がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
アムロにとってのララァと、カミーユにとってのフォウの違い
 ララァとフォウは、共にニュータイプ能力を持ち主人公と心を通わせながら、結局死んでしまうという意味で悲劇のヒロインとして同じようにみなされることが多いですが、キャラクターの位置づけとしては決して同じものではありません。そのあたりを、少し考察してみることにします。

 まずララァというキャラクターは、ファーストガンダムの終盤に登場し、アムロとシャアのライバル関係を単に敵軍同士だからというだけにしない、物語を語る上で欠かす事の出来ない存在です。
 またアムロの視点で見た場合、ララァは初めて遭遇する(自分以外の)ニュータイプです。それは同時に、アムロにとってニュータイプとは何なのかを教えてくれる存在であったとも言えます。というのも、それまでアムロはニュータイプ能力を発揮し始めていたものの、それは戦闘における敵位置の把握においてのみであり、それこそ後に「F91」で言われるような「パイロット適性のある人間」以上のものを見せていませんでした。当然アムロ自身も、自分の力がニュータイプと呼ばれるようなものであることなど知らず、単にその道の達人が見せるような集中力の高まりによる超感覚程度にしか自覚していなかったかと思います。
 しかしアムロは、ララァと出会うことによって、その能力が単に敵の察知のみに使えるものではなく、テレパシーに近い交信能力となり得ることを知ります。ア・バオア・クー脱出時にアムロの中に響いた「殺しあうだけがニュータイプだけじゃないでしょう」というララァの声は、まさにアムロ自身のニュータイプに対する理解であり、ララァ死亡後のアムロのニュータイプ能力の使い方は、ララァと出会ったからこそ習得したものであると言えます。
 なので、アムロにとって(そして視聴者に対しても)ララァは「ニュータイプとはどういうものか」ということを教えてくれる存在であった、と言うことができるのです。

 ララァがニュータイプというものを教える存在であったならば、フォウは強化人間というものを教える存在であったと言えます。登場時から強化されていることが明示されており、記憶を失っている事と強制的にニュータイプ能力を引き出された存在である事が強調されたキャラクターです。
 しかしカミーユにとっては、フォウが強化人間であるということよりも、もっと大きい意味がありました。それは、名前についてのコンプレックスを乗り越えるきっかけになった存在であるということです。
 カミーユが自分の名前にコンプレックスを持っていることは、物語当初からの設定ですが、カミーユはフォウの名前の由来がナンバ-4でしかないということを知り、考え方に変化が生じます。そしてホンコン離脱後の戦闘の際には、フォウに今でもカミーユって名前、嫌い?と問われ、TV版・劇場版で台詞は違いますが、好きだとはっきり言い切ります。強がりだった可能性もありますが、少なくともフォウという名前に比べたら親に付けられた自分の真の名前であることを気にすることなど、小さいことだと理解することは可能であったと思います。そして以後、カミーユが自分の名前を気にしている描写はありません。
 つまり、カミーユにとってフォウは、自分をコンプレックスから解放してくれる存在であったのです。それは、どちらかというとアムロにとってのララァより、シャアにとってのララァに近いと言うことができます。というのも、カミーユにとってフォウは、ハイスクールのクラスメイトたちのように「女みたいな名前の男」としても、またエゥーゴの多くの人々のように「アムロの再来のニュータイプ」としても扱わず、あくまでカミーユ・ビダン一個人として接していたからです。
 また、TV版でのフォウの死に方は、まさにアムロではなくシャア視点でのララァでした。というのも、アムロはララァを「殺してしまった」のであり、「自分を庇って死んでしまった」というのはシャアの視点だからです。カミーユがシャアのように、フォウは自分の母となってくれるかもしれなかった女性とまで思っていたかは定かではありませんが(どちらかというとエマに母の面影を重ねていた部分があるため)、フォウを失ったことは、自分を最も真っ直ぐ見つめてくれる人間を失ったことを意味し、ロザミアの中にフォウを見出して追いかけてしまったように、精神崩壊に向かう過程の中の一つのピースであったとも言えます。

 ただ、特にTV版ではそうなのですが、カミーユとフォウがかつてのアムロとララァのようになってしまうことを危惧するという描写はありました。アムロ自身がそう思っていたようですし、TV版ではミライもそれを気にしていました。それは何故かというと、アムロがそれだけララァの死に大きな影響を受けたからであると言えます。
 アムロがララァの死によって受けた影響としては、最も大きなものは「分かり合えた相手を自分で殺してしまった」という後悔であると思えますが、これについてはララァにとってアムロよりシャアの方が大切であったことをアムロ自身が理解しており(納得はしていないでしょうが)、その後シャアに「何故ララァを戦いに巻き込んだんだ」と責任を転嫁している部分もあり(間違いではないのですが)、どうしようもないことであったという理解もしていたのではないかと思います。
 それよりも大きいのは、ララァが死ぬ時の意思をダイレクトに受け取ってしまったことなのではないかと思います。そのことが精神的に与える影響が大きすぎて、一年戦争後は積極的にニュータイプ能力を行使する事を怖がるようになっていたのではないでしょうか。シャアの「ララァに会うのが怖いのだろう」という指摘も、宇宙でニュータイプ能力を行使する事で、アムロが死んだ時の感覚を思い出すのが怖い、という意味であると受け取れます。事実、シャアはアムロと再戦した時には「ララァが死んだ時のあの苦しみ、存分に思い出せ」と言っていますし。
 つまりアムロは、ララァの死を感知したことがトラウマになっていた、ということです。それは自分で殺してしまったという事実よりも、その感覚そのものに拠ることが大きいように思えます。

 アムロが危惧していたのも、フォウが戦場で死んでしまった場合、カミーユがその死を感知してしまうことで、甚大な精神的ダメージを受けてしまうことだったのではないかと思います。実際には、どちらかというとロザミアの死とシロッコの死が決定打であり、フォウの死についてはある程度割り切った姿を見せていましたが。
 というのも、カミーユとフォウの繋がりは、アムロとララァのようなニュータイプ能力を介したものではなく、シャアとララァのように、男女の関係をベースとしたものでした。そういう意味では、カミーユにとってフォウの死が大きかったとしても、それがニュータイプ能力を介した精神的ショックとは直接結びつかなかったのだと思います。

 つまり、もしララァとフォウを同列に扱うのであれば、それはアムロとカミーユとの関係というよりも、シャアとカミーユの関係において、ということになります。
 シャアはララァを失ったことから脱却する事はついにありませんでしたが、カミーユにはファというもう1人の母となり得る存在がいたために、(ZZ含むTV版と劇場版の両方で)救われる結果となりました。よく「逆シャアにカミーユがいたら」というような仮定が妄想されることがありますが、ファが健在である限り、カミーユはシャアの味方になることはなかっただろうなと思います。
 また逆に、シャアがカミーユのように高いニュータイプ能力を持っていたら、シャアもまたカミーユと同じような崩壊の道を辿ったかもしれません。そういう意味では、カミーユは「もしもシャアがアムロ並かそれ以上のニュータイプ能力を持っていたら」という想定で作られたキャラクターであるとも言えます。
 Zガンダムの企画当初のサブタイトルは「逆襲のシャア」であり、小説版ファーストガンダムの続編となる、シャアが主人公の小説として考案されたものでした。それがTVアニメとしてアニメのファーストガンダムの続編に作り直される段階で、カミーユという少年の主人公が設定されたわけですが、そのような経過を辿っていた事を考えても、カミーユが比較されるべきはアムロではなく、シャアだったのでしょう。
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コメント
コメント
シャアは四度名を替えてまで、
過去を捨て(隠)依うとします。
カミーユに修正を喰らわされ、
宿命を背負い宏道する訳です。
ジュドーは妹を助く寄う純粋、
親居ずも仲間と艫に切り抜く。
或観、対照的な気が至攵ます...
2012/08/12 (日) 04:12:53 | URL | カズラキー #-[ 編集 ]
>ララァにとってアムロよりシャアの方が大切であったことを

この部分は『密会』を読む限りだと、ララァにとっては アムロ>シャア に思えます。しかし、これが後だしゆえの趣旨変更なのか、当初からあくまでもそうだったのかは、判断にやや迷いますね。

アニメ(フィルム)描写だけだと、シャアを庇ったという一点から シャア>アムロ に思えますものの、場面上あくまでも"咄嗟でのこと"とも観える動き方なので、余計シロクロがつけにくいところです。

あと本題のカミーユとフォウの関係が、アムロとララァのそれではなく、むしろシャアとララァの関係だという指摘には目から鱗。

フォウを殺したのはジェリドなので、単純にアムロとララァの関係に当てはめて考えるのは一つの落とし穴だよ、みたいな話しは比較的よく聞きますけど、今回の視点は管見ながら初見でした。興味深く読了。
2012/08/12 (日) 06:56:47 | URL | 松裕堂 #6eUroIng[ 編集 ]
>カズラキーさん
ジュドーとシャアは育った環境が根本的に対照的ですからね。
シャアは本当は、ジュドーのような人生を送りたかったんじゃないかとは思います。

>松裕堂さん
確かに「密会」ではララァはアムロに明確に惹かれていましたね。
アニメでも人間としての相性は明らかにアムロとの方が良かったんだと思います。
ただララァはシャアに救われていて、その恩返しのために戦っているので、シャアを捨ててアムロに走るという選択肢はそもそもなかったんじゃないか、と思います。
妻が他の男にときめいても、結局夫の元に戻るてきな感じで(笑)

フォウがキリマンジャロで死んだ時、「同じ…か」と言ったのがシャアの方だった、というのは他の方の考察で見た事があったので、ちょっと影響されてます。
アムロの「人は同じ過ちを繰り返す」というのは、ニュータイプの少女を戦いの道具にして死なせる、という部分を言っているんじゃないかと思うのです。
2012/08/15 (水) 23:19:28 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>ファが健在である限り、カミーユはシャアの味方になることはなかっただろう

「新ギレンの野望」だと良くて中立、悪くて連邦参戦なところが良く再現出来てるのかな?

でもなぜかアムロのネオ・ジオン参加ifルートはある(笑)

2012/08/16 (木) 07:08:21 | URL | とっぱ #B8xSsyyA[ 編集 ]
アムロのネオジオン参加は小説版設定の延長じゃないですかね(笑)
アムロがもし死んでなかったら…的な。
2012/08/25 (土) 16:49:04 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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