がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
月初のガンダム以外の話「新世紀ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」
 半月ほど前ですが、見てきました。前作の感想はこちら。前作の比較で言えば、前作の後半のノリをさらにパワーアップした映画でした。前作はTV版ほぼそのまま→シナリオの流れは同じながらも内容が完全新規だった前作から、全体の流れは似ていながらシナリオは完全新規→全くの新展開に突入、という形になっており、徐々にTV版とは違う物語になっていく構成は秀逸だと感じました。次回作は全く違うエヴァになっているんでしょうね。

 以下、ネタバレです。

 今回の映画のTV版からの顕著な違いはだいたい以下のような感じなのではないかと思います。

・レイがより人間的になり、その変化がシナリオの主軸になっている
・アスカのキャラクター性が弱められ、参号機に乗る役に留められる
・新キャラクター、マリの登場

 他にも使徒が違うとかそもそも結末が違うとか色々あるんですが、シナリオ面で言えば一番大きいのはこの3点かなと。同時に、これはTV版を知っているファンにとってはかなり抵抗感が強い変更点であり、その意味ではかなり作り手が意識してやったんじゃないかなという気がします。
 レイがお食事会を開こうとするなんてTV版の彼女からは到底あり得ないことでしたし、それに付随して一緒に墓参りに行ったりレイの提案を承諾するゲンドウという姿もTV版からは考えられない行動でした。ましてや使徒に取り込まれたレイをシンジが身を捨てて取り戻しに行くなどという展開は、むしろエヴァであるからこそやらないこと、というイメージさえありました。
 つまり、かつてのエヴァがそれまでのアニメとは一線を画していた要素を、今回の「ヱヴァ」によって自ら否定しにかかったのだな、ということを感じました。とにかく一般向けに作ってるんですよね。前作の終盤の展開なんかもそうですが、アニメをあまり知らない普通の娯楽映画を求めている人でも十分楽しめるようになっているんです。オタクではない人が見ても、キャラクターに共感できるようなシナリオを心がけている、ということは非常によく分かりました。バンソウコウのところとかね。
 TV版のエヴァって基本的にオタク趣味の集合体で、作り手も受け手も基本的にオタクだったと思うんですよ。社会現象になったのもその極めて純度の高いオタク度(とそれに付随する作品としての完成度)が「なんだこれは!?」という印象を与えたからであって、だからこそそれ以降のオタク業界って何かしらエヴァの影響を受けているんだろうなと感じています。萌えという概念が広まったのもエヴァの女性キャラクターを押し出した描き方がきっかけだったと思っていますし。
 かつてエヴァが広めてしまったオタク的作品の肥大化を、自らの手で否定しよう、というのが新劇場版の一つのコンセプトだったのかなと感じていました。新訳Zなんかも考え方は似ているんですが、そこまで高い志のある作品ではなかったように思います(Zをきっかけに広がった「ガンダムシリーズ」というものへの決着は、すでに∀で完成していたからというのもあるでしょうけどね)。

 しかし残りの2要素に関しては、純粋にシナリオ上の変化とは言い切れないものを感じました。というのも、パンフレットですでに「尺の都合でトウジを描ききれないからアスカを参号機に乗せた」って書いてあるんでね…(苦笑)。
 やっぱり、参号機にトウジが乗らなかったのはちょっと違和感があったんですよね。話の流れとして、レイのお食事会を成立させるためにあえて自分が身を引いた、という要素を入れたのはさすがだと思いましたが、なんともどうにも。基本的にエヴァとそのパイロットってデザイン上統一されている部分があるんで、それ以外のパイロットが乗ると凄く違和感を感じるんですよね。だから、参号機=トウジだと思っていたものが否定されたこともそうでしたし、弐号機にマリが乗ったのも微妙でした。TV版でも例外としてカヲルが弐号機を操っていましたが、あれもシンジが「アスカ、ごめん」と言って弐号機を攻撃したように、基本的にエヴァ=パイロットのイメージで描かれていました。
 せめて、アスカが参号機に乗るのであれば、参号機のデザイン自体も変えてしまってよかったのではないか…と思いました。まぁそれやると公開前にネタバレになっちゃうかもしれなかったんですが。
 もう一つのマリも同様で、冒頭こそ「これは!?」というワクワク感を引き出させる内容でしたが、やったことはと言えばリタイアしたアスカのその後の代打という扱いで、旧ゼルエルとの戦いに弐号機で出てきた時点で「あぁ…この子かませなのね…」と思ってしまった自分がいました。今後の展開ではおそらく重要な役回りとなるキャラクターなのでしょうが、こんなやられ役とわかりきった立場で出てくるくらいなら、当初の予定通り出番は少ないままでよかったんじゃないかと感じました。ネルフの誰にも気づかれずに封印された弐号機で勝手に出撃っていう展開も無理がありすぎ…ですし。
 キャラクターの造形とかは別にいいんですが、ヒロイン扱いのくせに他者との絡みがシンジと会うシーンしかなく、しかもほとんど独り言というのも正直苦しかったなと思います。スパロボの「いるだけ参戦」のような扱いなので(笑)

 総じて、TV版ではレイ=アスカだったヒロインとしての存在感が、レイ>アスカ>マリという序列に変更されたというのが、良くも悪くもこの作品の象徴なのかなと思います。

 基本的に今回の変更点についてはあまり好意的ではないように書きましたが、結果としてアスカの存在感が弱まったことで、「積極的なアスカに押されて彼女に依存していくシンジ」という旧劇場版の姿から、「消極的なレイを守るという意識が芽生えて前向きになるシンジ」へと変化したのかなと感じました。この点については割と上手かったのかなという気がします。

 一方で、アニメ映画として見た時の映像のクォリティに関しては前作を上回る最高峰の作品となっていたように思います。ガンダムでもこれくらい描きこまれたスペースコロニーとかMS戦を見てみたいんですが、まぁ無理でしょうね。
 TV版や旧劇場版ではクラシックが象徴的に使われていましたが、今回は日本の歌を象徴的に使用していました。これは何か意味があることなんでしょうかね~。

 次回からは全然違う話になりそうなんで楽しみですね。サブタイトルが「急」じゃなくて「Q」なのはその次の完結作が「A(Answer)」だからだという意見をどこかで見ましたが、実にあり得そうな話ではあります。
 しかし、それでも四作目でいきなり旧劇場版の後に戻って、三作目までは旧シンジが見ていた幻想でした。さてこれからどうする?とカヲル君あたりに問いかけられるいうオチを期待している自分がいます(笑)。

 一番印象に残った台詞は、「人は自分の力で己の願望を叶えていくものだ。大人になれ」というゲンドウの台詞でした。自分で会社作って新作映画作っちゃう人の言葉だと思うと、なかなかに重いです。でも14歳の中学生に言う言葉ではないな(笑)。

 そうそう、今回の新劇場版の資金の使い方を見ると、今の社会において「広告費」にお金をかけるという意味がどれだけあるかという点で、非常に疑問に感じてしまいますね。過去にすでに大きな実績を残した有名なものであれば、その続編についてはプロモーションより、内容にお金をかけるべきなのかもしれません。
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