がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
ニュータイプとトラウマの関係
 以前にアムロのニュータイプ能力について考察した時に、ニュータイプ能力は最も強く交感した異性の死によって大きく覚醒するのではないかという仮説にたどり着きました。
 今回はこの仮説について、少し掘り下げてみたいと思います。

 まず、精神的なショックとニュータイプというキーワードで考えると、思いつくのは強化人間の存在です。ニュータイプ能力の強化にトラウマを用いているとなれば、仮説の説得力はより増すことになります。というわけで、強化人間について確認してみます。

○ロザミア
 コロニー落としのトラウマを強化措置に利用されています。しかし、それは「空を落とす敵」だから戦わなければならないという、戦闘行為への動機づけに利用されている節が強く、ニュータイプ能力とはあまり関係ないように思えます。そもそも、ロザミアは元々はサイコミュシステムのために強化されたタイプではなく、サイコガンダムMk-IIに乗った時も、コロニー落としのトラウマは全く表れず、「お兄ちゃん」の刷り込みによりコントロールされていました。
 そのため、ロザミアのトラウマはニュータイプ能力とはあまり関係がないように思えます。

○フォウ
 フォウはそもそも記憶が消去されているため、トラウマはあったとしても覚えていません。そして失くした記憶も、戦って戦果を挙げれば戻すという、戦いの動機づけに利用されているため、精神的なショックとはあまり関係していないようです。

○マリーダ
 マリーダは量産型キュベレイに乗っていた後、ジンネマンに拾われるまでの間に経験した過酷な性体験が強烈なトラウマになっています。原作ではより詳細に描かれていますが、これらはプルクローンとしてニュータイプ能力を発揮した後の体験であり、直接能力の拡大には繋がっていません。オーガスタ研究所で再調整を受けた際には、このトラウマを利用されていますが、これも「ガンダムは敵」の刷り込みのために利用されている側面が強いものです。

 総じて、強化人間のトラウマは元々戦う意思のない人間を無理やり兵士として戦場に送り込むための手段として利用されているものであり、ニュータイプ能力の強化にはあまり繋がっていないと言うことができます。

 では、ニュータイプと「最も強く交感した異性の死」にはどのような関係があると言えるのでしょうか。アムロについては、この後に飛躍的に能力が上昇したように思えましたが、他のニュータイプではどうだったかを考えてみます。

○シャア
 シャアもまた、ララァの死後にニュータイプとしての能力を発揮したように読み取れます。ジオングに乗った時に、アムロに「シャア以上のニュータイプ」と感じさせており、ララァと戦った時よりも能力が拡大したと受け取れるからです。
 その後のシャアについては、あまりニュータイプ能力を発揮するシーンはなく、カミーユがジャブローでレコアを見つけた時にシャアは何も感じていなかったりしているので、アムロ同様一年戦争時代ほどの能力はなかったのではないかと思います。サザビーに乗った時も、サイコフレームのアシストがあってこそだったようですし。

○カミーユ
 カミーユは当初よりそれなりに高いニュータイプ能力を発揮しており、具体的にこのタイミングから飛躍的に能力を拡大したというような印象はありません。フォウの死後も、それまで通りの様子で戦闘に参加していました。
 ただカミーユの能力拡大と言えば、ヤザン戦で見せたバイオセンサーのオーバーロードでしょう。ただあれは、「人の命を吸う」というエマの言葉から察するに、死者の意志を複数感知したことによるものであるようです。ヤザンと戦った時、直前にカツとヘンケン初めラーディッシュのクルー全員が死亡しており、敵も含めるとジェリドやラムサスとダンケルも死亡しています。このあたりの影響がありそうです。
 しかし、その後のシロッコとの戦いでは、その戦闘中で死んだキャラ以外の声がカミーユとシロッコには聞こえており、またZガンダムに乗っていなかったときに死んだキャラもいることから、Zガンダムのバイオセンサーに死者の意志が「宿って」いるわけではないと読み取れます。
 そう考えると、やはり死者とシステムの間に関係があるというよりも、パイロットの持っている死者のイメージがシステムを通じて表れていると考えた方が妥当であるように思えます。パイロットが故人を強く想うことで、より高いニュータイプ能力が発現したと推測することができます。

○ジュドー
 ジュドーの場合、最初に高いニュータイプ能力が発言したのは、ハマーンがリィナを撃った時でした。この時のジュドーの力はシロッコにも怯まなかったハマーンが完全に怯えるレベルであり、極めて高いものであると言えました。リィナは死んだわけではないため、生死にかかわらず、大切な人を想うことが力になっている可能性があります。
 その後、プルが死んだ際にも強い力を発揮していますが、これはカミーユのケースと同じであると思われます。そしてハマーンとの戦いで力を発揮した際には、ジュドー自身が(ハマーンにとっても)面識がないはずの人物のイメージまで生み出しています。カツやサラなどカミーユと面識がある人物については、1話でカミーユから受け継いだ記憶と考えることができますが、ララァまで出てくるのは解せません。小説版ならアムロとも会っているのでわかりますが、アニメ版では会っていないはずなのです。可能性としては、ジュドーは知らなくてもハマーンが知っていた可能性があるということですが、作劇上の意図としては、ガンダムシリーズ全ての総括という意味が込められているだけでしょうから、ここでは一旦保留にしておきます。
 ここでは、「最も強く交感した異性」については、生死は問わない可能性があること、そして異性である必要もないということが読み取れたということにします。


 ここまで考えると、アムロがア・バオア・クーで仲間たちを導くことができたのも、単にララァの影響だけではなく、ホワイトベースの仲間たちを大切に想う気持ちがあったからでもあると解釈することができます。カミーユが死者のイメージを作り出したのも、そのキャラが死んだからではなく、死んだことにより、よりそのキャラのことを強く想う気持ちが表出したからだと考えることができます。
 つまり、アムロが力を発現させたのは、ララァを含む自分にとって関わりの強い人物を想ったが故であり、カミーユが力を発現させたのは、死んでいった関わりの人物を強く想い、戦争の中で死んでいった人たちのために戦いを終わらせる決意があったからだと解釈できるのです。ジュドーは、「みんなの意志」を背負っている自覚があったということなのでしょうね。ある意味では、一年戦争時代からのジオンに関わる戦乱全てを背負っていたのかもしれません。

 ニュータイプの力は単にサイコミュを作動させるだけではなく、ニュータイプ同士によるコミュニケーションとして作用します。そのため、親しい人物を強く想うことと親和性があるのかもしれません。他者への強い想いがニュータイプ能力を拡大するのだとしたら、F91でシーブックがセシリーを探すために使った力こそ、最もニュータイプらしい力の使い方だったのかもしれませんね。


 さて、この前提に立った場合、アクシズを止めようとしたアムロにはどのような想いがあったのでしょうか。その背景はほとんど描かれませんでしたが、小説版ではシャアは妹セイラのことを気にかけていましたし、アムロも同じだったかもしれません。というか、地球には、ミライやフラウ、ベルトーチカなど多くの親しかった人がいるであろうことを考えると、そもそも地球にいるたくさんの親しい人たちというイメージがあったのかもしれません。
 シャアは地球にいる人間には(妹を除き)ろくな奴がいないという前提でアクシズを落としたわけですが、アムロはそこに大切な仲間がたくさんいると知っていた。その差が2人の差でもあったのかもしれませんね。アムロにとってアクシズを止めるための戦いは、「僕には帰れる場所がある」と思わせてくれた全ての人たちを守るための戦いであっただった、と考えると、まさにファーストガンダムから続く物語の延長線であったと言うことができそうです。
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コメント
コメント
ジュドーのリィナを傷つけられたときのプレッシャーはNT能力というより怒りとか強い意志がNTであるハマーンに強大にみえたんじゃないんですかね?
かつてアムロがドズルの執念のプレッシャーに圧倒されて悪鬼のオーラをみたように

NT能力とプレッシャーは厳密には同じではなくNT能力を有するから他者の意志の強さを感じれるというほうが正しいと思います
2013/05/04 (土) 12:24:40 | URL | 奈々氏 #-[ 編集 ]
F91やVで強化人間があまり居ないのは、戦争に伴うトラウマ持ちが余り居ないからかもしれませんね
モビルスーツが高性能化して、高コストな強化人間を作る意味が薄れたからかも知れないですが
2013/05/04 (土) 15:50:54 | URL | ナナシ #-[ 編集 ]
NTの能力の使い道
なんかのサイトで、NTは人の微弱な脳波を感じ、人よりも強く脳波を出すことができる人間だとされてました。そこでは兵器としてしか考察されてなかったんであれですけど。

人を想う気持ちが能力に関係してたり、大切な人を探すための能力って言うほうが、個人的にはロマンがあって好きですね。NT=強さの理由みたいなのよりは。
2013/05/04 (土) 19:28:49 | URL | ヒビキ #-[ 編集 ]
NTは当の本人が死に最も近づいた時に異常なほどのチカラを発現すると感じていました。
アムロはア・バオア・クーで死を覚悟したからこそ死者であるララアと接点を持ち、彼女の力を借りて仲間を救いました。
カミーユは、絶対に倒さなければいけない敵であり圧倒的に格上のシロッコを倒すには自らの生を考えてはいけないと覚悟したことで初めて、死者の力を借りられたと感じます。
CCAにおいてもアムロもシャアも死を覚悟したからこそアクシズショックが発動したと感じます。
ジュドーやシーブックは自らの生き死には関係なくNT能力を発動できるNTの新種とも言えるでしょう。
これらのことは監督である富野氏のメンタルに起因するものかもしれませんが、人類の革新であるNTすらも発展途上とすると、ガンダムや宇宙世紀の物語にはまだまだ終わりがないのかもしれません。
2013/05/04 (土) 21:09:50 | URL | shimora #Qi8cNrCA[ 編集 ]
>奈々氏さん
確かに、ドズルがニュータイプであったとは思えないので、相手がどうであれ強いプレッシャーがあればニュータイプはそれを感知できると解釈できますね。
ジュドーのその時の力は、最終決戦で発揮された力とは違うという可能性は確かにあると思います。

>ナナシさん
強化人間は単純に倫理と人道に反するに値するだけの効果が見込めなかったのかなと思います。
アムロに匹敵する兵士を楽に育成しようと思っていたけど、どうも無理っぽいからあきらめたということかなと。

>ヒビキさん
ニュータイプの能力は要するに宇宙空間で人間を感知する力なんだと思うんですよね。
それがレーダー代わりになるから戦争に利用されたというだけで。

>shimoraさん
アムロとカミーユ、ジュドーとシーブックの差だけで新旧を決めてしまうのは論理的には難しいかなと思います。
死んだ人間に想いを馳せたか、生きている人間に想いを馳せたかの違いとも言えますからね。
ただそれはある意味では分岐点であると言えそうです。新訳カミーユは、生きているファに意識を向けられたから助かったんでしょうしね。
2013/05/31 (金) 22:43:31 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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