がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
カミーユ・ビダンとジュドー・アーシタの比較
 元々は、「もしもジュドーがグリーンオアシスに住んでいたら」というIFネタを書こうと思ってたんです。ジュドーがZガンダムの主人公だった場合、という話で。
 しかし、考えてみるとそれはかなり無理があると言う事に気づきました。なぜかって、カミーユとジュドーは、住んでいる環境が違いすぎるんです。一言で言ってしまえば、エリート層と貧困層の人間なんですよね、彼らは。実は物凄く両極端な境遇で育った少年なんです。

 この視点から、両者を比較してみようと思います。

 まずカミーユについてですが、両親共に地球出身者で、ガンダムMk-IIの開発に参加するためにティターンズに招聘されたという点で、エリートであることは間違いありません。そして、その息子であるカミーユも当然エリート層であり、自分で作ったジュニアMSやホモアビスで優勝したりと、言ってみればかなりブルジョアな趣味をお持ちの少年です。
 しかし一方で、両親の関係は冷え切っており、カミーユは浮気性の父親とワーカーホリック気味の母親から半ば放置されて育ったようです。「親をやってくれなかった」と語ったように、基本的にカミーユは「親にちゃんと構ってもらえなかった少年」なのでしょう。ただし、親の力を借りなくてもそこそこに何でも出来る才能と頭脳があったが故に、余計に気にかけてもらえなかった側面もあったのかな、と思います。
 そんなカミーユなので、実力がある故に他人を見下しがちでありながら、本質的な甘えの欲求を満たされていないがためにどこか他人に依存することを求めている節があります。それが、レコアやエマを求めた背景なのかなと。逆に同い年であり幼馴染のファに同じようにされるのは、プライドが許さなかったのかも知れません。
 また、彼の場合は女性のような名前にコンプレックスを持っているということも重要なファクターです。そのためにいじめられた経験もあるのでしょう。基本的に同年代の人間には不信感を抱いているような気もします。彼の通っていたハイスクールが高学歴な学校であったなら、余計にぎすぎすしてそうですし。
 簡単に言ってしまえば、カミーユは有能でありながら人間不信であり、コンプレックスの塊であり、他者を見下す傾向が強く、しかし本当はどこかで自分を完全に受け入れてくれる存在を求めているという、本質的な孤独を抱えた少年だったのかな、と思います。女だったらツンデレ・クーデレ・ヤンデレを併せ持つ最強キャラな気がしないでもないですが(笑)

 一方のジュドーについては、家庭背景が明確に設定されていないため、どのような環境で育ったのかは想像に頼るしかないのですが、シャングリラという典型的な低所得層地域の住人であり、リィナの入学資金もないなど貧乏であることは間違いなく、またかなり悪さを働いていた節が見られることと、「大人」に対する不信感があることから、警察官や教師などのいわゆる「権力を持った大人」とは度々衝突していたのではないかと思われます。
 仲間には恵まれていたため孤独という面ではそこまで大きいものではなかったように思いますが、実の妹であるリィナを想う気持ちは極めて大きく、唯一の肉親は非常に大きな心の支えだったのかなと想います。また、兄である自覚からくる責任感も強く、このあたりがカミーユとの最大の違いなのかなという気がします。
 ジュドーから負の要素を感じさせないのは、ひとえにこの「リィナの面倒は自分が見なければならない」という責任感であり、またそれを共有できる仲間がちゃんといる、ということなのではないかと思います。環境はどうであれ、ジュドーの方がカミーユよりしっかり自立できていることは間違いないのかなと。
 そしてジュドーはリィナの死(と思われた)後もその強い責任感をもってMSパイロットとして戦っていくわけですが、カミーユの場合は傷をなめあったフォウとの死別でさらにバランスを欠き、やり場のない感情を戦場で発散させていくような形で覚醒していくという流れになっていきます。

 キャラクターの特性を一言で言ってしまえば、カミーユは成績がよく家柄もいいけど友達を作るのが苦手な優等生タイプで、ジュドーは貧しいしルールも守らないけど友達はたくさんいて責任感が強いガキ大将タイプなんですよね。兜甲児と剣鉄也とか、爆走兄弟レッツ&ゴーとか、GEAR戦士電童とか、ナルトとサスケとか、そんな感じの関係で(笑)
 となると、実はこの2人は絡んでこそ生きるキャラクターなんじゃないか、なんて思ったりもするんですよね。操縦技術に一日の長があるカミーユに対し、彼が出来ないことはなんでも出来てしまうジュドーという関係で始まり、互いに対立しながらも認め合っていく兄弟のような関係になっていってうんたらかんたら、みたいな。
 新訳ZZやるならそんな話はどうでしょうかね。普通にカミーユとジュドーが共闘するという路線で。映像の使いまわしはきっとほとんどできないけど。というかスパロボとかでそういう話をやっても全然いい気がしますね。そういう話であれば、カミーユはどんどん健全になっていけるんじゃないかと思いますし。
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コメント
コメント
>実はこの2人は絡んでこそ生きるキャラクター

「機動戦士MZ(メガゼータ)ガンダム」
で検索してみませう。
 
同人小説版もってたり(w
2009/04/18 (土) 20:04:50 | URL | とっぱ #B8xSsyyA[ 編集 ]
ずいぶん昔のことなんですが、とある掲示板でこのように評したことがあります。

「大人になる前の少年」として、グリプス戦争に関わったカミーユと、

「子供の延長としての少年」で、ネオ・ジオンと戦ったジュドー。

環境の差という面でもそうですが、年齢差も結構馬鹿にならない違いを生み出すのかもしれません。

UCのバナージにも通じる感覚なんですよね、おそらく反抗期の感覚が。

それはジュドーもある程度は同じなんですけど、カミーユとの違いはとにかく彼は理論に走らないということなんでしょう。

後に富野御大はニュータイプを身近な人を大切に出来る人だと表しましたけど、関わった人の死に(それがたとえ敵だったとしても)強く悲しみ、怒りをぶつけたジュドーはそれを持っていたのかもしれないですね。
2009/04/18 (土) 23:13:27 | URL | ドクトルK #-[ 編集 ]
>とっぱさん
そちらのサイトは以前拝見して大いなる感銘を受けたことがあります。
特にカミーユが女性だったら、という前提のストーリーは、
自分のZガンダム観に大きな影響を与えましたね~。

>ドクトルKさん
カミーユって所謂アダルトチルドレンに近いんですよね。
ジュドーはそれに対し健全な子供なんです。その違いはあるのかなと思います。

結局のところ、ララァが言った「人が生きる真理=大切な人のために戦うこと」を実行できているのがジュドーだったのかなと。
2009/04/19 (日) 22:39:59 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
しばらくぶりにZZ見たくなって一話から見てます。カミーユよりジュドーのほうがさっぱりしてて 小気味良いし自立心は環境が環境なだけに素晴らしいが、リィナのために回りが見えなくなったりはイライラ
2009/04/20 (月) 01:49:03 | URL | ロウ #-[ 編集 ]
ある意味、精神崩壊してないカミーユとジュドーに近いのが種死のアスランとシンなのかな?

シンの場合、貧困層という訳ではないし、最初から妹を失っている故にむしろカミーユ的な
アダルトチルドレンといえますが…
2009/04/20 (月) 07:40:06 | URL | #7V.pMLvY[ 編集 ]
>ロウさん
ジュドーは良くも悪くも個人的な理由のみで戦っていましたからね。
リィナとプルが死んでから(前者は死んでないですけど)ちょっと変わりましたが。

>名無しさん
アスランとシンに例えるのも少し考えました。
一つ言えるのは、カミーユにはアスランにとってのキラのようなキャラがいなかったことですね(笑)

シンは確かに普通の中流家庭の人間でしたし、ジュドーと違って復讐に囚われてしまうのが大きな違いですね。
というか、最近のガンダムはああいう重要キャラ死亡→復讐一本筋という路線が多いのが気になります。
2009/04/21 (火) 19:25:32 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>ルロイさん

シンが復讐(と言うよりは憎しみ)に囚われてしまったのはジュドーと違いマユ及びステラの
死を共有してくれる仲間を欠いた事が一番大きいのかな。ハイネの死はまだミネルバ
組が共有してくれましたが、マユは他のミネルバ組にとっては過去の存在止まりですし、
ステラも実質シン一人で抱え込んでしまった感じですし。

シンの場合、家族を失った時点でトダカ以外に死を共有してくれる仲間がいれば良かった
んですが、何故かオーブ時代の人間関係の影が見えないんですよね…(初代アムロやカミーユ
のように性格に問題ある訳ではない筈ですが)

OOだとルイスと沙慈の場合はそれぞれの存在が最終的には救いになったけど、一時期離れてしまっ
た期間が遭ったのと互いに同国人でなかった故の壁が仇となった感じかな。セルゲイとアンドレイはそれぞれ
同じ人間の死を背負い込んだけどすれ違いで共有は出来なかった感じでしょうか。また、ロックオンはシンに
近い状況だけどライルが生き残った分、救いになったと思いますね。
2009/04/24 (金) 20:02:25 | URL | #-[ 編集 ]
確かに、シンは共有できる仲間に恵まれない印象がありますね。
ステラは敵だったこともあって仕方のない部分がありますが、
家族で唯一のコーディネイターだったっぽいですし、
シンって実はかなり深い孤独を抱えたキャラだったのかもしれません。

家族を奪われた憎しみを強調するのが最近のガンダムの特徴ですが、
富野ガンダムだとむしろ家族を憎む方が強かったりして、
その辺を比べてみるのも面白いかも知れませんね。
2009/04/24 (金) 21:27:12 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>新訳ZZやるならそんな話はどうでしょうかね。
>普通にカミーユとジュドーが共闘するという路線で。
カミーユのZとジュドーのZZの共闘を見てみたいと思うのは多くの人の偽りのない心境でしょうね。
まあZZの新訳となるとZでも旧作画が多かったのに、そこまで劇場オリジナルをやる力が製作側にあるのかとか、カミーユが出張るとジュドーの仲間達が完全に空気になりそうとか、鈴置さんの代役どうするんだとか色々、あるんですが。
後、バトルシーンで御大の食指があまり動かないんじゃないかという事が。「Z」や「逆シャア」に比べて「ZZ」は戦闘が大味に感じるんですよね。MSも性能まかせでパイロットが機体のポテンシャルを引き出す戦いが少ない、又は過剰スペックに走ってポテンシャルを感じる機体が少ないという感じ。(この辺は種に近い)戦艦も大型主砲に依存して艦隊戦・作戦行動の描写が弱いですし。
2009/09/23 (水) 18:43:44 | URL | 巨炎 #mQop/nM.[ 編集 ]
現実的に考えれば、新訳ZZは相当難しいでしょうね。
新訳Zも興行的にはあまりよくなかったようですし、
旧作画を可能な限り流用してコストを抑えてもそんなに効果がなかったのかなと。

ZZをリメイクするなら、富野監督以外の手でやることになるんじゃないかと思います。
元々の原作からして富野監督としては自分の作品とはあまり思っていないみたいですし。
2009/09/23 (水) 23:44:06 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
対決か共闘か、それが問題だ
絡んで生きる二人が必ずしも共闘するとは限らないかも。

ジュドーが実戦経験を積んでもカミーユの域に達するのはかなり難しいです。
カミーユは
「ジュニアMS大会優勝、Zの基礎設計案を提出するなど豊富なMS知識」
「アポリーやエマなどの先輩格相手に模擬戦を行う機会があり、アムロという戦いの手本にも出会う」
「ポテンシャルは高いが性能は型落ちのMkⅡでティターンズの新型機相手に実戦経験を重ねる」
とZを受領するまでの積み重ねがしっかりしています。

これに対しジュドーは
「作業用プチモビを乗り回して磨いた野生的センス」
だけでZを乗り回し一回、負けると即、ZZに機種転換しちゃったわけで…。パイロットとしての土台がカミーユに比べて脆弱過ぎる。

一方でカミーユには無い社会性や自然とリーダーになれる人柄があるわけで…。(アイツ、気がついたらジュピトリスの艦長になってるかもしれん)これってアムロとシャアの関係に近い?ハマーンがジュドーに入れ込んだのこも、この辺りが原因でしょうか。
まあカミーユとアムロはキャラが近いですがジュドーとシャアは…。シャアはザビ家への復讐とかアムロへの劣等感とか負の感情が原動力の事が多いのに対してジュドーは概ね前向きな感情で動いてますから、その点では正反対でしょうか。
2009/10/07 (水) 09:12:36 | URL | 巨炎 #mQop/nM.[ 編集 ]
カミーユとジュドーの共闘が前提なのはどちらもエゥーゴ所属だったからで、
立場が違えば当然いいライバルになったんじゃないかと思います。
イメージ的には「GEAR戦士 電童」の北斗と大河を思い浮かべて書いた文章だったりします。
2009/10/09 (金) 21:58:06 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
エゥーゴ自体、カミーユの居たグリプス戦役とジュドーのいた第一次ネオ・ジオン抗争の頃では雰囲気が違うのもあったとは思う。

グリプス戦役の頃は下部は民間人出身者中心でありつつ、中堅以上は大体が軍人で構成されて軍隊としての厳格さがある程度保たれていた故の重苦しいピリピリした雰囲気があってそれがカミーユを苦しめた面もありましたけど、第一次ネオ・ジオン抗争の頃は戦死とかで少なくともアーガマ隊においてはブライトぐらいしか正規軍人が居なくなってトーレスみたいな比較的下層出身の民間人出身者が多かったのが、ジュドー達を受け入れやすく、割と自由で明るい雰囲気があったとは思う(無論、双方の作品の方向性はありますが)
















あと論旨と関係ないけど歴代主人公の中でカミーユと一番近い境遇なのは個人的にはドモンだったり。

ドモンもGガンでは富裕層である設定のコロニー出身で父親が科学者と言うことで富裕層であるのは間違いないですし、家族絡みのコンプレックスや苦悩があったりと結構共通する所が多いと思った。
2009/10/12 (月) 21:01:44 | URL | #-[ 編集 ]
言ってしまえばテロ組織か敗残兵かというくらい状況は違いますからね。
必要な者しか使わない状況と藁にも縋りたい状況では求めるものも違っていたということでしょうか。

ドモンの決定的なカミーユとの違いは両親がまともだったってことですね(笑)
2009/10/13 (火) 23:16:06 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
しかし、この二人
パイロットに必要な要素を高次元で併せ持っているカミーユがZガンダム、野性的センスのジュドーはパワフルでアンバランスなZZと技量という点では搭乗機と一致しているんですが性格的にはむしろ不一致なんですね。
カミーユは優等生に見えて攻撃的、ジュドーの方が喧嘩早いように見えて実は精神面では安定している。

例によってキュベレイとの戦闘内容を比較するとジュドーはまずファンネルの初撃をかわし、それにより大まかな位置を把握して自機のビームでなぎ払う。ZZのダブルビームライフルだから出来た事で、大気圏上でZガンダムに乗り、プルと交戦した時にはひたすら回避。小説版では「Zガンダムじゃ勝ち目がない」なんて台詞も。主役としては、ちと情けないですが「避けているだけでは勝てない」というニュアンスは分かります。
カミーユもその辺は同じなのですが、避けるより攻めるんですよね。
「初撃をシールドで受け止め、接近戦に持ち込む」
「ビームナギナタ投擲→ワイヤーランチャー→ビームサーベルの連続攻撃でファンネルを使わせない」
「サーベルを利用したビーム散弾攻撃でファンネル撃破」
(しかしハマーンはTV版と違って一時帰還した様子もないのに直後の百式戦ではまた射出してたな…)
「メタスには避けられない」という台詞から回避に徹したら避けられる、少なくともその自信はあるということなのでしょう。が一度、回避に回ったら敵のペースになるという判断か、とにかくアグレッシブですよね。
2009/10/18 (日) 16:55:20 | URL | 巨炎 #mQop/nM.[ 編集 ]
確かに、カミーユの方が遥かに攻撃的ですね。
ただジュドーはウォンにカウンター入れられる力を持っていますし、
防御面を考えない危うさを持っているのがカミーユで、
どちらもバランスよくもっているのがカミーユ、ということでしょうか。
2009/10/24 (土) 15:27:45 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>言ってしまえばテロ組織か敗残兵かというくらい状況は違いますからね。
>必要な者しか使わない状況と藁にも縋りたい状況では求めるものも違っていたということでしょうか。

少なくともグリプス時代のエゥーゴにカミーユの替わりにジュドー達ガンダム・チームが入っていたら、ある程度馴染めたのは志願兵であったルーぐらいで、カミーユよりは大人達に対して強い態度に出ることが出来たけど、カミーユと同様にジュドーが何らかの形でクワトロを殴っていた可能性はあったと思うし、ブライトもZ時の状況ではZZ程信頼したか分からないし、エマとかカツとかともしっくりいかなくて相当ギスギスした精神状況になっていたんだろうなとは思う。少なくともビーチャやモンドがティターンズ側に付くことは絶対になかったろうけど、早い段階で脱走はあったろうと思うし、フォウやロザミィの件が無くてもリィナを失うような事やそれに匹敵する事件があったら、精神崩壊する可能性もあった気が。

逆にTV版の状況で精神崩壊せずカミーユが第一次ネオ・ジオン抗争を戦った場合、ひょっとしたら健全な青年になってジュドー達を衝突もありながら導いていたのかもしれないけど、反面、作中では腐敗した連邦高官とかもかかれていたし、結局はそういった人間に失望してシャアに合流したかも知れない…

>「大人」に対する不信感があることから、警察官や教師などのいわゆる「権力を持った大人」とは度々衝突していたのではないかと思われます。
>シンは確かに普通の中流家庭の人間でしたし、ジュドーと違って復讐に囚われてしまうのが大きな違いですね。

色々と考えてみてシンがジュドーと異なる最大の点は「大人」に対する不信感や反発、闘いが無かった事かな。

怒りとか憎しみというイメージは強いけど、それが向いたのはアスランやカガリといった同年代、或いはフリーダムと言った物に対しての怒りだし、オーブへの怒りはウズミのような「大人」に向いてもおかしくは無いけど、既に故人であったのでカガリやオーブという国に向いた感じで、基本的に議長やタリアとかいった大人に対しては従順だったと思う。

シンの両親の人物像や親子関係は不明だけど、少なくともカミーユのような問題を抱えた様子は無かったようだから、少なくとも良好だったようだし、以降の「大人」もトダカや議長といった(表面的には)自分に良くしてくれた善人ばかりだったから、逆に言えば大人は頼りになり話の分かる存在という一種の幻想を抱いて、不信感や反発を抱かなかったのだろうと思うし、だからこそ敵であるネオを信用したのだと思った。

その中でアスランは厳しい、あるいは嫌な大人と言った立ち位置だったかもしれないけど、年齢的・精神的に大人としては微妙で、幻想が強すぎる故に「大人」として受け入れにくかったのではないかと思うし、最終的にシンが一応は大人になった(?)アスランに戦いのみならず精神的な意味で敗れたのもこれまで大人と何らかの形で戦う事が無かった、または敗れたと実感する事が無かったのが一因であったと思うし、また本格的な反抗期に入る前に両親を失って、以降に親代わりの存在が不在というのも大きいと思った(議長は父親になれなかった人物ですし、タリアも子供を残して昔の男と死ぬ選択をした時点で母親としては駄目すぎるし)

カミーユ(TV版)の場合は両親を失った後に親代わりを求めたりとシンと同様に「大人」に対する幻想はあったけど、両親との関係がギクシャクしていた事や大人達に親代わりを拒否されたのもあってシン程では無かったけど、結局はシンと同様に心の傷をまともに受け止められる存在がいなくて潰れた感じかな。

2009/11/08 (日) 20:11:33 | URL | #-[ 編集 ]
ジュドーがカミーユの立場でエゥーゴに参加してたら、
普通に脱出してたんじゃないですかね?
ジュドーなら脱走しても何とかやっていけそうですし。
あとジュドーならアーガマの面々ともっと溶け込めたのかもしれません。
カミーユは性格上他人との関係を上手く築けていなかったのも崩壊の要因だったと思うんですよね。

シンは大人に対する不信はなかったんですが、
逆にこれといった信頼もなかったんですよね。
SEEDシリーズ全般の特徴として子供と大人の関係が希薄というか大人の描写が薄いことが挙げられるんですが、
その割を食ってしまったキャラだったように思います。
2009/11/08 (日) 22:17:31 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
カミーユについて
女だったらツンデレ・クーデレ・ヤンデレを併せ持つ最強キャラな気がしないでもないですが(笑)
と本文中にありましたが、実はそれを実現したのがひぐらしのなく頃にに出てくる竜宮レナや園崎詩音だったりして(笑)
この二人は特徴として
・自分の名前にコンプレックスを持っている
・人並み外れた運動能力を持ってる
・主役級キャラで特に暴力的な一面が描かれることがある
など結構キャラとして似てますし
2014/06/04 (水) 20:29:19 | URL | #-[ 編集 ]
んー、全然知らないんですがひぐらしの作者ってガンダム好きなんですかね?
だとすれば影響を受けている可能性もあるのかなとは思いますが。
2014/06/21 (土) 12:20:27 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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