がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
アムロがア・バオア・クー脱出時に発揮したテレパシー能力について
 ファーストガンダムのラスト、ア・バオア・クー内で戦い続けるホワイトベースのクルーたちに、アムロがニュータイプ能力で呼びかけるシーンはストーリーのハイライトと言えます。
 しかし、この能力はそれまでのアムロが見せたニュータイプ能力から比較しても、あまりにも高レベルなものです。なぜなら、それまで同じニュータイプの中でも特に相性の良いであろうララァとのみ、意思の疎通が可能だったアムロが、突然複数の、ニュータイプでない人間も含めた仲間たちに一方的にメッセージを送る事ができるようになったからです。それも、ア・バオア・クーの構造を把握して、適切に脱出経路を教えているわけですから、その感度は半端ではありません。
 しかも、アムロはサイコミュを全く介していません。おそらくこのときのアムロが、逆シャアまでの全ての作品内において最も高いニュータイプ能力を発揮した瞬間だったと考えています。

 何故、この時アムロの能力が最も発揮されたのでしょうか。

 映像上の描写だけを見れば、アムロは死を覚悟しながらも、ララァの声の導きにより仲間の位置を把握し、導いた上で自らも脱出した、というシーンになります。このことから、アムロの能力はララァのアシストにより発揮されたように思えますが、このララァは一体どこから沸いて出たのでしょうか。
 ZやZZにもこのような幽霊現象的なものは登場しますが、それらはZガンダムやZZガンダムのバイオセンサーを通してのもので、それもカミーユやジュドーの意思が相手に伝わる事で、相手にそのイメージが見えるという描かれ方をしています。しかし、このシーンでのララァは決してサイコミュによるものではなく、またアムロの脳内にのみ感知されている声だけの存在です。
 言ってしまえば、この瞬間ララァはアムロに「宿って」います。しかもララァは死後一度もアムロの中には登場していないのに、この時唐突に現れています。一体何故でしょうか。

 オカルト的な解釈を極力排除した場合、ララァの声が聞こえた理由に「場」や「装置」が介在していないことから、アムロ自身のみに理由があると考えられます。つまりアムロはララァを思い出すことにより、ニュータイプ能力を飛躍的に拡大させたのだ、という推測が出来ます。
 ララァとの出会いとその死別は、アムロのニュータイプ能力に極めて大きな影響を与えたのかもしれません。ララァの死後、アムロはソーラ・レイの発射と、それにより消えていく人々の意思を感知していました。かなり離れた場所で複数のニュータイプでない人間の意思まで感知できたというのも、高い能力の表れと言えます。これくらいの感度がもっと前から備わっていれば、アムロはコンペイトウを攻撃するララァの場所くらいかなり正確に把握できたように思えます。
 つまり、アムロはララァの死を通して完全に「覚醒」したのかもしれない、ということです。シャアとの決闘で傷を負い、ノーマルスーツの酸素も少なくなってきた中で意識が混濁した状態で、改めて集中力が発揮された結果、ア・バオア・クー内での超常的な能力の発露に至ったのではないでしょうか。

 そんなアムロの覚醒も、7年間の軟禁生活でかなり錆びれてしまったのでしょう。パイロットとしての技術は健在であっても、当時のレベルのニュータイプ能力は発揮できませんでした。それどころか、逆シャアの描写を見るとララァの夢を見ることが苦痛であったようなので、逆にララァの記憶は自らの能力を縛る方向に変化してしまったのかもしれません。

 ちなみに、アムロのテレパシーと同等の能力を、カミーユはダブリンで発揮しています。単独で出撃したプルの状況を把握した上でアドバイスを送り、別の場所にいるジュドーたちにその危機を知らせていました。カミーユのこの能力も、シロッコにより廃人にさせられる以前には発揮されたことのないものです。
 カミーユの場合、その能力発現のトリガーは、プルやジュドーたちかもしれませんが、あの時プルが単独で出撃したのは、グレミーのサンドラを迎撃するためでした。そのサンドラにはサイコガンダムMk-IIが積まれていましたので、それに反応したという可能性も考えられます。カミーユが壊れる決定打の一つとなった、ロザミアが乗ってた機体ですからね。
 ただ、カミーユがサイコガンダムに反応したのであれば、もっとネガティブなリアクションになっていてもおかしくはありません。それがプルを助けるために能力が発現したということは、フォウやロザミアの記憶がネガティブなものではなく、彼女達と同じように救いたいという気持ちに作用したのかもしれませんね。
 そう考えると、カミーユが壊れてしまったのは、フォウもロザミアも救えなかった、という自責の念に大きな理由があったのかもしれません。


 このように考えると、ララァやフォウ、ロザミアといった「悲劇のヒロイン」の死は、ニュータイプ能力の大きな発現に影響しているのかもしれません。そういえばジュドーは終盤にプルツーと対峙したときは、常時プルの意思をまとっていたような状態でした。そしてグレミーと対峙したときに至っては、地球にいるリィナにまでその意思を届かせています。
 最も強く交感した異性の死、というものが、ニュータイプの覚醒のキーワードだったのかもしれません。
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コメント
コメント
確かに深く交感した異性の死は(一時的かも知れませんが)ニュータイプ能力発現のきっかけになっている節はありますね。ウッソは交感した異性が死亡してなかったためか最終決戦で死者が話す場面がありませんでしたし。

後年の小説「密会~アムロとララァ~」ではアムロと死亡後のララァが調度ジュドーと死亡後のプルのように会話している場面があり、ホワイトベースの皆の元に戻す時にララァに対していつでも会えるから帰っても良いよねとアムロが語っています。この時点ではアムロの拠り所がララァしかいなかったのが、ベルトーチカそしてチェーンと出会った事でララァのトラウマを振り切れたもののこれもニュータイプ能力的にはマイナスだったのかもしれません。
2011/11/13 (日) 22:32:27 | URL | 匿名希望 #-[ 編集 ]
でもアムロが呼びかけられたのも彼が知っている人たちだけなんですよね。

アムロもあの時、生きるか死ぬかの狭間で意識がもうろうとしていた状態でした。

「死ぬような目に合えば覚醒する」ウモン爺さんがトビアにいった言葉ですが、アムロもあの時、火事場の馬鹿力的に能力を拡大させてしまったのかもしれませんね。

ただ、ララァをも感じてしまう能力の拡大は逆に彼のトラウマを刺激する結果になったんでしょう。

能力をむしろ抑え込む方向を選んだのかもしれませんね。

まあ、逆に拡大するに任せたなら、ウッソのようなことになったのかもしれませんが。
2011/11/17 (木) 20:10:46 | URL | ドクトルK #-[ 編集 ]
>アムロが呼びかけられたのも彼が知っている人たちだけなんですよね。
「ガンダム ザ ライド」は流石にノーカウントなんでしょうかね。
やっぱ。
2011/11/18 (金) 06:38:59 | URL | 松裕堂 #6eUroIng[ 編集 ]
アムロに関して言うとスードリのシャトル用ブースターでカミーユが宇宙に戻る際、面識すら無いフォウの言葉を読み取るという神業を見せています。富野監督が遠藤脚本をチェックしきれなかったのか、あれはあれでなにか理由があるということなのか、当時から不思議に思っています。
2011/11/18 (金) 20:05:14 | URL | #-[ 編集 ]
>匿名希望さん
密会だとセイラやフラウの側からアムロへの語りかけもあったりして、
富野監督の意図の変化は見られるように思いますね。

ララァとは地球で軟禁されたことで「いつでも会える」状態ではなくなったような感じがしますね。

>ドクトルKさん
確かに単純に火事場の馬鹿力に近いものであったと解釈する事もできますね。
アムロの場合、戦後に政治家達が恐れるくらいには能力を発揮していた可能性もあるのかなと思ったりします。
軟禁されなければ拡大し続けていたのかもしれません。

>松裕堂さん
実はジャックと知り合いだった可能性も!(笑)

>名無しさん
Zガンダム劇中では結構そういう描写多い気がします。
ただアムロはホンコンの時点でフォウのことをある程度気にしてたっぽいので、
常に注意を向けていたんじゃないかと思います。
2011/11/20 (日) 00:26:40 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
強く交感した異性の死によって発現する

なんだか悲しいですよね 結局人間はニュータイプなどになりうる可能性を
秘めていても
すべてに万能じゃないって ことなんですかねえ

悲しみを力に変える
つらいですね
2011/11/26 (土) 11:03:54 | URL | ロウ #iuu1KR5A[ 編集 ]
ニュータイプ能力が拡大するのは、一番共感し合えた相手がいなくなって、それをどこまでも探そうとするから…なんてロマンチックな解釈も可能かもしれませんね。

シーブックはセシリーを(生きてたから)見つけ出せましたが、それ以前のニュータイプはみんな探せなかったと。
そういう意味ではまさにF91で新時代の幕開けだったということになるんでしょうかね。
2011/11/26 (土) 22:25:14 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
サイコウェーブの増幅能力のあるサイコミュ系デバイスの有無ってNT能力にとってかなり大きと思いますよ

小説のZだと
富野がアムロとララァの違いを描いていて
ララァ(エルメスのパイロット)とアムロの違いとして、ララァと違いアムロはNTの精神の邂逅にアムロはサイコミュを必要としなかったことを描いてますからね



あと
OTにはNTとESPの区別がつかない(その感覚がないため理解できない)、それがNTへの恐れとアムロの幽閉につながっている
「NTだってエスパーじゃない」はアムロがNTだから言えることで、感覚をもたない人間には理解できないってこと (OTにはNT=エスパーにしか見えない)





Z以降のNTはおしなべてサイコミュデバイスつきの機体にのってるので、邂逅しやすい環境にあるといえますね

ベルチルからハイストで、アムロはサイコミュデバイスを精神を突出させる感覚が嫌だと嫌ってるので、能力の拡大を嫌がったのはまちがいないでしょう
2011/11/30 (水) 14:39:16 | URL | 犬 #HfMzn2gY[ 編集 ]
ある意味ではダンバインのオーラコンバーターに近い考え方が富野監督の中にはあったのかもしれませんね。
もう少しサイコミュの影響があるからみんな感度が上がっている、というような演出があると作劇のわかりやすさが違ったようにも思います。
2011/12/10 (土) 15:52:58 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
ララァの死がアムロの能力を飛躍させたという考えには賛成です。

強化人間の例でいえば、アクシズの刷込みとは違って、ティターンズの場合トラウマを利用しているようです。

ロザミアの「空が落ちてくる」、フォウの小説での友達の死など。

もしかすると、アムロの戦後の聞き取り調査で得られた知見を元に連邦での強化人間への育成基準が定まったのかもしれないですね。
2011/12/12 (月) 17:17:28 | URL | ・・・ #-[ 編集 ]
あーなるほど、強化人間がトラウマを能力の拡大に利用している事と関連付けることもできますね。
シャアはそのトラウマから姑息に逃げることができる賢しさを持っていたから、覚醒しきらずなり損ないで終わっちゃったんですかねぇ。
2011/12/19 (月) 22:13:52 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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