がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
シャアが「ニュータイプ」に求めたもの
 「革命家」としてのシャア・アズナブルでも触れましたが、シャアというキャラクターは、ニュータイプという存在が現実に存在し、全人類がニュータイプとなることで世界は平和になると考えていました。その思想はジンバ・ラルから受け継いだものであり、またララァ・スンとの出会いにより現実性を感じた、というのが前述の記事で書いたことです。

 シャアがニュータイプの具体性に希望を見出した要因が、個人的に親しくなったララァにあるのであれば、シャアにとってララァはニュータイプとして理想的だったことになります。
 ララァは確かに高いニュータイプ能力を持っていましたが、地球出身だったり売春婦(と思われる)出自であったり、あまりジオン・ダイクンが理想としたニュータイプとして相応しいとは言えません。
 ではシャアは、ララァのどこにニュータイプとしての理想を見出したのでしょうか。

 そのヒントになったのは、これまで何度かシャアというキャラクターについて考察してきた結果の積み重ねでした。
 シャアは、人から役割を求められることが好きではないキャラクターです。だからアクシズで指導的立場を取ることも避け、エゥーゴでも1パイロットに甘んじ、ブレックスの後継者としての責務を放棄して姿を消しました。ネオ・ジオンの総帥となっても、自らの立場を道化と自嘲し本来あるべき姿ではないと感じていたようです。
 自分は自分の思う通りに行動したい、という性格が滲み出ていると言えますが、その背景には彼の出自があるのではないかと思います。つまり、彼がジオン・ダイクンの息子であるという事実から、逃げたいと思っているのではないかということです。
 シャアはザビ家への復讐を果たすために、偽名を使ってジオン軍に入隊しています。しかしおそらくジンバ・ラルが望んだのは、ジオンの後継者としていずれサイド3の国家元首になることであったのではないかと思います。シャアはそれを避けるために、復讐と称してダイクンの名前を捨て(実際は当時の性はマスですが)ジオンの一兵卒から自分の人生を再構築しようとしたと考えることもできます。ファーストの時点ではそこまでの推測は難しいですが、Z以後の彼の行動を見ると、そう考えてもおかしくないのかなと。

 また一年戦争以後は、ジオンのエースであるシャアとして見られることさえ避けている印象があります。あくまでもクワトロ・バジーナという連邦軍の一士官であることに留まろうとしています。シャアとして第二の人生をスタートしたはずが、そのシャア名もまた英雄の偶像の受け皿となってしまい、再度(連邦軍に潜入するという名目で)名を変えて人生をリセットしたとも言えます。

 何が言いたいのかというと、シャアは「国家元首の息子」だの「ジオン軍の英雄」だのという肩書きを通して自分を見られることを極端に嫌がっているのではないか、ということです。言い換えれば、そういった血筋や実績という色眼鏡を通さず、一人の独立した人間として見てほしい、という気持ちがあるのではないかと思うのです。
 著名な芸能人やスポーツ選手の子供は、どうしても○○の子供という見方をされてしまい、正確に評価してもらうのが難しいと聞きます。また実績が大きすぎると、なんでもできる人間に見られてしまうことが多いです。高学歴の人間がその典型的な例でしょう。東大卒の人は成功すればさすが東大卒、失敗すると東大卒のくせに、と言われてしまうことがあるかと思います。
 シャアはそういう見られ方をされるのが本当に嫌だったのだと思います。それはもちろんジオンの息子として生まれ、周囲の人間からもそうとしか見られてこなかったからなのでしょう。

 そして、ララァ・スンです。彼女はニュータイプであり、おそらくは純粋に一人の人間として肩書や経歴にとらわれずシャアという男性を見ていた数少ない人間のはずです。それはシャアにとって、まさに理想的な存在だったことになります。
 つまりシャアは、「人間の本質を見抜ける存在」としてのニュータイプに理想を見出していたのではないか、ということです。言い換えれば、「自分を本当にわかってくれる人間」こそがニュータイプであるということです。その意味で、ララァはあまりにもシャアにとって都合がよすぎる女性でした。
 そしてシャアにとって「人類すべてがニュータイプになる」ということは、全ての人間がシャア本人を個人として評価する世界になることを意味します。誰も彼をジオンの息子や、一年戦争の英雄として見ない世界。それこそが彼の望んだものだったのではないでしょうか。

 その意味で、アムロはおそらく真のニュータイプではありませんでした。アムロにとってシャアはあくまでもジオンのエースパイロット、倒すべき敵です。アムロがいかにシャアの本質を理解したとしても、立場が敵対している以上戦わざるを得ません。だからシャアは一年戦争の時点で、アムロの存在を容認することができていませんでした。どう見てもニュータイプなのに、自分のことを理解してくれないからです。そのアムロがララァとは分かり合えた上に、意図せずとはいえ殺してしまったわけですから、シャアにとってアムロはどうしても許せない存在になってしまったのです。
 シャアにとって、ニュータイプは自分を理解してくれる存在であり、同志でした。だからアムロに一度は「ならば同志になれ」と言っているのです。ニュータイプなら自分の味方になれ、ということです。シャアにとってニュータイプは人類の理想ですから、相手が敵対してこないのであれば味方です。

 シャアにとってアムロが許せなかったのは、単にララァを殺したから、あるいは自分を受け入れてくれるニュータイプではなかったからだけではなかったと思います。最も大きいのは、「アムロはララァと分かり合えた」ということではないかと思います。
 ララァはシャアのことを理解してくれたかもしれませんが、シャアはララァのことをどれだけ理解していたかは微妙なのです。というか、アムロはララァと一瞬で分かり合って見せましたから、シャアよりも分かり合えたいたのは間違いないかと思います。
 自分の理想であるララァと、自分以上に分かり合えた存在がいたこと、それがシャアにとって許しがたかったということなのだと思うのです。好きな異性がいて、その異性も自分と仲良くしてくれているけど、その異性には自分よりももっと親しい同性がいる、という状況ですね。

 シャアはサイコミュを動かすことができましたし、ニュータイプとしての素養はあると思うのですが、シロッコにはなり損ないと言われていました。その裏には、「アムロはララァと交信できたけど、自分にはできなかった」ということがあるのではないかと思います。その事実が、自分がニュータイプであると信じることができない要因となり、ニュータイプになりきれなかった、のではないでしょうか。
 ララァ以外に分かり合えるニュータイプと出会えればよかったのでしょうが、不幸にも次に出会ったニュータイプはハマーン・カーンでした。ハマーンはどちらかというと、相手を理解するよりも自分を理解してもらいたいタイプ、要するにシャアとは似たタイプの人間でした。お互い自分を分かってもらいたいと思っているわけですから、うまくいくはずがないですね。

 そう考えると、ニュータイプだからシャアのことを理解できるというわけではない、ということが言えると思います。ララァだけがシャアを理解したというのは、ララァがニュータイプだったからではなく、単にララァという人間だったから、なのではないでしょうか。しかしシャアはそれをニュータイプだからだと理解し、自分を分かってくれるか否かの基準にしてしまった。そのことがシャアの進むべき道を誤らせてしまったような気もします。

 シャアにとって最大の不幸は、ララァという女性がニュータイプの素養を持っていたこと、なのかもしれません。
スポンサーサイト
コメント
コメント
シャアは強化人間(人工ニュータイプ)は嫌っているみたいですね
うな重を好きな人でも天然ウナギは好きだが養殖ウナギは嫌いみたいな感じですね。
まあ、強化人間はフォウなど本人を苦しめて記憶を消して(あるいは都合よく別の記憶を植えつけて)思想や性格まで変えて戦士にするわけですから、やってはいけない邪道な手段と判断して当然だと思いますけどね。

最後に出会うニュータイプはギュネイとクェスですけどね。
クェスはララァの再来、ギュネイは弟分みたいな存在でしたけどね。
2011/02/12 (土) 21:56:07 | URL | 名無しです。 #-[ 編集 ]
>シャアは強化人間(人工ニュータイプ)は嫌っているみたい
どうなんでしょう?「Z」でハサン先生がロザミアを調べたデータから強化人間の結論を出した時にカミーユに比べて理解を示しました。感情と理屈は別の場合もありますが…。

シャアに関しては、あるサイトで「帝王の器に小市民の魂を宿した男」と指摘されていました(笑。


2011/02/14 (月) 08:58:21 | URL | 巨炎 #mQop/nM.[ 編集 ]
思えばシャアはロザミアやサラの事を最初から最後まで「強化人間」と決めつけていましたね(特にサラは強化人間であるという決定的な描写はなかったはず)
シャアにとっての「ニュータイプ」が自らを理解してくれる人なのであれば戦いの道具としてつくられた「強化人間」を「ニュータイプ」と認められなかったのもわかります
またララァの再来と呼ばれたクェスは彼にたいし「父親」という役割を与えてしまったために道具として扱われましたが、彼をあくまで「一人の男」として接したナナイのことは公私ともにパートナーとしていたのもポイントなのではないかと思います
2011/02/14 (月) 18:44:11 | URL | うま #-[ 編集 ]
例えば、はじめて出会ったアメリカ人が親切であれば「アメリカ人はいい人」、逆に冷たくあしらわれたら「アメリカ人は悪い奴」と1つの事象を全体化してしまうのに、似ていますね。シャアの人間臭さが感じられます。

ジャブロー建設工事で「一人の若い作業員」として働いていた頃が、意外と充実?していたのかもしれないですね。
2011/02/15 (火) 13:51:57 | URL | #-[ 編集 ]
>名無しです。さん
シャアの中では強化人間は邪道だったのだと思いますが、
核の冬にしてニュータイプへの進化を待つというのもだいぶ急進的なんですよね。
発想や目的はちがっても早くニュータイプを増やしたいという思いは同じだったようにも感じます。

>巨炎さん
パイロットとしての強化人間と、人類の希望としてのニュータイプは区別して考えていたように思いますね。
だからこそギュネイを使っていた側面もあるのでしょうし。

シャアは小市民でありたいと思いながら自分は優秀だとも思っているところがまたリアルなんですよね(笑)

>うまさん
ナナイはナナイでシャアの気持ちを見抜こうとしていたりする描写がありますが、
ララァのように本質をズバッと突いてやんわり見守る、ということはできていなかった印象があります。
ニュータイプ能力のないララァには最も近かったかもしれませんが、
シャアのわかって欲しいところまでは届いていなかったようにも思いますね。
クェスに嫉妬したりしてましたし。

>名無しさん
ララァより先にNTに覚醒したアムロに出会っていたら、
NTを脅威だと感じてEXAM的思考に陥っていたかも知れませんね(笑)

ジャブローの工事ってジ・オリジンの話でしたっけ?
シャアは誰からもプレッシャーをかけられない環境で自由に動き回りながら着々と目的に近づいていく時に一番充実を覚えていそうです。
2011/02/15 (火) 23:02:57 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
これは鋭い分析、眼から鱗でした。

実際、天下国家を論じる人が、
個人的体験を知らずその理論に反映してしまってるケースって
地味に多い気がしますし……。

シャアにとっては不幸な錯誤なのでしょうが、
でもそういう所も作中人物としてはちょっと魅力に感じてしまう私w
2011/02/16 (水) 10:52:36 | URL | zsphere #mgsj5vwc[ 編集 ]
ありがとうございます。

まぁララァがニュータイプじゃないとガンダムの物語が成立しませんし、
凄く強くてカッコいいはずなのに情けなかったり弱い一面があるってのは魅力になるんですよね。
2011/02/22 (火) 22:09:55 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2017 がんだまぁBlog all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.