がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
機動戦士ガンダムUC 9巻・10巻
 やっとこさ読み終わりました。読んでいて感じたのは、「福井氏にとってのガンダムって小説版ファーストガンダムなんだな~」ということ。確か元々小説版のガンダムで富野監督を知ったとかじゃなかったっけか。SEEDとか、ZZとか、アニメ作品と比較して見てきましたが、本当に比較すべき作品は小説版ガンダムだったんだなというオチでした。

 で、何が小説版ガンダムっぽいかって、まずはアンジェロの過去ですよね。あれって男女逆になってるだけで、ほとんどクスコ・アルじゃないですか。NT同士の感応で相手のトラウマを知ったら、それが性的に凄惨な過去(家族を巻き込んだ)だったっていうパターンは完全に同じですよね。で、描き方は別として、同じような過去をマリーダもジンネマンも持っていたわけで。そこ一辺倒ってのはどうなのよと思ったんですが、なんとなく福井氏にとってはクスコ・アルというキャラクターのインパクトが大きかったのかな、と思いました。
 もう一つはマリーダの死に方の扱いですね。マリーダを直接殺したのがあまり接点のないリディ、というのは、アムロを殺してしまったルロイ・ギリアムに近い描写だったのかなと思いました。そういう意味ではマリーダが「小説版ガンダムにおける」アムロ・レイの立場だったのかも知れません。ある意味影の主役的立場ですし。
 とはいえ、マリーダは悲劇のヒロインポジションでもあり、かばって死ぬというところはまさに歴代悲劇のヒロインと重なるところがあります。しかし、マリーダはバナージの恋愛対象とは言い難い存在でした。これはララァに例えるのであれば、アニメのララァじゃなくて小説版のララァだったように思います。アニメではララァはアムロに強い影響を与える、ある意味ではメインヒロインとも言える存在でしたが、小説版のララァはそこまで大きな存在ではないんですよ。「女性」としてのヒロインはセイラですし、アムロに覚醒のきっかけを与える程度の存在でしかない。そういう役回りがマリーダだったのかなと。

 こうして見ると、このガンダムUCの原風景が小説版ファーストにあるというのがなんとなく見えてくるんですね。「システム」なんて呼称も思いっきり使ってましたけど。
 ただ、最後はTV版Zガンダムの否定(俺の身体をみんなに貸すぞ!)をやったり、福井版∀というかイデオンというか、ダンバインっぽい部分もあったり、富野的世界観が包括されてはいるんですが、とりあえず福井氏の思うガンダムにおけるキャラクタードラマ、というのは小説版ガンダムにあったと感じたわけです。さすがに、アムロとセイラのアレだけは避けてきましたけど。

 さて、9巻はほとんど戦闘シーンでしたが、決死の突撃という意味ではア・バオア・クー戦にも通じるものがあります。フルアーマーユニコーンは攻撃の手数を増やすための装備でしたが、これはフルアーマー7号機に通じるものがあるのかなぁと思いました。使い切ったらパージ前提という意味で。
 描き方はキャメル艦隊、コンスコン艦隊でのガンダムの恐ろしさを継承するような描写でしたね。圧倒的な戦力差のはずなのにいとも簡単に覆されていく恐怖、というのを強く感じました。ここはガンダムっぽさが存分に出ていたようにも思います。最終的にサイコパワー(違)一辺倒になってしまうのはちょっと残念な部分でしたが。あれはオーラバトラーに近い戦闘だったようにも思います。

 バナージとリディの比較については、結局ピスト家とマーセナス家の後継者っていうところに帰結しちゃったんだなぁというのが正直な感想。理想家に育てられ、正しい物の見方が身につくよう鍛えられたバナージと、政治家に育てられ、固い物の見方を身につけさせられたリディっていう関係だったんだなと。それ以上の対比があまり見出せなかったのは残念です。正直最後までリディがバンシィのパイロットっていうのは腑に落ちませんでした。
 前々から言ってきましたけどこういう上流階級だけの問題で話が済んでしまう、というのも違和感がある部分ですね。ここもそういうセレブを良く知っているかいないか、という意味で富野監督と福井氏の違いが良く出ている部分なのかなと思うんですが、結局これって政治闘争でしかなくて、ニュータイプの物語というには少し違うのかなと感じました。ザビ家とダイクン家の争いだけにテーマを絞ったファーストガンダムみたいな感じですね。そういう部分もアニメ版ではなく小説版のファーストにより強く描かれていた部分でしたが。
 個人的にはどうしても、上流階級が何かを企んでいる中で、普通の少年たちがなにくそ!と気張る話であってほしいかな、と思ってしまいます。それが全部企んでる側の身内の話で済んじゃうんですからねぇ。

 そして、ラプラスの箱の正体の話。やっぱり後付け臭さは否めないですよね(苦笑)。スペースノイドに、じゃなくて新たな種に、という条文はさすがに違和感があります。参政権の有無をそこまでクローズアップするのってどうなのかな、と思いますし。そもそもスペースノイドに参政権がないっていうこと自体に違和感があるわけですけど、今はだめだけど将来的には保障したいよ、ってのもなんだそりゃ、というか。
 だったらどうすればよかったんだ、と言われるとなかなか出てこないんですけど、もう少し無理のない設定にはできなかったのか、と思ってしまいます。そんな秘密を握っただけで政府と対等以上に取引しちゃうサイアムってのも相当の策士ですよねぇ。冒頭の描写からはそんな人物には見えませんでしたが。
 意図は最後まで読めばちゃんと分かるんですけどね。宇宙移民は棄民だなんて言われてて、それを巡って宇宙と地球で争いが続いていたけど、ほんとうはそんなことなかったんですよ、という話にしたかったんだろうなと。SEEDだったら「血のバレンタインは連合の一方的な悪意で生まれた物じゃなかったんですよ」とラクスに言わせて戦争を終わらせるようなものですかね。それはそれでなるほどと思うんですが、その手段がなぁ。
 宇宙世紀の設定って「人類が生活の場を宇宙に移して半世紀が過ぎた」っていうところにロマンがあるわけで、やっぱり未来の話なんですよ。その割に、あまりにも現代の言葉を使いすぎたかな、という思いがあります。条文とかそういうものじゃなくて、もうちょっと未来の話であることに意味を感じさせてほしかったかなぁと思います。まぁ、純文学作家にSF作家になれと言うようなものなので無理はありますが。

 フル・フロンタルは微妙な終わり方でした。器なら器で最後まで機械的でいればいいのに、中途半端に人間っぽさが出てきたりしてよく分からないキャラでしたね。シャアを演じている割には全然シャアっぽくないし。インタビューだと絶対の悪役みたいな感じで描きたかったようですが、結局言葉でしかバナージのことを否定できていないし、うまく形に出来なかったのかなと思います。
 シャアについてもそうなんですけど、ミネバにしても、既存のキャラについてはあまり思い入れを感じない描き方のように思いました。わざとそうしている部分もあるのかもしれないんですけど、どうもオリジナルキャラに比べると人間味が足りないように思います。福井氏は他人のキャラを動かす、という二次創作的な視点で物を描くのは得意ではないのかもしれません。

 クライマックスはグリプス2が出てきた時点で大方予想できる物でした。コクピット周りだけでアクシズを動かせるんだから、フルサイコフレームならコロニーレーザーくらい防げるのだろうと。発射直前でリディの存在に気づくお父さんの描写なんかはナイスだったと思います。この人なんだかんだで息子が可愛いんですよね。こういう「息子を思う父親の気持ち」という部分は富野作品ではまず見られない部分です。親子関係については自分が体験した以上のことを描くことは出来ませんからねぇ。
 ただ、以前からそうなんですけど、こういうサイコミュの超常的なパワーをシステム的なものとして描写しちゃうのってどうなのかなとは思うんですよね。基本的に富野ガンダムのサイコパワーってその瞬間だけに生まれた奇跡というか、本当に特別な瞬間だけに許される描写だったように思うんですが、それが計算された上で使われちゃってるっていうのはちょっとなぁと。ここは富野監督と福井氏の性格の違いなのかなぁとも思いますが。
 まぁ、そんな反則的兵器も「オーパーツは封印してしまえば万事解決」というガンダム世界の切り札を切ったことで結局OKなわけですが(笑)、でもサイコフレームの技術はF91のMCA構造に応用されてるんだぜ、ガイア・ギアにも出てくるぜ、とか言ってみる。単純にフルサイコフレームの話なんでしょうけど。

 福井氏の神の概念と言うのも富野監督にはない独特なものでしたね。一年戦争を予知したサイアムとか、ユニコーンガンダムとシンクロ率400%になったバナージとか、どうも人を超えた超然的な存在を物語にギリギリのラインで登場させたがっていたなぁという印象を受けました。ガンダムは人間の話だと思っているので、あまり神がどうこうという話は必要ないと思うんですが、ここは福井氏自身の言葉なんだろうと思っておきます。アニメ化されたらこのあたりはもう少し和らげられるんじゃないでしょうか。海外への放映も考えているようですから、あんまり神に触れるのもよくないのかなと。
 まぁサイアムに関してはアニメ版の声優が永井一郎氏だったりするんで、宇宙世紀のD.O.M.Eでしたってことなのでしょうけど。

 最後のバナージの描写は、なんとなく「福井氏が新訳Zをやったらこういう結末にした」ということなのかなと思いました。意識がどっかに飛んでっちゃうんだけど、やっぱり戻ろう、という形でバッドエンドを回避するというのがカミーユを救う一つの描き方なんじゃないか、と。
 しかしその後を描かず、あくまでバナージの話だけで完結させたのは物語の締め方としては綺麗ですが、結局全編通して出てきたラプラスの箱の存在意義が描かれきれずに「どうせ大して変わらないだろう」という言い方だけで終わってしまうのはちょっと微妙でしたね。まぁその後F91につながるが故にそうするしかない部分はあるんですが、これだとラプラスの箱はともかくミネバ・ザビは歴史に残る人物になってしまうという意味でちょっと歴史改変になってしまう気がしないでもありません。

 ともあれ、最終局面になって急に富野っぽい要素が色々出てきたなぁという印象を受けました。その上で、福井氏独自の主観部分というものも存分に出されていましたし、最後まで失速せずに描ききったなと感じましたね。
 そういう意味では良い作品だったかなと思うんですが、何かが色々と普通のガンダムとは「ずれて」いるようなイメージを感じた作品でもあります。

 最後まで「可能性」という言葉にこだわった印象もありましたが、これは「めぐりあい宇宙」ラストでの"And now in anticipation of your insight into the future"を意識していたようですね。未来は期待した結果が待っていないかもしれないけど、だからといってあきらめたら何も始まらないんだぜ、自分の人生だけでは何も成せないかもしれないけど、次の代に繋げばいつかは成せるかも知れないよ、という感じのメッセージだったのかな、と個人的には解釈しました。かつてガンダムを見て育った、今大人として生きている人々へのメッセージなんでしょうね。これは原作者たる富野監督には出来ない仕事で、その後継者として認めている福井氏だからこそ発信できたのだと思います。
 ただ、それを伝えるための作品がこういう物語であるべきだったのか、というと首を傾げてしまう部分があるのもまた事実。言ってしまえば、ガンダムファンの代表として正当なガンダムの続編を書いたのが福井氏だったとするのであれば、それが全てのガンダムファンの好みを包括できる内容ではなかったんですよね。それは福井氏の力量不足ではなくて、単純にガンダムという作品は間口が広くなりすぎてしまったということですが。新規ファン獲得としてはSEEDやOOのような作品がありますが、既存ファン向けの作品というのも必要な中で、それを1つの作品でやるのは難しいのでしょう。

 個人的な好みとしては、これまで色々述べてきましたが、総じて「意図は理解できし一定レベルで共感できるが、その結果描かれた描写はいまいちしっくりこない」という印象を受けた作品でした。福井氏の理性とは共感できても、感性の部分であまり共感できないのかもしれません、自分は。
 福井氏の主観がある程度抜け落ちるであろうアニメ版は、もしかしたら逆に印象がよくなるかもしれないな、とも思います。今後の展開を期待しましょう。
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コメント
コメント
>そもそもスペースノイドに参政権がないっていうこと自体に違和感がある

コロニーに中央政府への参政権がないこと自体は、不自然ではないと思うんですがネェ。

この辺りのことは自分の小説に書いていこうと思ってはいますが、植民地はまずは自治領として成立し、中央政府への参政権はないのが一般的です。
その後、一定の期間の経過措置を以て、市などの自治行政機関となって、いくつかの市を集めて州とする…と思います。
2009/11/14 (土) 23:59:22 | URL | 陰鏡 #nL6A2.tM[ 編集 ]
福井作品は好きなんですけど、いつも「逆シャア」、「ダイハード」、「パト2」を足して割ったような感じですよね。
「UC」は未読ですが、ネタバレを知ると正しい選択だったような気がします。
今野敏の「AOZ」もアレでしたし、ガンダム好きの作家にガンダム書かせるのは鬼門なんでしょうか?
2009/11/15 (日) 05:53:39 | URL | DAI大尉 #-[ 編集 ]
おつかれさまでした
結局ルロイさんの感想だけでおなかいっぱいです笑

福井さんってトミノさんよりかなり「アツイ」人で、二人の人間観には相当の隔たりがあるように思います。なんだろ、屈折がないというのでしょうか。同じ絶望でも狂気がないんですよね・・・

その意味では、長谷川裕一さんの方が「継承者」には相応しいんじゃないかなと思いました。

アニメが楽しみですが・・・アビコ絵微妙なんだよな(TT
2009/11/15 (日) 06:13:24 | URL | ナタル #.ZWFf9ps[ 編集 ]
お、やっと最終刊の話が解禁だw・・・じゃなくて、感想は大体同じような感じでしたねー
福井さんがやろうとした意図は理解できるし、これはこれで一つの作品ではあるんだけど、終始違和感が付きまとった感じ。なんかどこかズレてる。
あとUCで語ろうとしたテーマは、福井版ターンAの終盤や角川で数年前に出たムック本で書いた寄稿文(機動戦士ガンダムエピソードガイド5の「ニュータイプなき後の希望創出装置」というコラム、このコラムは福井さん視点で初代~ターンAまでの富野ガンダムを分析、総括した内容で非常に読みごたえあり。ルロイさんおすすめ)で既に語ってた内容の焼き直しだったので少し残念。
福井さんは自分なりに宇宙世紀の総括話をやりたかったんだろうけど
色々と曖昧にしていたり、あえて触れなかった要素にちょっと踏み込みすぎでしたね。
ズレた旧作キャラ、ビスト財団ラプラスの諸設定、空気読めないパロ・エログロ、福井さん独自のNT論・・・もう少しバランス考えてほしかった。
UCが始まると聞いた時、イージスやこの寄稿文、ローレライ、小説版ターンA読んでこの人なら任せられると思ったんだけどなぁ・・・
とまあ色々と不満書きましたが、面白かった部分もあったので、アニメ版でどうなるか楽しみにしてます。
2009/11/15 (日) 11:29:40 | URL | NNS #-[ 編集 ]
オレも作品としてはルロイさんの感想とほぼ似たような感を抱きました。

ただ、『宇宙世紀の一部を切り取ったドラマを見せる手法』としては福井氏は上手くやったなと感じました。
公式年表を極力改変することなく、スケールの大きい話を作らなくてはならない縛りを考えると、ちょっとオレには想像つかない発想の盛り合わせで、なんというか「よくぞここまで調整したな!」って感じ。

小説としてはあんまし好みじゃない文体だし、説明文が長すぎて世界観に没入しきれないタイプ。
なので、「物語付き設定集」みたいな感覚で捉えていました。
2009/11/15 (日) 16:52:18 | URL | 叡天 #-[ 編集 ]
確かクリスチャンの方のブログのユニコーン感想で、

「安易に聖書からの引用はやめた方がいい」

というようなことが書かれていましたね。
僕もその方の意見に半分同意で(もう半分は「聖書と言っても、所詮昔のたとえ話のオムニバス本なんだから、そんなに目くじらたてんでもいいのに・・・」という気持ちです)、下手に聖書から文を引用すると、棺桶に片足突っ込んだ口うるさい宗教家の方々がギャーギャー喚き立てるので、聖書からの引用は福井氏も軽率すぎたなと感じますね。

あと、そのクリスチャンの方は、

「終盤から妙にオカルトな展開になってしまって萎えてしまった。初期頃の頑張りはいったいどこへ行ってしまったのか?」

とぼやいてました。
2009/11/16 (月) 17:17:58 | URL | ト―リ・スガリーノ #-[ 編集 ]
ファーストの小説版もやたら思惟って単語が出てましたよね
NTの神格化というか、バナージの描き方が肌に合わなかったと感じましたねー
箱や財団、ユニコーン等の設定面でもそうだったんですが、読んでて何だかすっきりしないというか、受け付けない部分が多い作品だなと
2009/11/17 (火) 18:04:21 | URL | al #-[ 編集 ]
アナザーを知らないガンダムファンがガンダムを作ったらアナザーになるって言葉を聞いた事ありますが、この作品はまさにそれだと思います。
元々設定を考えるのが下手(っと俺は思っています。ゼクアインとか良い例)なカトキハジメが参加してると聞いたときからいやな予感はしてたんですが、案の定ユニコーンも他作品のガンダムと違って素のスペックが時代にあっていないですしね。

福井氏もうまいのは書き方だけで相変わらず小説の内容に変化がない。現代を舞台にするならともかくガンダム世界で戦後の日本ネタを場違いなくらいだしまくったせいでげんなりしましたよ。あなたが書いてるのは純文学ですか? 違うだろっての。

ビスト財団や箱関係も初期の空気ならよかったのに続くうちにどんどん万能なものとして描かれてしまっていたのがやっぱり酷いですね。自分の考えた設定で既存のものをつぶすのはよくないですよ。
2009/11/18 (水) 10:26:01 | URL | 亀 #-[ 編集 ]
>陰鏡さん
ファーストはともかく、ZやZZに出てくるコロニー市民ってとても植民地民に見えないんですよ。
そういう描写からの違和感ですね。
コロニー自体は人工に区画された空間ですし、未開の地を切り開いて作られた過去の植民地は性質が違うのかなとも思いますし。

>DAI大尉
ガンダムってストーリーテラーとしての能力とメカニック的な知識の両方を求められるんですよね。
前者に特化している人は後者が足りないケースが多いような気がします。
万人に受け入れるガンダムを目指すなら、両方に優れた複数の人材が協力する体制で作品を作る必要がありそうです。

>ナタルさん
テレビ漫画的な意味で言えば長谷川氏の方が相応しいでしょうね。
福井氏はやはり作家・富野由悠季の後継者なのだろうなと。
ただトミノ特有のコンプレックスの屈折みたいなものはやはり福井氏に求めるのは厳しいんでしょうね。

>NNSさん
ネット上を見てみても結構似た感想を抱いている人が多いのかなと感じました。
総じて「触れて欲しいところに触れてない」上に「触れて欲しくないところに触れてしまってる」という部分はありますね。
エピソードガイド5面白そうですね。今度探してみます。

>叡天さん
確かに、公式年表の前後が決まってる中で可能な限りスケールの大きい話をやろうとした感じですね。
特に一年戦争レベルの大戦争を起こさせる事なく、しかし紛争レベルで終わってしまうことのない大事を起こす、というところに力を入れたのかなと。
その結果色々な歪みも生じているわけですが、物語を破綻させる事無く描ききったのは見事だと思いました。

>トーリ・スガリーノさん
宗教の扱い方については日本人的というか、宗教が根付いていないが故に考え出された宗教観というイメージはありましたね。それ故に外国人にはなかなか受け入れがたいように思います。
終盤のオカルト展開は富野作品を倣ったものなので仕方ない…と言わざるを得ません(苦笑)

>alさん
総じてUCならではの部分が実に「ガンダムっぽくない」部分でもあったように思いますね。
宇宙世紀で、既存のキャラやメカが出てくるのでごまかされていますが、
かなり独得の世界観の作品ではあったと思います。

>亀さん
確かに、既存の設定に踏み込みすぎているのが良くなかったんだと思います。
やっぱり宇宙世紀元年をあんなことにしてしまったのは非常に抵抗感がありましたし、
あんたにとって宇宙世紀ってそんなものなのか?とは思ってしまいますね。
やっぱりSFっぽさが足りなかったんだろうなぁ、と思います。

カトキメカについてはユニコーンだけがぶっとんでいたのかなと思いますね。
まぁハイパーカミーユ状態を物理的に再現したメカなんだと思っています。
2009/11/21 (土) 22:39:39 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>ファーストはともかく、ZやZZに出てくるコロニー市民ってとても植民地民に見えないんですよ。

えーっと、植民地の概念を勘違いしてらっしゃいません???

植民地の民ってのは、現地人じゃなくって、本国から移住してきた人たちのことなので、普通に植民地人にしか見えないんですが……<Z、ZZ

ってか、本土となんも変わらないですよ。普通<植民地<未開地の開拓じゃない限り

歴史上の例とは似て非なるものでしょうが、人間、前例主義に陥りやすいのが組織ってもんですから、イキナリ新システムを立ち上げることは無かったでしょうね。

UCでも描写はありましたが、初期の宇宙移民には犯罪者や生活保護を受けている人などの優先措置が取られていたことが明らかなので、イキナリ中央参政権のある地方自治体に指定することはできなかったと思うんですね。町とか村のレベルから地方自治が始まったと。
Zの時代にはサイド2で市政が始まっていますし、徐々に地方自治権が認められていく過程は、小さく描かれている気がするんですが。
2009/11/24 (火) 02:23:21 | URL | 陰鏡 #-[ 編集 ]
設定の話ではなく劇中の印象の話で、
当時のアニメのスタッフはそういうつもりで作品を作っていたのか?ということです。
学生運動の時代のイメージはあったんでしょうけど。
2009/11/26 (木) 22:33:51 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>ただ、以前からそうなんですけど、こういうサイコミュの超常的なパワーをシステム的なものとして描写

まあここら辺は富野先生と福井先生の性格の違いというよりも、仕事の違いでしょうね。
基本的に軍隊というのは何でもかんでも官僚的にシステム化して行動するのが基本なので。
福井氏からすれば、たとえオカルトパワーでも有ればそれをシステム化してとりいれるであろうと。
それに対し、富野先生は基本的に少年向けのSFアニメとしてガンダムを書いてきたわけで、ドラマ性や内心を重視しているのでしょう。

ちなみに第二次大戦の時に、米軍の撃墜王が生まれなったのもにたような理由です。
アメリカは優秀なパイロットがいると、直ぐに本国に呼び戻して教官にしてノウハウを共有させようとします。
そのため撃墜王は物理的に生まれようがないという。
個人の技量に頼るよりそのほうが最終的には強いのは結果が示しております。
2012/05/13 (日) 17:47:34 | URL | DN #mQop/nM.[ 編集 ]
カミーユのZやアクシズショックのような超常現象が、科学的に解析可能なものになっちゃってること自体がいいのかな、という気がしました。
サンプルがその瞬間だけなので、事例として分析する事自体が困難なんじゃないかなぁとか思ったりするので。

逆にヤバい実験をユニコーンガンダム完成までに結構やってたってことですかねぇ。
2012/05/26 (土) 17:22:37 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>学生運動の時代のイメージはあったんでしょうけど。

お久しぶりです。
陰鏡です。

殖(植)民地というのは「人口を殖やすための土地」ということであり、あくまで本土と変わらないということかと思います(ただし、本国人は)。

つまり、移民した人たちは「通常に暮らしている」訳です。

ですが「地方自治権」はあっても「自治権」はない。

ガンダム世界では「首長」は地球から派遣されてくるものであり、民衆が選挙で選ぶものではなかった訳ですし(Z以後は市長が登場しているので、サイド単位での市制ができたことを意味します)。

この自治というのは「中央政府への選挙権」ということです。つまり「中央参政権」ということですね。

日本でも選挙は区市町村長選挙・議員選挙、都道府県知事選挙・議員選挙、国政選挙(衆議院選挙・参議院選挙)とありますが、今までの流れからすると、宇宙世紀のスペースノイドは、区市町村議員選挙までしか行えなかったということかと思われます。
つまり、区市町村長=行政のトップは地球連邦政府から派遣されていたということです。

史実でも殖民地には総督が本国から派遣され行政のトップとして君臨するのが一般的で、その下に地方行政機構があり、議会がある・・・という形になっています。

ので、学生運動のイメージというのはちょっとよくわかりません。

学生運動のイメージはどちらかというとエゥーゴの方にあったということなら理解できます。
2013/01/23 (水) 16:57:20 | URL | 蒙地 #nL6A2.tM[ 編集 ]
お久しぶりです。

自分が言いたかったのは、
アニメにおけるコロニー内の住民や生活の描写に、植民地っぽさはあまり感じられなかったなということです。
制度的にどうなっているか、ということは論点にしていません。

連邦政府の政策をよく思っていない人たちの描写は、学生運動時代をイメージしていたのかなと感じたということです。
2013/01/31 (木) 19:27:19 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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