両機は運用目的が異なっていると考えられるため、純粋な競作ではなくどちらを先に開発するかというものだった可能性がありますが、いずれにせよ本来可変・非可変で住み分けていたはずの次期ガンダムタイプが、非可変ガンダム2種類になってしまったことにより、バッティングすることになってしまったのだと思います(そして非可変として作られていたものが可変として採用される皮肉)。

 つまり、本来はプロトZガンダムは非可変機MSZ-007として完成するべきMSであったということです。もしZガンダムが可変MSとして完成していなかったら、バイオセンサーを搭載したガンダムヘッドのMSZ-007にカミーユが乗っていたのかもしれません。
 また、ポジションとしてはZIIやZプラスのポジションに入るはずだったと言いたいところですが、可変機に匹敵する攻撃機の役割は百式の方なので、そういう意味で量産型百式改の方が優先されていたと言えます。非可変の上位機という意味では、ネロに近い役回りだったのかもしれません。そう考えると、MSA-007という形式番号にもそれなりの意味があるのかもしれませんね。MSF-007ガンダムMk-IIIも、非可変上位機の位置にいますし、案外アナハイムの番号かぶりにはコンセプトの重複があるのかもしれません。008はMSZとMSAとMSKとMSFとMSSで全然違うコンセプトですけど(苦笑)

 MSZ-007は可変ゼータ開発成功と量産型百式改の登場により二重の意味で立場を奪われたことになりますが、実際のところ制式採用もされなかったのだと思います。本来の役回りはより低コスト化した?ネロに与えられ、MSZ-007の番号は別のMS(Zレイピアとか)に与えられ、本体の設計は後のリ・ガズィに継承されたというところでしょうか。一応、記述では数機の生産があったそうなので、実機は存在していたようです。まぁUC外伝に出てきましたしね。

 このように考えると、プロトZガンダムの存在意義もかなり見えてくるのではないかと思います。まぁ、プラモに例えると「フルスクラッチで作るの大変だからその辺に転がってたキットを芯にしました」くらいの扱いで(笑)直接Zガンダムとの共通点は少なく、正直可変ゼータの試作機という意味ではセンチネルの解釈通りカミーユ機こそプロトゼータと言った方が正しい気がするんですが、その名称も後から逆算して呼ばれるようになっただけのもので、当初の名称はゼータB案でしかなく、コードネームは別にあったと考えたいところですね。(ゼータA案はデルタガンダムです)そのうちばりばりのカトキアレンジで別名称が与えられてリファインされたり…しないか。実戦に使えそうな機体じゃないし。
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読んでいてふと思った事があるのですが…

そもそもふプロトΖはΖガンダムの試作機なのだろうか

可変機能の有無、構造の違い、OSも可変対応に書き換えなければならないだろうし素材すら違う可能性すらあります。そんなプロトΖの何をΖガンダムに流用したのでしょうか

そこで、プロトΖはΖガンダムの試作機ではなかったという仮定からどのようにΖガンダムが作られたか推論を組み立ててみました。多分に思ツッコミ所がありましたらい込みが含まれているので遠慮なく指摘して下さい

まず、アナハイムはMkⅡ以前にΖを開発出来たのではないか

極端な話、メタスにガンダムタイプの外装をかぶせれば“これがΖです”と言い張る事も出来たはず。ガンダムタイプの外装だと変形出来なかった。エゥーゴの要求を満たす性能ではなかった。ですが、民間人だったファにも扱える操作性の高さ。主力ほぼ壊滅に陥った戦闘でも生存した事などを考えると決して性能が低いとは言えないし、後述する理由から機体性能は二の次だったのではないかという気もするのです

そもそも、エゥーゴは何故ガンダムタイプを欲しがったのでしょうか?

ガンダムと言えばアムロ(Ζ放映当時、ガンダムのパイロットはアムロしかいなかった)、アムロと言えば一年戦争の英雄、勝利の立役者です

結論を言えば、ティターンズがMkⅡを使ってやろうとしたのと全く同じ企てをしていたんだろうと

しかし、アムロが表舞台に出る事を渋っているためメタスをガンダムタイプにする事は見送り、アムロの懐柔を続ける事にしたのでしょう

ただし、アムロが使えなかった時の代替案は用意してありました

シャア・アズナブルです

クワトロ大尉が初見のはずの百式を使えたのは、デルタガンダムに乗る可能性を考慮してあらかじめ訓練が行われていたからではないでしょうか。つまりエゥーゴとしては
“かつてジオンが行った暴挙(30パンチ事件)を繰り返すティターンズを倒すため、一年戦争の英雄アムロ・レイが立ち上がった!”
でも良いし、
“地球連邦の暴挙を食い止めるためスペースノイドの英雄シャア・アズナブルが立ち上がった!”
でも良いのです

ところが、表舞台に出る事をシャアが渋っている内にティターンズがガンダムタイプのMSをロールアウトするという情報が入り、先を越されてはたまらないとMkⅡ強奪を計画する

おそらく、エゥーゴには“ガンダムは一つで良い”という考えがあったのでしょう。ガンダムがいくつも現れる事で本来持っている付加価値が失われる事を恐れての事だと思います

分かりやすく言うと、今の日本みたいな状態(ガンダムをネタにしたギャグ本やキャラの扮装をしたコメディアンが出たりする世の中)になる事を危惧した

もしかすると百式が稼働出来る状態で置かれていたのはMkⅡの強奪に失敗した時デルタガンダムでこれに対抗する為だったのかもしれません

Ζ計画及びデルタガンダムの製造計画がいつ凍結されたかは分かりませんが、僕は以上の推測から“MkⅡが世間に露出した瞬間”ではないかと考えています

カイレポでベルト-チカがカミーユに“アムロにガンダムを返して”と言ったのはこういう経緯があったからでは、と考えるのは妄想が過ぎるでしょうか

で、時は進みいくつかの戦闘を重ねる内、現場ではMkⅡの性能的限界が囁かれるようになります

ですが、スポンサーとしてはそもそもガンダムは一つあれば良いし、ある程度の宣伝効果があり、しかも一定の成果を上げているのに何故わざわざ新しいガンダムを作らなければならないのか、という考えがあります

そこで、新型を作りたいエゥーゴの開発陣がどうにかして資金を得られないかと探した結果、MkⅡの出現により凍結されたΖ計画が目に入ったのではないか

そのためΖガンダムはΖ計画の下製造された機体であるというアピールを行うためプロトΖに似た外観を持っているが中身は別物になったのではないか、という推測です

それじゃあプロトΖはどうなったのか。まあ、ディジェになったんじゃないですかね。カイレポでガンダムタイプに改装出来るって言ってたし
2015/10/04 (日) 11:51:51 | URL | エーイチ #-[ 編集 ]
一応、プロトZの何がZに流用されたかというと、「フレーム」「アビオニクス」であると明言している記述があります。
フレームというのは変形する部分は絶対別物ですので、単純にパーツ単位にばらされてのことだと思います。
アビオニクスというのは一言で言えばコンピューター系ということになりますが、頭部とかコクピット周りのパーツでしょうね。

単純にゼロからの開発だとパーツの発注から始めなければならないため、それでは時間がないので既存のMSをばらして使えるパーツを流用した、というくらいのもので、それがたまたま後にプロトZと呼ばれる機体だったというだけの話かなと思います。

また時間軸的に、Mk-IIの奪取以前にすでにデルタガンダムを開発していて、可変機構に失敗しているのが前提あるはずなので、
そもそもアナハイム独自のガンダム開発に行き詰ったからMk-IIを必要としたというのが実情かなと思います。
2015/10/04 (日) 22:12:55 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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