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ガンダムネタだけを語るブログです。
続・カミーユが崩壊した本当の理由
 これまで書いた記事(アニメ感想除く)で最大の反響をいただいている「カミーユが崩壊した本当の理由」の続きです。
 こちらなども読ませていただいたのですが、Zガンダムがどういう趣旨の物語だったのか、というのは自分の中での人生のテーマになりつつありまして(笑)ずっと思考を重ねているのですが、とりあえずカミーユが崩壊した理由については、もう少し進んだ結論を見出せたので、ここで表明しておこうと思います。


 まず前回の考察において、基本的に認識を変えていないのは以下の2点です。

・カミーユにとって「ハマーンを殺せなかったこと」が大きなターニングポイントの一つであったこと
・カミーユが自分=ニュータイプを「人殺しの道具」としか定義することができなかったこと
・カミーユが名もなき兵士を殺すことを割り切りきれていなかったこと

 その上で、認識を変えた点はただ一つ、「カミーユは人殺しをしたくなかったのに人殺しをしてしまった」という点です。ここが「殺したくない人を殺さざるを得なかったこと」に変わります。
 カミーユというキャラクターは、「許せない人間」に対する憎悪は凄まじいものとして最初から設定されています。だからジェリドにいきなり殴りかかったし、自分を尋問したMPをMk-IIで踏みつぶそうとしたりしているわけです。これは最終局面でジェリド、ヤザン、シロッコへ向けたものと、さほど大きな違いはありません。ただその先に相手の「死」があることを認識しているか、という点には違いがありますが。ここは後述します。

 とりあえずカミーユというキャラは紛れもなく高い攻撃性を秘めたキャラクターなんですが、その矛先を向ける先はずっと定まらないままなんですね。両親はティターンズに殺されてしまうため、そういう意味ではティターンズは許せないんですが、合わせて両親に対しても強いわだかまりを抱えていて、それを解消する前に死別してしまうので、ティターンズを純粋に親の敵として憎めるほど親への愛着を持ち切れていないんです。なので、その後のカミーユとしてはティターンズへの憎しみ以上に、両親へのわだかまりを消すことが優先されているように思えます。それがレコアやエマへの甘えとして出たり、シャアやブライト、アムロなどへの尊敬や反発心に出たりしています。
 そして、フォウとの出会いがあります。フォウとの出会いはどちらかというとそういった両親への感情とは無関係の、純粋に男女の恋愛に近いものであったのですが、結果的には彼女の出自が自分の名前を再評価することになり(嫌いだった自分の名前を自分から「好き」と明言できるのは心理学的にはとても大きいことです)、名前に対するコンプレックスはある程度解消されたことになります。

 フォウとの出会いで、カミーユには新しい価値観が芽生えます。それは「戦争に巻き込まれている人間を救い出す」ということです。フォウは記憶を人質に無理矢理兵士にさせられていただけなので、そういう人を助けてあげたい、と思うようになるわけです。それがサラへの態度によって明確に現れます。しかしサラはシロッコのために自発的に戦っている(カミーユから見るとシロッコにたらしこまれているようにしか見えないが)ので、カミーユの言葉には耳を傾けません。
 そしてカミーユはもう一度フォウと再会し、死別します。カミーユは最後までフォウをサイコガンダムの呪縛から解き放とうとしていましたが、結果的にはフォウは命を落としました。このフォウの死はカミーユにとって「救いたかった人を救えなかった」という結果になりましたが、この時点ではまだカミーユにとってはまだ精神に異常をきたすほどのショックにはなっていません。なぜなら、フォウは救えなかったものの分かり合うことはできたからです。基本的には相思相愛のまま死別できたので、ある程度綺麗な思い出にすることができたと言えます。

 サラとの関係はカツを絡めた別の人間関係になっていきましたが、次にカミーユが直面するのがハマーンとの戦いです。以前の考察で触れたように、ここでカミーユは明確にハマーンを殺すことを自分の任務としているのですが、最初からハマーンを殺す前提であったかははっきりとは明言できません。
 確実に言えるのは、カミーユがハマーンと共振したことによって、一旦は「ハマーンとは分かり合えるかもしれない」という可能性がカミーユの頭の中に生じたことです。だからカミーユは「僕たちは分かり合えるかもしれないだろ!」という言葉をハマーンに投げかけています。ニュータイプの可能性はアムロやシャアから聞いて知っていますし、何よりフォウとは分かり合えたという実感があるので、カミーユはハマーンとの関係にも希望を見出すわけです。しかし、ハマーンはそれを明確に拒否します。そして援軍に現れたカツやファにも攻撃します。そのためカミーユは、やはりこいつとは分かり合えそうにないと、「分かり合えるかもしれない相手」から「許せない相手」に認識を変更します。そしてとどめを刺せそうになるのですが、ハマーンの「人はわかり合えるんでしょ?」という言葉に手が緩み、ハマーンを取り逃がします。この言葉が明確にハマーンから生じたメッセージなのか、カミーユ自身の迷いの表現なのかは定かではありませんが、カミーユは最後までハマーンと和解する可能性を捨てきることができなかったが故に、最後の攻撃をし損ねたと言えます。そして「僕の脆い心がハマーンの強烈な意思に負けたんです」という言葉があり、カミーユの心情は「殺すべき相手だったのに分かり合おうとしてしまった」という後悔へ繋がっていきます。

 ハマーンとの戦いは、カミーユにとってニュータイプの可能性を否定する出来事だったと言えます。相互理解が実現したにもかかわらず、分かり合うことができなかったというのは、つまりニュータイプとして共感ができたとしても、それと人間同士が和解できるかはまた別の問題だということです。そのため、カミーユにとってニュータイプは「分かり合える存在」ではなくなり、残った答えが「人殺しだけ」になってしまうのです。

 そして、決定打がロザミア撃墜になります。ハマーン戦後は、まだカミーユにとっては「分かり合える人とは分かり合えるけど、分かり合えない人とは分かり合えない」という認識であったのではないかと思います。それは、フォウとは分かり合えたけどハマーンとは分かり合えなかったという2つの事実があるからです。
 しかし、カミーユはここで「分かり合えたはずのフォウ」を殺さなければならなくなります。ロザミアのことをフォウと誤認識していたからです。サイコガンダムMk-IIに乗るロザミアのことを、カミーユは何度もフォウと混同していました。その理由は定かではありませんが、カミーユの精神状態が限界に近かったことに加えて、サイコガンダムMk-IIのサイコミュがフォウ用に調整されたサイコガンダムのものを流用していたから、という可能性もあるのかなと思います。どうもサイコガンダムには搭乗者の精神データが入っているようで、フォウは「サイコガンダムは私自身」と言っていましたし、ZZではプルがサイコガンダムMk-IIの波動に飲み込まれそうになっていたりしました。フォウのサイコミュと同調したロザミアを見て、カミーユはフォウと誤認識してしまったのかなと思います。
 いずれにせよ、カミーユはロザミアを救い出そうとします。フォウにそうしたように、サイコガンダムの呪縛から解き放とうとします。少なくともロザミアは、妹という偽の記憶を植え付けられている状態ではあっても、仲間として一緒に時間を過ごした実績があるからです。しかし、フォウとは違い、ロザミアとは意思の疎通ができず、「殺して止めるしかない」という決断を下さざるを得なくなります。撃墜するときはロザミアと認識して撃っていましたが、フォウの声も聞こえているので、カミーユにとってはロザミアとフォウをまとめて撃ち殺したような状況になってしまいました。そして、カミーユは「分かり合えるはずの人間であっても殺さざるを得ない」という経験を経ることになります。

 つまり、カミーユの精神が崩壊していくプロセスは3つの段階を経ていることになるのです。フォウとの、「人は分かり合える。だから助けなければならない」という体験。ハマーンとの「分かり合えない人とは分かり合えないから、そういう奴は殺して良かった」という体験。そしてロザミアとの「分かり合える人であっても、殺さざるを得ない」という体験。これらの段階を経て、カミーユは最終的に「自分には人殺ししかできない」という結論に辿り着くのです。

 そうして、カミーユはずっと定まらなかった自身の負の感情の矛先を定めることができるようになりました。「自分が討つべきと思った人間を討つ」ということで。ある意味では迷いなく殺すべき時に殺す力を発揮できるようになり、それがバイオセンサーのオーバーロードという形で表現されていたことにもなります。以前ジュドーの考察をした時に使った言葉で言うと「殺意の波動」のようなものであると言えますね。
 そしてカミーユが全ての元凶と認識したのは、「この戦いを生むもの」として感じ取ったパプティマス・シロッコでした。カミーユはシロッコを倒すために自身の全ての負の感情を爆発させ、元々持っていた不満の感情、親へのわだかまり、フォウやロザミアらを救えなかった悲しみ、その全てをぶつけ、そしてからっぽになってしまったのです。

 カミーユにとって、転機になったのがハマーンとの戦いであることは間違いありません。そこで「ハマーンは殺すべき対象だったのに、分かり合おうとしてしまった」ということが後悔として残ってしまったことが、ヤザンやシロッコに対する迷いのなさを引き出したことになるのだと思います。
 そしてもう一つ重要だったのが、「殺したくないのに殺さざるを得なかった」というロザミア撃墜の経験でした。殺してもいい人は殺すべきだと割り切れても、殺したくない人を殺すのは大きなストレスになってしまったのだと思います。ジェリドに向けた「俺は人殺しじゃない!」という言葉は、本当は殺したくなかったんだという感情の表れだったのかもしれません。
 元々カミーユは「許せない奴は殴っていい」という価値観の持ち主でした。それがハマーンの撃墜失敗とロザミアの撃墜によって、「許せない奴は殺していい」という価値観に変わってしまい、そこにすべてのはけ口を向けた結果、燃え尽きてしまったのが旧訳のカミーユというキャラクターだったのではないか、というのが現時点での結論です。


 その意味では、やはり新訳のカミーユが崩壊しなかった理由も明確です。まずフォウとは分かり合えたと言えるほどの経験をせず分かれています(キリマンジャロの再会がないため)。またハマーンとの戦いにおいて、カミーユの手を鈍らせたのはハマーンではなくフォウの声でした。つまり分かり合える可能性を提示したのはフォウであってハマーンではないので、カミーユが分かり合えるかどうか見誤ったのではなくハマーンが分かり合う可能性を拒否した、という解釈をすることができました。また、ロザミアとの関係は完全にカットされているので「殺したくない人を殺さざるを得ない」という体験は経ていません。つまり旧訳カミーユが崩壊した要素はまったく満たしていないのです。
 そのため、シロッコに向けた力も、決してカミーユ自身のネガティブな感情の発露ではなく、どちらかというと「分かり合える可能性を台無しにする存在」としての素直な怒りに近かったのではないかと思います。それはジュドーがグレミーに向けた怒りに近いものであったのではないでしょうか。
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サイコMk-Ⅱについては、プルツーがこれに最初に乗る時に
「ちょっと重いな。前に使ってた奴の感じか」
と言っているので、多分何かしら使用者の
感覚というか思念というかが残る、という
描かれ方をしてるみたいですね。
まぁ、そうでなくても、同じ系列の、
他にあまり似てる機体が見当たらないマシーンですから、
カミーユが自然とオーバーラップさせていたという事も
十分ありえるかとは思いますが。
2015/01/26 (月) 04:10:11 | URL | zsphere #mgsj5vwc[ 編集 ]
度々迷惑をおかけします

Ζについて考える際参考になるのではないかと思われる作品があるので薦めさせていただきます

それはエリア88という作品です

エリア88は昭和61年頃に連載が始まったマンガで、主人公風間真は親友に騙され外人傭兵部隊の志願書にサインしてしまいます

女みたいな外見で表面上はクールですが“(除隊出来るまで)三年間も人を殺し続けるなんて耐えられないよ!”と殺人に強い抵抗を示します。しかし、人を殺したくないと脱走して銃殺が決まった相手から“三年間毎日人を殺して…か?”と同じセリフを返された挙げ句“人殺し過ぎて頭おかしくなったんじゃねえの?”とまで言われてしまうのです

おそらく作者はこの作品で戦争を否定したかったのだと思います。その証拠と言うべきか、メインの登場人物はほぼ全て死亡し主人公の風間は精神が錯乱し舞台であるエリア88で過ごした記憶を全て失ってしまいます

他にも敵であるプロジェクト4に婦人団体が子供を産み、育てるというメッセージの下に団結し圧力をかけていく(女性の力)、指揮官が王族でサングラスを着用しているなど、少なからずΖに影響を与えているのではないかと思われる箇所が見受けられます。今読んでも非常に面白いと思うので一読してみるのも悪くないのでは

で、エリア88、Ζの二作品が言いたかったのは“殺人、カッコ悪い!”だったのではないかと思うのです

少年誌の定番であるヒーロー物の否定。殺人は許されない行為であり仲間や大切な人もまた殺人で失われる可能性があると。それを示す為にも人殺しであるカミーユが幸せになる事は許されなかったのだと思います

それだけにユニコーンに嫌悪を覚えてしまうのです。ユニコーンでも一応戦争や殺人は否定する素振りは見せますが、本当に否定するならシャアを否定しなければならなかったのです。決して“情熱があった”等と言ってはいけなかったのです。でなければカミーユの精神が崩壊した意味がまるでなくなってしまいます

世の中に“良い殺人”なんてありません。“この殺人は良いけどあの殺人はダメ”なんて言い分は通りません。全ての殺人は悪なのだと。どんなにカッコ良く見えても殺人は醜いのだと

エリア88、Ζが伝えたかったのはこういう事だったのではないかと思うのです
2015/02/03 (火) 09:57:45 | URL | エーイチ #-[ 編集 ]
初めまして、いつも興味深いガンダムネタをありがとうございます。

メタネタになるので、卑怯かもしれませんが「ZガンダムLDライナー富野インタビューby庵野」が少し参考になるのではないでしょうか。

もし既に既読でしたらごめんなさい。
2015/02/05 (木) 14:35:31 | URL | 神 長門 #-[ 編集 ]
>zsphereさん
サイコガンダムは意図的に思念が残るような演出のされ方をしてるような気がしますね。
EXAMシステムの延長線なのかなぁとか思ったりします。

>エーイチさん
エリア88は知ってはいますが読んだことはないです。機会があったら読んでみます。

個人的には、富野アニメでは人殺しの是非はあまり説いていないと思っています。
どちらかというと実感なく人殺しをできてしまう兵器の恐ろしさという部分を描いているかなと。それも主題ではないですけどね。

>神 長門さん
ネット上に出ているものであれば読んだことはあったと思います。
ただ富野監督は、結局精神を病むメカニズムを知らなかったために、ちゃんと描くことができなかったと当時悔いているんですよね。
そういう意味では、当時の監督がどう思ってたかよりも、作中での描写の方が判断基準にしやすいかなと思っています。
2015/02/09 (月) 08:38:43 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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