がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話「日本における「家」の概念と社会」
 4月から仕事で出向となり職場が変わったりしたこともあって、4月は全く更新することができませんでした。引っ越しを伴うものではなかったんですけどね。

 今回は真面目な話です。きっかけは保育所を増やせ増やせという世間(マスコミ)の論調から感じたこと。


 大学出て社会に出るとわかったのですが、近年の女性の社会進出というのは、女性の権利向上もありますが、どちらかというと単純に労働人口の減少をカバーするため、という側面が大きいです。少子高齢化が進むと単純に働き盛りの年齢が減っていくので、その分を女性でカバーする、というのが国策レベルで行われています。外国人の移民、というのもそれと同じです(反対する人はだいたいナショナリズムを根底にしていますが、それとはまったく違う次元の話です)。
 つまり、今までと同じ仕事のやり方を続けるために、子供を預ける場所を増やして女性も駆りだそう、という話でしかありません。そこに大きな違和感を感じています。社会のために子供は置いていけ、ということですからね。

 もうよく知られた話だと思いますが、欧米なんかだと家族のプライベートは仕事よりも重要視されます。クリスマスに仕事を休むのは当たり前ですし、スポーツの外国人選手が出産や家庭の事情でシーズン中に帰国するのも珍しいことではありません。そういう文化があった上での、女性の社会進出が成り立っています。
 それに対して、日本には仕事よりプライベートを重視することは言語道断であるという風潮があります。だから女性が子供のために休んだり早退することは精神的負担を伴いますし、ましてや男性が育児等のために休むなど到底理解を得るのは未だ難しい環境です。何故、日本にはそういう空気があるのでしょうか。

 根本の話をしてしまえば、日本と欧米の違いは「個人」の尊重の度合いということになります。キリスト教的価値観を前提とした個の価値の尊重が当たり前の欧米に比べると、日本には個を尊重するという発想がそもそもありません。日本はむしろ、「家」を最低単位として考えていた歴史があるように思います。
 どこまで歴史をさかのぼるべきか、というのは勉強不足のためなんとも言えないのですが、日本には間違いなく「家」を中心とした文化があります。父親が最高権力者で、長男がその直系後継者、結婚とは二つの家が同盟関係を結ぶことであり、子供は母親だけでなく兄弟や家族全員で育てる、という文化です。これが欧米的社会と相容れないために、現代社会において歪みを生じさせているような気がするのです。

 この文化の何が社会と相容れないかというと、まずは仕事観ですね。そもそも仕事は家を中心に行うものでした。士農工商という身分制度がありましたが、これらの身分は皆それぞれ自分の家で家業を営むことを前提としています(武士は城の中)。なので、そもそも仕事と家庭はイコールであり不可分なものとして認識されていたのではないかと思います。
 しかし、高度経済成長前から、特に地方の人間は都会に出て働くのが当たり前となり、家と仕事が分離するようになっていきました。そして結婚すると職場に近い地域に家を構え、実家からは独立するのが当然となると、それまでの家父長を前提とした制度は崩れていきました。しかし、社会はまだその時代に追いついていないのではないかと思います。実態として家と仕事は分離しているのに、社会は家と仕事を分けることを考えていません。

 何故そうなったかと言えば、一つは家と仕事が分離した際、家が女性の、仕事が男性の役割と完全に性で分離してしまったことが挙げられるのではないかと思います。その結果、仕事に集中した男性は何よりも仕事だけを優先させるのが当然という認識をするようになってしまいました。そうして高齢になるまで人生を重ねると、全てにおいて仕事だけを優先する思考のまま企業の経営に携わるようになってしまいます。そうした人間が今の社会を動かしていることが、一つの直接的な原因であると言えます。
 もう一つの、もっと根底にある原因が、そもそも男性が仕事に特化する以前から、仕事と家に区別がない文化を重ねてきた、ということなのではないかと思います。今でさえ保育所が必要だと言われていますが、一昔前は保育所というのは特別に貧しい家庭か、母子家庭の子供が通う場所でした。子どもは家で育てるのが当たり前であり、子育ての責任は家にあるという認識があり、未だにそういう認識をしている人がいます。これは、社会の中心が家であった時代の名残ではないかと思うのです。
 極端な話、昔は今よりも家族の人数が多かったのです。三世代は同居もしくは近くに住んでいるのが当たり前であり、近所に住んでいるのも親族や古くから付き合いのある隣人ばかりでした。だからこそ、今では失われたという「ご近所付き合い」や「他人の子を叱る大人」が存在し得たわけです。地域ぐるみで子供を見守ることができたのは、単純に家族規模が大きかっただけであるとさえ言えます。兄弟が多ければそれぞれの友達も増えますし、その子たちが結婚すればさらに親族が増えます。
 だから、基本的な福祉は全て家庭内でカバーできるものだったのでしょう。社会も家で支え合うことを前提の制度を構築していき、福祉と言えば生活保護や障害、介護など、特別に困っている家庭を支えるための制度として発展していきました。
 家と仕事が分離した時代にあっても、企業は家庭を支えることを重視しました。仕事を優先としながらも、職場ぐるみの家族づきあいを奨励し、家ごと企業が抱え込み一つの顧客確保の手段となっていた側面があったと思います。ある意味ではそのことが欧米の企業との違いを生み、高度経済成長を支えた一因にさえなったのかもしれません。

 しかし、家と仕事がイコールだった時代から、仕事優先に変わっていく過程で、家ごと仕事に取り込もうとした結果、子供だけが取り残されてしまったとも言えます。親が仕事に没頭している間、子供は子供で学校という別の世界で成長していったがために、大人になって急に仕事が最優先の世界に組み込まれて戸惑う、という事象が近年生じ続けているように思います。しかも、その子供の時代はまだ家に母親がいましたが、これから生まれてくる子供は家に母親さえいないという状況になります。その子が社会人になったら、もっと世代の距離が開いているような気がしてなりません。

 これだけ家庭が細分化した時代であれば、もはや昔の家族の機能を取り戻すのは不可能でしょう。ならばかつての家の役割まで社会が担えばいい、企業が保育所を設置すればいいという意見もありますが、これに対し子供を連れて職場に行く(満員電車に乗る)ということ自体に無理があるという意見もあります。保育所を作るなら、やはり職場の近くではなく家の近くの方が良い、と言われています。

 個人的な感覚でいうと、そもそも家と職場が離れていること自体に問題があるような気がします。ただでさえ日本は東京に経済が集中し過ぎていると言われていますし、地方の過疎化も問題になっています。子育ての問題も含めて、もう少し地方に資源を分散することを考えるべきなのかもしれません。

 個人的に一番問題だと思っているのは、そういう家庭事情の変化に、最も疎い人種が政治家であるだろうということです。彼らは、生まれが田舎の良い家柄であることが多く、また世襲が当たり前で最も昔の家父長制を継承している人種でもあります。そんな旧態依然の家庭環境で育った彼らには、現代人の家庭問題を解決する政策を、実感を持って実行することができないと思うのです。高学歴のキャリア官僚なんかも同様でしょう。
 おそらく彼らは、何が問題なのか全く分かっていないはずです。自分で事業を立ち上げた結果得た人脈を元に政治家になったタイプならまだしも、世襲で政治家になったタイプや大卒即公務員になった官僚などには、一般企業の事情すらよくわからないでしょう。だからとりあえず保育所を増やせばいい、というところで留まってしまうのだと思います。

 子育てに限らず、結婚や就職もこれまで国の制度がカバーしていない領域で解決していた問題でした。結婚はしないと世間体に悪いので、お見合いをさせてでもとりあえず結婚させるという文化がありましたし、就職は大学の中で作った人間関係をベースにするものでした。これらが個人の自由となった結果、逆にうまくマッチングできない人が増えてしまい、スムーズな人生を送りにくくなったと思っています。
 この就職・結婚・出産~子育てという一連の流れの変化を放置してきた結果が今の社会なのだと思います。それなのに少子化だの晩婚化だの最近の若者はすぐ辞めるだのと言っても仕方のないことです。かといってなんとかしようと思っても、おそらく国には期待できません。相当な庶民感覚を持った人間が要職に就かない限り、すぐには変わらないでしょう(そしてそういう人はそんな職には就きません)。自治体レベルでならなんとかなるでしょうか。いずれにせよ、国家の要職ではなくもう少し民間に近い立場で解決しなければならない問題となっていると思います。

 これからの世代に求められるのは、この問題の解決であるはずです。それは、高度成長の代償に残った負の遺産の整理なのかもしれません。
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コメント
コメント
いつも興味深く読ませて頂いております。
「父親が最高権力者で、長男がその直系後継者」という体系が完全に築かれたのは、確か江戸時代以降だったかと思います。
確か、武家社会の家督相続問題で争い事を起こさない為の政策だったかと。

まず将軍家がそれを手本とし、武家がそれに従う事により一般にも浸透して行ったものと思われます。

おっしゃる通りで現日本の政治家は、未だ明治期元老達の末裔だったりしますね。
政治が一般市民とはかけ離れたところで議論されているという点では、昔も今も対して変わっていないのかもしれません(苦笑)
2014/05/07 (水) 15:54:07 | URL | #-[ 編集 ]
なるほど、確立したのは江戸時代ですかね。戦国時代で朝廷統治が緩んだあたりから始まった感じでしょうか。

一般市民から離れたところで全てが完結していればそれでもなんとかなるんですが、人口の減少や少子高齢化は国の根幹に関わる話なので、その進行が末端から広がっているところに危機感を覚えますね。
2014/05/23 (金) 23:12:57 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
初めまして、ルロイ様

毎回興味深く拝見させていただいておりまして、今回の話に強く共感したので投稿させていただきます。

社会の変化に疎い人間が組織のトップに立っているというのは、政治だけではなく今の日本社会全体の問題なのかもしれませんね(企業だとまた少し違うのでしょうが)。
私は現在、理系の大学院に在籍しているのですが、教授が「なぜみんな博士に来てくれないんだ。就職なんて履歴書提出すればいくらでも行くとこあるだろう。それより実験しろ。」と仰っていたのを聞いてすごくそれを感じました(確かに選ばなければありますが(苦笑))。

以前ルロイ様が仰っていたように、どんなに実力があっても権力の座につくには相当の年月を要する、現在の日本社会の欠点が露呈してきたように思えます。
2014/10/04 (土) 19:45:33 | URL | 電子の海から名無し様 #l7H4TccY[ 編集 ]
初めまして、書き込みありがとうございます。

一つは世代の感覚が遠くなりすぎていると感じます。
多分今の就職活動を中年以上の人がやっても誰も就職できないんじゃないかと思うんですよ。
そもそも社会への入り口の形が全く変わっていることに、上の方にいる人が全く気付いていないということがあります。

あとは、単純に寿命が延びたせいというのもありますね。
昔なら間違いなく引退していた年齢の人間が、未だに要職についていて権力を振るっているのが良くないです。
彼らは老獪なので、昔のような下剋上も起こせないような社会にしてしまっていますしね。ホリエモンが潰されたのがいい例ですが。
2014/10/11 (土) 15:24:11 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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