がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
ベルリとアイーダ、シャアとセイラ
 Gレコ完結から半年が過ぎようとしていますが、Gレコ考察というよりはキャラ考察…というよりも富野作品考察に近いかもしれません。

 Gレコの主人公ベルリは、その出生が明らかになった頃から、アムロに始まる歴代主人公よりも、身分的にシャアに近いと言われていました。シャアとの違いは、妹ではなく姉がいる事です。ここから深めた考察になります。

 あ、今回色々富野作品のネタバレします。ご注意ください。

 富野ガンダムの主人公は、基本的に一般人の少年(といっても両親のどっちかあるいは両方がガンダム開発関係者であることがほとんどなので、その場合は決して低い身分ではないのですが)であるのが通例でした。そして、どちらかというとライバルキャラとヒロインが高貴な身分で、そこに対立軸が生まれるのがある意味お約束になっていた部分があります。
 Gレコの場合、主人公は社会的に高い身分(運行長官の息子であり、トワサンガ側の名家の血統)であり、最後の宿敵となるマスクは被差別階級の出身と、富野ガンダムには珍しく味方と敵の社会的地位が逆転した展開になりました。

 ただ、アニメの富野ガンダムでは珍しくても、小説を含めるとそうでもなかったりします。というのも、富野ガンダムの小説は、大概シャア的なキャラを主人公にしようという試みが見られるからです。
 小説版のファーストガンダムは、ずっと主人公はアムロなのですが、終盤突然アムロが死亡し、シャアがホワイトベース隊を取り込んでザビ家を討ちサイド3に降り立つ、という展開で終わります。最後に主人公の逆転が起きるのです(種デスはこれのオマージュだったんだよ!!!!)。
 また、Zガンダムは当初小説として作られ、小説版ファーストの続編になる予定だった事から「逆襲のシャア」というタイトルが付けられていました。その後カミーユを主人公としたアニメに企画が変更されますが、小説版Zガンダムの序盤はシャア中心の物語となっている所に、その残滓が見られます。また言うまでもなく、「逆襲のシャア」というタイトルは後の劇場作品のタイトルとして流用されることになります。
 その「逆襲のシャア」自体は、企画そのものがアムロとシャアの決着編であったことから、小説版もアムロが主人公の話となっていますが、その後小説企画として作られた「閃光のハサウェイ」は、ハサウェイがシャアに近いポジションとなって連邦政府に戦いを挑む話でしたし、「ガイア・ギア」はシャアのメモリークローンが主人公の話でした。つまり、アニメのZガンダム~逆シャアで一旦保留になった、シャア側の視点で進む小説の物語を、富野監督は「閃ハサ」「ガイア・ギア」でもう一度再構築しようとしていたと受け取れるのです。特にガイア・ギアは、主人公の後継機が可変機だったり、敵の連邦軍が新たに編成された特殊部隊だったり、その首謀者に政治的意図があったりと、かなりZガンダムに近い世界観となっています。
 しかし、これらの富野監督によるシャア側の視点によるガンダムワールドの展開は、あまりうまくいかなかったと言えます。無論小説でしかやらないからこその企画ではあったわけですが、結局は富野ファンでなければ楽しめない内容であったと言わざるを得ないのが正直なところです。

 そしてGレコに戻ります。Gレコのベルリは、シャアに近い出自であると述べました。月の裏側の国家の、かつて主流派だったが、追い落とされ落ちぶれてしまった一族の末裔であるというのは、かなりシャアに近い設定と言えます。無論、そこから復讐のために戦うのではなく、そんな事実も知らずに地球側の人間として育った点が決定的に違うわけですが、ある意味ではそれは、アニメでシャア的ポジションを主人公にした話をやってみよう、という発想から来ているのではないかと考えられなくもありません。
 シャアの場合は、妹セイラと生き別れ、敵味方として再開する事になります。そして、二度と味方となることはありませんでした(Zの時代はそもそもセイラがまともに参加していないので)。ベルリの場合は、姉アイーダと生き別れ、敵味方として再開するのですが、その後味方として最後まで行動することになります。この違いはどこから来るかと言えば、もちろんシナリオが全然違うんですが、シャアは兄としてセイラに安全に暮らす事を望んだのに対し、ベルリの場合は弟であるがゆえに、アイーダの行動をコントロールできなかったことが一点として挙げられます。兄妹が姉弟に逆転したというのは、かなり大きな意味があります。

 シャアは兄であり、長男である事から、ジオン・ダイクンの意志を継ぐ宿命を負わされていました。本人もそれを自覚しており、時にその宿命から逃げようとしながらも、最後は一流のエースパイロットであり総帥であるという立場になりました。全ての役割をシャアが持って行ったので、セイラは埋没し最終的に舞台に上がる事が許されませんでした。一方、ベルリは弟であり、またアイーダの方が地位が上であった事から、特に政治的な使命を帯びていません。そのため最後まで、純粋なエースパイロットであり続けました。その結果、Gセルフの性能と相まって向かう所敵なしの無双キャラとして活躍しました。アイーダは代わりに政治的役割を引き受け、父の遺志を継いで最後までアメリア軍の指導者としての立場を貫きます。
 言わば、ベルリは「迷いがないシャア」そのものなのです。かつて富野監督はインタビューで、シャアは心の迷いがなければアムロに勝てるという旨の発言をした事があります。それくらい、シャアは色々な物を背負いながら戦うキャラでした。しかし、ベルリにはそれがないのです。そして何故ないかというと、ベルリは弟だからなのです。一方でシャアが全てを背負ったためにセイラの役割は消滅してしまいましたが、アイーダは役割があったため(作中の扱いが散々でも)最後まで物語のメインの一人であり続けたのです。

 つまり、富野監督は、シャアを兄ではなく弟としたことで、シャアに余計な物を背負わせず、主人公として生き生きとしたキャラクターに描く事ができたと言えるのです。そして、その代わりに、アイーダがシャア的な政治的使命を背負っていたと言えます。パイロット能力はポンコツでしたが、女性だからこそ、シャアのようにアクシズを落として終わらせようという結論にたどり着かなかったと考える事もできます。
 富野監督は、Zガンダム以降徐々に女性に政治的役割を担わせるようになっていきました(正確にはガンダム以外の富野作品を踏まえてみても、徐々に移行しているように思います)。ハマーンという敵組織の長、セシリーという敵組織の姫であるヒロイン、シャクティという敵組織の女王の娘、そしてディアナという女王。政治的役割を持った女性がだんだんと味方サイドになっていくのが興味深いです。ハマーンは完全に敵でしたが、セシリーは所属は敵、本人の意思は味方でした。そしてクロスボーンガンダムのベラという名前だけ敵組織を継いだ女性リーダーを経て、シャクティは最後は敵組織の女王の代わりに祈りをささげる役目を担います。ディアナは最初こそ地球側の敵と描かれましたが、ポジション的には味方側の女王でした。
 おそらく、富野監督には女性が政治的役割をもっと担うべきだという思いがあったのだと思います。男は戦ってそういう女性を守るのが役目であると、そう受け取れる描写が節々に見られます。その思想を、シャアにも適用した結果が、アイーダとベルリの関係性なのではないかと思い当たったのです。

 ここに至るまでに30年以上の月日があったのは、おそらく富野監督には「肉親としての姉」の感覚がないからなのではないかと思います。富野作品には「妹」はたくさん登場しますが、「姉」はあまり出てきません。富野作品における「お姉さん」というと、マチルダやエマ、カテジナなどの「少年に性を意識させるあこがれの女性」としての意味合いが強く、肉親としての姉弟関係の実感が人生経験においてないからなんじゃないかなと。アイーダに至っても、あまり感情移入できなかったようですしね。本人はアイーダが処女じゃなかったからだという自覚だったようですが、どちらかというと、性的な対象として見ないと姉という存在に感情移入できないということなんじゃないかと思います。
 だからシャア的な存在を弟にする、という発想にはなかなか至らなかったんじゃないかな…と思います。あ、クロノクルがいたか。でもあれはあれで、「マリア姉さん助けてよ・・・」といって死んでいき、ライバルポジションもカテジナに奪われるという有様でしたし、やはり弟という存在にもあまり感情移入できなかったんじゃないかと思いますね(笑)でも、あれはあれでGレコの布石ではありますね。シャアのポジションを弟として描いたのはともかく、その姉がヒロインの母親だったので、ライバルとヒロインが伯父と姪の関係になってしまって微妙な距離感を生んでしまったのかもしれません。

 その後時間がたつにつれて、女性の地位も昭和の時代に比べれば高まり、強い女性を描く事が当たり前になったことによって、富野監督の中にも女性優位の主人公というビジョンが生まれ得たんじゃないかなと、その結果Gレコという作品が生まれたんじゃないかなとも思います。
 ただ、決して女が男を凌駕すればいいというわけではなく、マスクとマニィの関係がそうであったように、馬鹿だけど純粋な男に、見下しながら惹かれて女性がついていく、という関係も同時に見せる事が出来るのが富野監督なのですね。人間関係としての男女と、政治的な役割における男女はまた次元が違う問題なのかもしれませんが、ベルリには明確な女性関係が描かれなかったように、やはり弟キャラの男女の情はどう描けばいいかわからないというだけなのかもしれません。
 一つ言えるのは、男はあんまり複雑な物を背負わない方が健全っぽいぞってとこでしょうか。男はそんなに器用じゃないから、女性を守るために一生懸命戦うくらいがちょうどいいぞと、そこはベルリについてもマスクについても言えるんじゃないかと思います。
 逆に女性は、女でありすぎると不幸になるという通例が富野作品にはあります。その例えはレコアですが、マウアーとか、ハマーンとか、アンナマリーとか、惚れた男に熱中しすぎるとロクな事がないように描かれています。政治的役割を引き受けたヒロインは、後期富野アニメの中では割とまともな末路になっているようなイメージがありますね。

 もしかすると、「元気のG」の元気とは、「男性が背負いすぎている物を少し女性に分ける」ことにより、どちらも元気になるということなのかもしれません。昨今の女性を活躍させようという日本の政治的な動きとはちょっと意味が違うと思いますが、富野監督の中には、男性社会は限界に達しているというイメージがあるんじゃないかとは思います。なんでも男だけでやろうとしてもろくな事がないんじゃないのというメッセージが、Gレコには込められていたのかもしれません。あ、結局Gレコ考察だこれ(笑)
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テーマ:Gのレコンギスタ - ジャンル:アニメ・コミック

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こんにちは。
シャアを主人公にする試みで、
思いついたんですけど、

ZZのジュドーは、
妹を助けようと、本気で頑張る、新しいシャアで、
ビーチャは、庶民の気持ちが分かる、
政治家としての、新しいシャアを目指して作ったんじゃないかと、思いました。
2015/09/20 (日) 11:54:05 | URL | サディア・ラボン #-[ 編集 ]
近年の富野作品の、女性が政権をとることに対する期待という意味では
かなり似たような感想を持っていました。
一方、∀ノベライズ終盤とかUCとか見ると、
福井晴敏が富野監督のそういうところに
全く共感してないんだなーというのが痛感されて、
その辺が興味深いと感じる今日この頃ですw
UCの父性擁護のボルテージは異様ですからね。

何気に∀以降、ラクス・クラインやマリナ・イスマイールなど
女性が政治的に重要な位置を占めるガンダムは
非富野作品にも多くて、そういう意味では
∀も後々にかなり影響を与えてたのかなという気も。
個人的に面白いのは、女王になった後
最終的に外交官に落ち着いたリリーナですが……。

あと、ディアナもアイーダも、政治的実務能力よりは
意志を示すリーダーとしての重要性が強調されてるのも
富野監督の女性観なのかなと思ったり。
単純な政治力という意味では、ハマーン様とか
ラクス・クラインの方が優秀そうですw
2015/09/21 (月) 00:52:07 | URL | zsphere #urpZd/xk[ 編集 ]
今回の考察を拝見して、Gレコはなんとなくガイア・ギアで描こうとしたテーマをリベンジしたかったのかもという気がしました。アフランシの役割をアイーダとベルリに分担させた事であまり一人にしょい込ませないように配慮しつつより健全な形でもう一度発表しようとしたのかなと。

小説版ガイア・ギアではアフランシも政治家を求められたのを嫌った結果、マハを壊滅させた後エヴァリーと隠居しましたが、政治面はアイーダが防波堤になっていたのでベルリは最後まで生き生きしてましたし、クレセントムーンはメタトロンの三十一の二乗がモチーフかなと個人的には思います。
2015/09/21 (月) 13:54:14 | URL | 匿名希望 #-[ 編集 ]
>サディア・ラボンさん
元々シャアとジュドーを対立させる予定だったみたいですから、意識はかなりしていたと思います。
ただZZのシナリオ自体、富野監督がほとんどノータッチだったんで、富野作品内での影響度はあまり高くないかもしれませんね。

>zsphereさん
福井氏はかなり男性性を信奉しているイメージがありますね。母よりも父にモチーフが傾倒しているというか。
富野監督の殺伐さにはすごく影響を受けているっぽいんですが、人物面の影響はあまり受けてないっぽいですね。

確かにアナザーガンダムも結構女性の指導者が多いですね。リリーナ以降、ヒロインを姫ポジションに置くのが定番になっているイメージはあります。
富野監督にとっての女性の指導者というのは、あくまで家庭の男女関係の延長として女性をシンボルに立てた方がいいというだけで、現実的な組織論の延長の話ではないのかもしれません。昔の男性ほど、女性を異性以外の対象(仕事仲間等)として見れませんからね。

>匿名希望さん
あー、クレセントムーンがマザーメタトロン意識してるのはそれっぽいですね。あんまりイラストで見たことなかったんで思いつきませんでした。
元々MSじゃなくてマンマシーンでしたし、∀がアニメのガンダムの総決算なら、Gレコはガイア・ギア含めた映像外のガンダムの総決算的な意味合いもあったのかもしれませんね。
2015/09/23 (水) 00:07:04 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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