がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
劇場版ファーストを1作ごとに話が完結するよう整理する
 劇場版ファーストガンダムが名作なのはガノタ的に疑いのない事実ですが、シナリオ的な意味で見ると、所詮TV版のダイジェストに過ぎず、劇場作品単体としてみた場合しっかり話としてまとまっているかというと、微妙なところです。
 しかし、ちょっと再構築すればそこそこに3部作っぽいエピソードにできるのではないかと思い、考えてみました。

(1)第一作
 一作目は一番内容が雑多になっている部分なのですが、その結末は「再会、母よ」で締められています。つまりここから逆算した場合、一作目のテーマは「アムロの親離れ」とすることが可能です。
 アムロは母と離れて暮らし、父も仕事でほとんど家にいない生活をしていたようです。ただ隣に住むフラウ親子が面倒を見てくれていたおかげで、どうにか生活ができていました。アムロ自身はそんな生活に大きな不満を思っているわけでもなく、ただ機械をいじってばかりの内向的な少年に育っていました。しかし父の帰還とともにコロニーはジオンの襲撃を受け、アムロはおそらく「珍しく」父を頼りにしなければならなくなります。しかし父は状況に対応するのが精一杯で、逃げ場を教えてくれただけに留まります。代わりにアムロの目の前に現れたのが、父の仕事の成果であるガンダムでした。
 このような流れであるため、アムロにとってのガンダム=父の成果物、と捉えることが可能です。実際に乗って動かしてみることで、アムロはろくに姿を見せない父がいい仕事をしていたのだと気づいたのかもしれません。高性能なガンダムは実際にその性能差でシャアを退け、自らの命と仲間を守ることが出来ました。
 いつも仕事でろくに家にいない父親の偉大さを、その仕事振りから知るというエピソードを加える事で、このようなストーリーにする事が出来ます。

 しかし、やがてアムロは戦いに疲れガンダムに乗ることを拒むようになります。ここでアムロはブライトに二度ぶたれ、フラウの言葉とシャアへの対抗意識が決定打となって再びガンダムに乗ることを決意します。ここは一作目の一つのハイライトとなるべきシーンです。
 これまで父の仕事の成果=ガンダムの超性能に頼るだけだったアムロが、自ら能動的にガンダムに乗り、おそらくマニュアルには載っていないであろう新たな戦い方(アムロ・レイの空中戦)を編み出して敵を撃破していく…という流れは、ガンダムが父の象徴ではなく、アムロの力を表現するツールに変わる瞬間でもあります。ある意味では父離れし、自らの判断で行動するようになることを描いていると表現できます。

 次に行われるのが、母離れです。地球に降りた時点で、アムロにとってそれは母に近づいた事を意味します。降りた場所が北米ならなおさらで(劇場版設定だとアムロの実家は北米)、この時点でアムロは機会があれば母の元を訪れたいと考えてもおかしくはありません。アムロにとってすでに唯一の肉親のはずですからね。そのためにはまず北米のジオン軍を撃退しなければならないということになれば、アムロが直接ガルマ隊と戦う動機も生まれます。
 その後は「再会、母よ…」のエピソード通り。ホワイトベースが地球に帰ることになった時点で、アムロの個人的な目標が母の元へ帰ることということにしておけば、それで一貫した物語になるのではないかと思います。アムロはマザコン気質ではないので、あんまり母のことばっかり考えてるとちょっと違うキャラになってしまいますが。住んでた家が被災して、母の待つ故郷へ帰る高校生というくらいの描写にとどめておけば普通でしょう。

(2)第二作「哀・戦士」
 二作目で描かれるのは、アムロにまつわるキャラクターに限ればランバ・ラルとの戦いとマチルダとの別れ、そしてウッディの死と言えます。これはまっとうな大人がまっとうな仕事を貫いた結果死んでしまう、という流れであることを意味します。それも代理の父、母と言えるような大人と心を通わせ、生き様を学び、そして死別するという形になるので、基本的には悲しみを乗り越えて成長していくアムロ、というストーリーになります。

 ランバ・ラルはアムロ自身がパイロットとして戦う上での一つの目標となり得る存在でした。まだ生身の姿を知らなかったシャアとは違い、顔を見知った上で死力を尽くして戦うことで、単に敵としてではなく純粋に戦士としてリスペクトできた存在がラルであると言えます。ドモンと敵対した後のマスターアジアみたいな存在でしょうかね。
 マチルダはアムロが初めて異性として意識した女性なのではないかと思います。ただ恋愛かというとそこまでのレベルではなくて、憧れとか母の代替といった側面を含むものですね。彼女の魅力は外見よりも、己の信念を貫いて前線で職務をこなすカッコよさにあるのかなと思います。ベルトーチカにもチェーンにも通じる部分ですかね。
 マチルダがアムロに与えた影響のうちでも、最も大きいのが「あなたはエスパーかもしれない」という台詞なのではないかと思います。それまでのアムロの活躍はガンダムの性能に拠るところが大きく、ラルからもそのMSの性能のおかげだと言い切られるのですが、マチルダはガンダムが凄いのではなくアムロが凄いのだ、ということを教えてくれるのです。確かこのあたりでアムロにニュータイプ的な勘の描写が出始めたと思います。マチルダの存在は、アムロのニュータイプとしての覚醒に寄与している可能性があります。
 ウッディは前2人に比べるとインパクトは薄いのですが、ラルのように強く、マチルダを死なせなくてもすむように強く、というアムロのもっと自分が戦局を支えなければという意識の高まりを諌めた重要キャラです。逆に人はできることをあるべきポジションでこなすしかない、ということをアムロに教えるのですが、そのウッディが持ち場を離れて無謀とも言うべき攻撃をシャアのMSに仕掛けるというのが一つのドラマとなっています。普段は収まるところに収まっていても、本当にやらなきゃいけない時はなにがあってでもやる…というような生き様は、その後連邦の一パイロットとして生きながら、自分の力でアクシズを止めようとするその後のアムロに通じているような気もします。

 このようにまとめると、アムロが少年から戦士へと成長していく過程の物語という描き方ができるのではないかと思います。2作目は宇宙に上がるところで終わりますが、これは制式に軍人として任官して初めて任務に赴くシーンでもあります。軍用兵器を扱っているだけの民間人から、制式に軍人として戦う決意を固める過程を描く物語、という形にすれば、カイとミハルのエピソードにも意味が生まれるでしょう。

(3)第三作「めぐりあい宇宙」
 三作目はなんといってもララァとの出会いが全てです。すでにアムロはニュータイプとして開眼し、連邦軍内でもホワイトベース内でも突出した兵士となっています。そんな無双状態にあったアムロと偶然出会った「同類」は、敵軍のパイロットであり同年代の少女(しかもライバルの彼女)だった…という話ですね。
 三作目については、改めて解釈し直すエピソードはほとんどないかと思います。アムロは新時代の希望となり得るニュータイプだった、同じく希望として期待されていたララァとそれに人類の理想を見たシャアはアムロと互いに最強の戦力として戦わざるを得ない、その中で感応するアムロとララァ、そこに割って入るシャア…という流れです。あとはご存知の通り。
 ニュータイプとは何か、それは理想の人類だとするシャアと、そんな綺麗なものじゃないと理解しているアムロ、その中で目覚める新しいニュータイプ(カツレツキッカ)、どういうものかはともかく、それは次の時代への可能性なんだよ、というところで終わるのがガンダムの物語です。

 こうした流れを見ると、たまたまガンダムに乗ることになったアムロが、戦場で成長していき、あたかも特別な存在であるかのように覚醒したけど、それはアムロ自身が特別だったわけではなくて、新しい時代の萌芽だったんだよ、というのが一連のストーリーと言えるのかなと思います。

 そう考えると、ZやZZの物語は、ニュータイプ自身が自分が特別な存在であると誤解して世界を思い通りに動かそうとして、主人公であるニュータイプに止められる話なのかなぁと思います。
 逆シャアはアムロとシャアの戦いの延長ですね。ニュータイプを来るべき未来の人類としてその覚醒を早めようとするシャアに対し、そんなことをしなくても俺たちがまずニュータイプとしてあるべき見本を見せれば変わっていくんじゃないかと考えるのがアムロ、というところでしょうか。同じニュータイプでありながらニュータイプを他の未来の誰かとするシャアと、自分自身であるとするアムロの戦いで、その違いはララァと分かり合えたか否かの違いだった、という話でもあります。次の時代のためにニュータイプは何が出来るか、ということですかね。

 こうして考えると、ニュータイプってのは若く新しい、既成事実を打ち破る何かの象徴とも言えそうです。だからそれを恐れて古い世代は封印しようとするし、それを持つ新しい世代が今をぶっ壊そうと暴走したりするということなのでしょう。
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コメント
アムロの母親は一年戦争後も存命だったんでしょうが、アムロからは完全に絶縁されたみたいなんですよね。(軍の都合も否定しないけど・・)

いずれの場合でも自分が戦ってきたことを頭ごなしに否定されてしまうとアムロとしても立つ瀬がなかったんだろうなあと思ってしまう。

変な意味になるのかもしれないけど、ウッソの母親の方がそのへんは息子を褒めているんだよね・・・内容はともかく。

第一部の締め方が相当に変わってくるのかもしれないですね。
2012/04/10 (火) 18:21:47 | URL | ドクトルK #-[ 編集 ]
まぁアムロは母の元に戻る気はさらさらなかったでしょうね。
アムロは戦後有名人になったみたいですが、母カマリアとしては非常に複雑だったでしょうね。もう完全に自分の子ではないと思ってそうです。
2012/04/14 (土) 19:50:00 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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