がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
アニメ版機動戦士ガンダムUC episode7「虹の彼方に」
 最後くらいは劇場で見よう、と思い見てきました。そしたらなんかepisodeEXなるものまで見せられました。カーディアスの死後の視点での総集編というよくわからない体裁のものでちょっと微妙でした。

 というわけでネタバレ全開レビューいきます。



 前回の感想で、FAユニコーンとバンシィをいきなり戦わせて大丈夫?というところで締めたんですが、やはり小説版とは全く違う戦闘の流れでした。

 小説はFAユニコーン無双→VSローゼンズール→VSバンシィ→マリーダVSフロンタル→マリーダ死亡→インドストリアル7へという流れでしたが、アニメはVSバンシィ→マリーダVSバンシィ→FAユニコーン無双→VSローゼンズール→マリーダ死亡→インドストリアル7へ、という流れでした。
 小説ではアンジェロとの戦いではトライスターのワッツが死亡し、それをトリガーとしてバナージが突破するんですが、アニメではその役目をマリーダが担っています。マリーダはどっちにしろ死ぬので尺を短くするための改変と言えますが、その結果小説で良かったシーンが置き換わってしまいました。
 例えば、FAユニコーンの「圧倒的」な戦闘力。数的優位のネオジオン艦隊を次々と沈めていく艦隊無双は圧巻だったのですが、これが対MS戦での旧型ネオジオンMSの皆さんへの迎撃に変わってしまいました。あの仰々しいベースジャバー用のプロペラントタンクは、どう考えても突撃戦用で、急ごしらえのディープストライカーがFAユニコーンだったんですが、対MS迎撃で終わってしまったのは残念です。
 また、マリーダの戦いも変わってしまいました。小説では、バナージとリディが戦っている間にフロンタルと戦い、満身創痍になりながらもサイコフレームの力を発動させて半壊にして追い返す活躍を見ています。死に方も、混乱して逆上したリディがネェル・アーガマを撃とうとしたので庇った結果でした。しかしアニメではマリーダはリディと戦うことになり、しかも無抵抗のまま説得に応じないリディに討たれて思念を飛ばすという、なんとも無駄死に感溢れるものとなってしまいました(その後リディの扱いが微妙なので余計に)。まぁ小説は小説で、どう見てもフロンタルに殺されるだろこれという死亡フラグをへし折ってのあっけない死に方で、当時小説版のアムロの死のような演出だという感想も書きましたが、だからこそマリーダの死にドラマがあり、リディの改心にも一定の説得力がありました。しかしアニメの場合、あれだけ頑張ってジンネマンやバナージが連れ戻したマリーダが、いとも容易く大した繋がりもないリディに命を投げ出してしまったので、だいぶ微妙な死に方になってしまいました。まぁ、それまでのマリーダの演出には力が入っていたので、死ぬシーン自体は感動的でしたが…。
 これまでアニメの改変は概ね小説の微妙な部分を打ち消していて、好意的に捉えていたのですが、前回あたりから逆効果になってしまっている部分が見られるようになってしまいました。そもそもストーリーを縮めること自体にかなりの無理があるのかもしれませんが、それまで良かっただけに残念です。

 まぁ、戦闘描写自体は集大成ともいえる凄まじさでしたね。冒頭にいきなり分離合体を駆使し設定通りのバウナッター特攻をかますバウ(量産型も分離合体可能だと確定しましたね)、メガバズーカランチャーとスキウレによる狙撃攻撃、ファンネルを使いこなすヤクト・ドーガ(誰が乗ってるの?外伝枠?)、ズサと共に大暴れするシュツルム・ガルスなどなど。出落ちのリゲルグはともかく、口からメガ粒子砲を撃つザクIIIや武装をフルに使うシルヴァ・バレトなど、明らかに設定を「知っている」人間の演出には驚かされました。ちょっとマニアに迎合しすぎなような気もしなくもなかったですが。ネオジオンの旧型MS総登場という体は、ムーンクライシスを彷彿させましたね。あぁ、あれも最後の敵はジオングの名を冠していたなぁ。

 サイアムとの邂逅後は、全く別の話になっていました。小説では、フロンタルとの最後の戦いで、まず生身でこれまでのバナージの全てを否定する恐ろしさを描き、MSに乗った後はリディが合流し、サイコミュジャックからのフロンタル全否定で消し炭に、という演出で、フロンタルは最後まで(シロッコよろしく)バナージに呪いをかけようとしていました。
 しかし、アニメのフロンタルは別人でした。小説のフロンタルも、シャアが宿っていると自称してはいましたが、あくまでもシャアが宿っただけの「絶対的な敵」であり、可能性を否定する象徴だったのですが、アニメの方は、本当にシャア本人の意思が宿っていたことになりました。あの演出では、フロンタルにいつの間にか宿ったシャアが、悲観的な未来を語ってバナージを試し、「それでも」と言わせてはっぱをかけるための存在でした。それはちょうど、カーディアスと同じ役割ということになります。
 パンフレットのインタビューを見る限り、これは「父と子」というテーマを貫くための意図的な改変だったようですが、まぁ賛否どちらの意見も浮かんでくる演出ですね。
 否定的な意見としては、そもそもそこまで冨野監督じゃない人がやっちゃっていいの?というのが一番に来るでしょうか。アムロとララァまで出しちゃいましたからね。福井氏はインタビューでこれだけの結果を出してるんだからこれくらいやらせてくれてもいいでしょう、という感じのことを言っていました。要はアニメのUCがめっちゃ売れたから最後に少し自己満足させてくれということなんでしょうけど、ギョーカイの中での成果を視聴者に向けてされても困っちゃいますよねという話で。見る方は知ったこっちゃないですよという感じです。テレビの芸能人なんかもそうですけど、最近ギョーカイに浸かりすぎてて誰が客なのかわかっていない人多いですよね。
 まぁあとは、解釈次第だった「残留思念」という要素をほとんど確定的に描いてしまったことですね。ZやZZでも霊的存在は思いっきり描かれていましたが、それは主人公の力を体現する演出としてのもので、明確に宿っているようなものではなかったと思います。
 肯定的な意見としては、以前ミネバについて考察した時にイメージした、「ミネバの将来を案じるシャア」のキャラクターが発露していたことですかね。相手はミネバではなくバナージの方でしたが、シャア自身が「次の世代に繋げる」という気になれたんだねと思うと、感慨深いものがあります(笑) 小説のフロンタルは悪魔そのものでしたが、アニメのフロンタルは善人になれたということです。
 ただどちらかというと、フロンタルがシャアを演じすぎるあまり、シャアの気持ちになりきってフロンタルが変わる、という演出くらいに留めておいてほしかったなぁという気もします。アムロとララァもあくまでもフロンタルがシャアになりきった末に見た幻想だったとかそんな感じで。それでも、シャアの意思が結果的にフロンタルを通してバナージに伝わったと解釈できるのでいいと思うんですけどね。
 どうも福井氏は、観念的なものを直接描きすぎているきらいがあります。そこはアニメでも解消されず、むしろ強化されてしまった気がします。ネオジオングの装甲やフレームを簡単に溶断するユニコーンの腕とか、なぜか灰のように崩れていくシナンジュとか、結晶化したり元に戻ったりするサイコフレームとか、おいおいなんか物理法則自体がおかしいぜという感じの演出になってしまっていました。どうしても福井氏はイデオンとガンダムを繋げたいみたいなんですよね。サイコフレームはイデオナイトの原型で、もはやフレームにチップを鋳込んだだけのものではなく別の物質なんだと。小説版∀でも意識していたようですが、当の冨野監督はアニメの∀でそういう関連はほとんど考えていないようなので、なんか福井氏が無理矢理繋げている感があります。まぁZ~逆シャアのサイコミュがイデオン的な発露に近いのは確かなんですが、逆にF91以降の作品には皆無ですからねぇ。当時のガンダムファンにとっては、ファーストガンダムのゴールはイデオンだという考え方だったのかもしれませんけど(長谷川氏は逆の考え方でしたが)、今はそうじゃないんじゃないかなぁと思うのですが。
 残留思念という考え方であれば、冨野ガンダムだと「マシンに宿る」という表現の仕方をしていたので、どちらかというとサイコフレームに宿っているという考え方ではだめだったのかなと思いますね。シナンジュにはサザビーのサイコフレームが流用されているからだとか(サザビーの実機はアクシズショックに巻き込まれてないですからね)、バンシィにマリーダの意思が宿っているからリディは覚醒できたとか。

 また心情描写が削られていて惜しいなーと思うこともしばしばありました。とりわけ強く感じたのは、バンシィのサイコフレームが緑色になる過程と、最後にバナージが我に返るまでのところですね。
 バンシィの緑化は小説でもいつの間にかという感じだったんですが、そもそもリディの立ち位置自体が小説以上に微妙になってしまった弊害でもあるかと思います。小説のリディはちゃんと一緒にフロンタルを倒しているんですが、アニメでは一人でも倒せる勢いでフロンタルに挑んでいるバナージに合流し、後ろから突っ込んで隠し腕に掴まれるだけでフロンタル戦ではほとんど何もやっていなかったので、大してバナージと同調したわけでもなく、とりあえずついていって土壇場で何故か覚醒してコロニーレーザーを止めるという感じになってしまいました。これはフロンタルとバナージに「父と子」の演出を入れた弊害かなと思います。
 バナージの心情描写については、小説では克明に描かれていますが神に等しくなったなどのやりすぎな描写があり、アニメでは(マリーダの過去やミネバとマーサの会話などのように)マイルドにした結果なんですが、あまりにも描かなすぎて逆に意味が分かりませんでしたね。アンジェロの過去も全カットでもいいんですが、フロンタルとの関係の葛藤もあんまりよくわからなかったんで、もうちょっと頑張ってほしかったところです。
 このあたりの描写については、もし再編集劇場版が作られるなら追加に期待したいところです。最後も小説以上に投げっぱなしエンドだったので。たぶんこれだけ売れているなら、劇場版は製作されると思うのですが。


 というわけで、長らく続いたガンダムUCの感想も一旦区切りとなります。ただ、結果としては、「小説の良くないところをかっとしたら良いところもカットしてしまった」という形になってしまったのが残念です。また、福井色を限りなく薄めながら、一番濃かったイデオン的描写の濃度はむしろ上がってしまったというのも微妙な感じでした。
 ただ戦闘描写のクオリティがとてつもなく、また旧型MSのキット化も相次ぎ、ガンプラの販促としては大成功の作品だったとは思います。小説では、ここまでガンプラを売ることはできないでしょう。

 一番残念だったのは、ガンダムUCのテーマは"And now... in anticipation of your insight into the future"の先を描く、というものだったと思うんですけど、そこがしっかり掘り下げられなかったことですかね。まぁ小説版のターゲットは少年時代にガンダムを知った大人で、アニメのターゲットはもう少し下の世代ということなのかもしれませんが…そこにこそUCの価値があると思っていたのです。もし劇場版が作られるなら、その辺にも意識を届かせてくれればなと思います。

 しかし、最後までリディの存在が足を引っ張ったなぁ。
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コメント
コメント
自分も初日と舞台挨拶で2度見ても「最後の最後にやらかしたなぁ」と思いますね。
尺が短いのは福井さんも自身のエッセイで触れてるくらいですので、ある程度は仕方ないにしてもアムロ達を出すならその時間をマリーダに回して欲しかったというのが本音ですね。
ダムA読む限りでは、池田さんがこの内容ではフロンタルとして死ねないと酒の席で語ったから変えたともありましたが、逆シャアの先に踏み込んでほしくはなかったです。

FAユニコーン無双が短縮されたのは個人的には良かったと思います。小説では戦艦のエンジンだけ潰して先に行ってましたが、連載当時から残った主砲で味方機体落とされるんじゃ?と疑問に感じてた部分でもあったので。
とは言え、風の会削除で浮いたハイパーメガ粒子砲を持って来たのは正直予想外でした。

ヤクト・ドーガはデルタカイが主人公機の外伝でリバウに乗ってるNTらしき少女がいますので今はその子と解釈しています。ただUCから見れば過去(0094年)ですのでその少女が外伝内で戦死するかもしれません。
2014/05/25 (日) 05:23:33 | URL | 匿名希望 #-[ 編集 ]
episodeEXはサイアム視点で作られていたそうですが、アフレコ直前に永井さんが亡くなられた為にカーディアス視点に作り直したとのことです。
BD初回盤にカーディアス版と共にサイアム版台本が収録されてました。
2014/05/26 (月) 06:13:34 | URL | #-[ 編集 ]
とりあえず、二回観てきました。
小説は未読なので、比較することはなかったのですが、色々と気になるとこも。

>episodeEX

一言でいえば「サンライズによる公式MAD」でしょうか。
バナージの初出撃シーンにアムロ、カミーユ、ジュドーのシーンを映しこんだ所は思わず興奮してしまいました。しかし、その後はちょっと蛇足感を感じてしまいました。

>演出

ブログを拝見し、フロンタルの描き方が小説とは全然違うようで驚きました。映画だと「もう一人のシャア」と言う風に見て取れたのですが、小説だと「人の形をしたシャアの怨念」のようなものだったのでしょうか。ちょっと原作を読んでみたくなりました。

しかし、個人的にはアンジェロとリディにはもう少し良い役回りを与えて欲しかったと思いました。リディは(あんまり役に立ってないとはいえ)まだ掘り下げられてましたが、アンジェロはバナージに嫉妬するだけの切れやすい若者にしか見えませんでした。例えば、episode6でもっとこの二人の内面を描いていたら、もう少し、印象は変わったかもしれませんが。
2014/05/27 (火) 00:29:20 | URL | ケイ #-[ 編集 ]
結局はガンダムを作る人は富野さんの影響を受けた自分、一人のガンダムファンというくくりから抜け出せないのだなと思いました
確かに最終決戦のMSオンパレードはガンダム好きなら嬉しい演出ですが
「こうなったらいいな」と妄想しているのとそれが本当にアニメになってしまうのとはまた別の話なんですよねぇ・・・
個人的には「あーあ、、、やっちゃったかぁ」って感想を持ってしまいました
というか、ガンダムUCはガンダムUCとして描いてほしかったです
富野さん以外の作品でアムロやララァなんて出しても同人アニメにしか見えないですよ。。。
2014/05/29 (木) 18:00:46 | URL | 名無しの日本人 #-[ 編集 ]
自分も公開してすぐ見に行きました。

はじめの宇宙世紀を振り替えるやつでなんか
あぁてなってしまいました 映画館スクリーンでファースト他がみられるなんか嬉しさ。
マリーダさんで号泣

ギガンとかガルスやら
クエスドーガ改修したヤクトドーガとか
ズサとか
コンロイジェガンとか

なんかもう楽しすぎました ネオジオングの宇宙旅行はちょっと引きましたが
またラストあたりで号泣
こんなに泣いた映画は初めてでした
小説読んでないのとか
単純にガンダムがすきなのでものすごく楽しめました。
で オリジン予告は
ヴェーダの予見通りでした
2014/06/03 (火) 02:44:49 | URL | ロウ #-[ 編集 ]
>匿名希望さん
まぁ次の世代に繋げたいという意図はすごくよくわかるんですけどね。
フロンタルというキャラが色々ぶれてしまったかなという気はします。

FAユニコーンはリアリティ面での説得力はともかく、その装備でMS戦は違うだろと思ったんですよね。そうするならFAのデザイン自体変えちゃえばいいのにと思ってしまいます。

外伝に強化人間いるならそのキャラで確定じゃないですかね。
これまでアニメ中で目立った活躍をしたパイロット不明の機体には必ず外伝でパイロットが設定されてますしね。

>名無しさん
あーなるほど、サイアム視点で作られるはずだったんですね。永井一郎ボイスだったらあの作りでも納得できます。
事情が事情なだけに、残念ですね。

>ケイさん
あそこまで歴代主人公をだぶらせるなら、個人的には5話のブライトさんのセリフを重ねてほしかった気がします。

小説は主人公側が可能性を信じる側、フロンタルは否定する側であるだけで、シャアの見た目をしていることにはあまり意味がありませんでした。
アンジェロ、リディ、アルベルトは小説ではもっと深く描かれていますね。たぶん作者の情けない部分を極めて色濃く反映させた3人だと思います。

>名無しの日本人さん
富野監督ってわざと曖昧に描いて解釈の余地を残す作り方をするんですが、福井氏は因果関係を明確にしたがるところが決定的な違いなのかなと思います。
俺にとってニュータイプとはこうだ、宇宙世紀とはこうだと明確に提示されてしまうのは、それこそ二次創作の領域なんですよね。

>ロウさん
映像と音楽と声優のレベルは歴代史上最高だったと思います。
逆シャア以降の時代でもこのレベルの作品をやれば商売になるとわかったと思うので、一年戦争の無理な拡張はそろそろやめて次のステップを作っていってほしいですね。

2014/06/21 (土) 12:09:23 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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