がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
機動戦士ガンダムUC 7巻
 ジオン残党を利用したユニコーン奪回作戦から、ミネバ救出のためのガルダ追撃戦という流れ。30分アニメにすれば2,3話で終わりそうな話なのですが、これだけで300ページ分の分量というのはやや多すぎる気がします。zsphereさんがよく仰っていたのですが、ちょっと描写過多なんですよね。本来もっとスピード感があっていい緊迫した場面でも、くどくどと心情や周囲の状況の描写をしていたりするのが、マイナスになっている気がします。
 もっとも、話の流れを加速させると凄く読んでいてノッてくる展開になるので、決して福井氏がスピード感のある文章を書けないわけではないんですよね。他の作品を読んだこと無いのでなんとも言えないのですが、正直この作品の描写過多は「ダムA本紙のページ数稼ぎのため」なのではないかとさえ思ってしまったりします。
 それは別にしても、ここでザクIスナイパーを出してくるあたり、やっぱり登場MSには一定の制約があるんでしょうし、なかなか自由には書けていないんだろうな、と思います。

 さて、この巻の中心にいたのは間違いなくオードリー、つまりはミネバ・ザビであると思います。ただ、彼女の描写にはやや疑問を感じることが多かったです。
 まず、マーサと対面したシーン。ここでミネバは、マーサが語る女性論が所詮男性社会の枠の中のものでしかないと一発で看破するのですが、ここで2つの感想を同時に持ちました。1つは「ミネバすげぇ!」という感想。作中で好き放題やっているマーサを一言で黙らせ、完全に返り討ちにして見せたのは凄いなと。もう1つは、「ミネバってそんなに凄い人だっけ?」という感想。これまでのミネバは、状況に振り回されながらも、子供じみた抵抗でどうにか事態を動かそうとしていて、いわば「そこまでバカではないカガリ」のようなキャラとして描かれていたと認識していました。それが、マーサに対しては優れた洞察力を発揮して男性の上に立つ強い女にダメージを与えてみせる。まるで急にカガリがラクスになってしまったような印象を受けました。
 結局、ここでのミネバは作者の代弁者にしかなっていなかったのではないか、という思いを受けました。

 もう一つのシーンが、リディとの絡み。ミネバは、箱の真実を知り完全に連邦体制側にまわったリディに対して強い不信感を抱き、2度差し伸べられた手を拒んでいます。これは、いわゆる「極限状態においても(こそ?)女性は男性を値踏みする」という福井氏なりの男女関係像なんだろうな、と感じました。逆に男性は極限状態になるほど、女性に対してストレートに叫ぶことしかできなくなるように描写されています。バナージ然り、ジンネマン然り。
 そういう男女論自体に対しては、特別否定の念は抱きません。それが全てではないと思いますが、そういう一面もあることは確かだと思うのです。まぁ、どちらかというと、現実の女性はその場でリディを拒むのではなく、ある程度まで身の完全を確保できるまで利用してから捨てる、ということくらいやりかねないと思いますが。
 一番疑問を抱いたのは、こういう男女の描き方が、「男女とは得てしてこういうもの」という一般論から来ているように感じたことなんですね。富野作品なんかも、割と似たような男女が出てくることが多いのですが、それも作中において「そのキャラだからそういう行動を取る」という裏づけがそれなりにできていると思うんです。ユニコーンにはそれがないんですよ。ミネバにしても、あるいはマリーダにしてもリディにしてもバナージにしても、どうもキャラクターとしての息吹というものを感じないんですよね。そこが、この作品に一番欠けているのかなと思います。
 バナージが助けてくれることを前提に虚空に身を投げるあたりも、うーんリリーナならともかくミネバはそういうキャラか?という感想を持ってしまいました。まだムーンクライシスのミネバの方が「らしい」んだよなぁ。

 リディといえば、これまで散々「バナージとのキャラの書き分けが出来ていない」と言ってきたのですが、ここに来て敵味方に分かれたということもあって、少し違いが見えたかなという気がしました。
 個人的には、バナージとリディは「キラとアスラン」なんだなという感想で落ち着きました。これは、以前から言っていたプロットがSEEDと酷似しているというのとはまた別の話で、要はどっちも似たような甘ちゃんだけど多少考え方や性格は違うよね、というレベルの話です。
 ただ、やっぱりキラとアスランほど明確にはキャラ分けされてないですね。リディは箱の真実を知って目的が変わる、というキャラクターなのですが、その箱の真実をまだばらすことができない以上、読者からは「なんだかよくわからないけど変わっちゃったらしい」としか見えないわけで、だとすればもう少し表面上の変化もつけて良かったのかなという気もします。少年漫画なんかだと、わかりやすくするために露骨に変わるんですけどね。漫画ではないですけど「ナデシコ」と「劇場版ナデシコ」のアキトくらい変わっても良かったかなという気はします。

 そしてもう一つ、この巻最大のハイライトというのが、マリーダのエピソードでしょうか。「プルシリーズがガンダムに乗るのは違和感がある」というようなことを言いましたが、それも「ガンダムを倒せと暗示をかけられている自分がガンダムに乗っていることに気づき自己崩壊」というネタをやりたかったからなんですね。そういう伏線かと思うと同時に、「だったらせめてバンシィの顔にバイザーでもつけとけよ…」というツッコミも入れました。少しはアストレアを見習え的な。ちょっと強化した側がお粗末だったかなと。ガンダムであることを隠していたのにそれがバレちゃって知る、とか1クッション入っていればまだよかったのですが。
 また、ユニコーン同士がNT-Dを発動させることでサイコフレームの共振が起こり、アクシズを止めた時と同じ力場が発生するというのもなるほどと思いましたが、その割に特に何も起こりませんでしたね。その後宇宙に上がる時にまさにその力を発動させるわけですが、このあたりも原理が解明されていないのにそのネタをこのタイミングで使う、というのがちょっと引っかかりました。アクシズを止めるあれはクライマックスかつ、アムロとシャアの物語の結末という特別な瞬間だからこそ許される演出であり、まだストーリーも中盤を越えたあたりというところで、極めて個人的な事情で発動してしまうのはなんとなく腑に落ちませんでしたね。
 
 マリーダというキャラクターは、結局のところ性処理の道具として使われた女の象徴、ということなんだなというのが強く分かるエピソードでした。中絶のトラウマさえ強化に使っているというのは、頭では理解できるけどやりすぎではないか?という気がします。そもそも男性に中絶のトラウマを理解することは不可能であると思いますが、だからこそ男性がそれを描くのか?という抵抗感があり、出来れば女性の感想というものも聞いてみたいところです。
 とりあえず、これってプルシリーズじゃなくても全然問題ないキャラですよね。読んでいるうちは、「実はプルが強化されてそのままプルツー的な人格をもったら、というイメージなのか?」とか、「プルツーみたく息絶えて死ぬんじゃね?」とか思ったのですが、どうもそうでもないらしく。いずれにせよバナージやジンネマンに対してどう思ってるかもなかなか見えてこず、やはりキャラとしての息吹を感じられない印象でした。

 ミネバとマリーダというキャラを見た場合、この作品内で足りないのは「孤独感」なのかな、と思います。プルとプルツーというのは、表面的な明るさ、激しさというものの裏に常に底知れない孤独を垣間見せていたキャラクターでしたし、幼くして親を亡くしハマーンと共にアクシズで育ったミネバもまた、ハマーンと同等かそれ以上の孤独を背負っているキャラだと思うのですが、それがなかなか見えてこないんですよね。明るさの中の孤独感ってのはZZの一つのテーマでさえあると思うのですが、ZZという作品を尊重している割にそこが見えてこないのは、少し残念でもあります。
 一方で、アルベルトやアンジェロのような欠落を抱えた男についてはそれなりに理解が出来る側面もあります。アルベルトなんかは、もう少しマリーダに思い入れる過程を描いて欲しかった気もしますけどね。あれだと、単にオタクが2次元のキャラに入れ込んでいるのと同じようにしか見えない…。

 とまぁそんなわけで、総じて「意図は分かるししっかり作りこまれてはいるけど、その方向性自体がちょっと違くないか?」という印象のオンパレードだった回でした。

 設定面では、ガルダ級が6隻になってたところが大きかったのかなと。これはグリプス戦役後に増えたという解釈なんだろうか。
 あと、ドムトローペンとドワッジが同時に運用されてるとデザイン的に凄い違和感がありますね。絵的には、正直どちらかに絞るだけでよかったような気もします。
 ブライト艦長の描き方に関しては総じてあまり違和感を感じませんでした。ただ、彼は周囲の状況が差し迫った中で判断を下すことに優れている人で、策を弄してジオン残党を利用してユニコーンを宇宙に上げる、なんてことを考える人なのかなぁ、という疑問は持ちましたけど。
 それとアムロが中佐に昇格していたのが、Wikipediaでは士官学校を出ていないアムロは死後であっても佐官にはなれないということが書いてあったのであれー?と思いました。この「士官学校を出ていないと佐官になれない」っていう設定はどの程度の公式度なんでしょうね。つーかF90だとアムロ大尉って呼ばれてたしなぁ。
 アムロといえば、サイコフレームの光がどうも人によって違う色になるらしいということから、緑に光るアムロ専用ユニコーンなんてのも捏造できるのかなぁとか思ったりしました。プラモで実現するにはクリアパーツの色を変えるのが難しいですから、塗るしかなさそうですが。
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コメント
コメント
うまく説明できませんが本来、読者に察してもらう所までいちいち説明しちゃっているのかなと思いますね。
作品としては良くても、読んでいて面白くない・・・・・・・という。
これが描写の(ユニコーンよりは)少ない富野作品がユニコーンより面白い(と私は思ってるんですが)という結果につながっているのではないかな、と思います。

>これってプルシリーズじゃなくても全然問題ない

それをいっちゃ、おしまry
個人的にまだこの人に関する伏線が残ってるのかなと疑ってるんですが・・・
なさそうですねorz

福井氏のインタビューで今月号に意外な人物が登場するとのことなのでそのことに期待します。
2009/01/25 (日) 10:52:35 | URL | クレア #I4t1ZHtI[ 編集 ]
私はミネバについては、あまり違和感を覚えなかったクチです(笑)
というのは、Zでミネバがニュータイプ的な描かれ方をしていて、恐らく「理屈」ではなく「感覚」で「本質を見抜く」タイプであると思っているからかもしれません。
ミネバが作者の代弁者であるというのは恐らくそうなんでしょうね。このラプラスの箱事件があってこそ、Vの時代に連邦首都が移動した理由になるのかどうかが見所に成るのかも知れません。

アムロ中佐ですが、士官学校卒業してなくても佐官には昇進できる筈ですし(ただし、特別な専任教育が必要。士官学校を卒業していないならという理由なら少尉にすら昇進できないはずなので♪)、死後の二階級特進には、昇進の壁は基本的に存在しない(佐官が将官に特進することや、少将が大将に特進することはあまりないようですが)かと。
現実世界で「尉官になれない=士官学校を卒業していない」を「佐官」と間違えたんじゃないでしょうか。
ミライさんが准尉に任命されたときに「昇進試験を受けなさい」といわれていましたが、それが所謂「士官学校卒業に同等と認める」手続きであったと考えられると思います♪

>策を弄してジオン残党を利用してユニコーンを宇宙に上げる、なんてことを考える人なのかなぁ、という疑問は持ちました

ここは、ブライトも歳を取って「腹芸ができるようになった」としてもいいところではないでしょうかね(^^)b
ロンドベルの司令として、なかなか周囲から足を引っ張られそうになりながら頑張っているブライトなら、「状況を利用して現状を打破しようとする」ことは多いに考えられますし、バナージとユニコーン、そしてネェル・アーガマに「因縁めいたものを感じている」ような雰囲気もありましたし。

それにしても、やはり、キリスト教的な雰囲気が全面に出過ぎていて、ブッディズムっぽかった富野作品との違いが「個々のキャラクターの立ち位置の違いだけで、キャラクター自体が立っていない」という状況が見えてきましたねぇ。
恐らく福井氏の意図的な部分とそうでない部分が交錯しているとは思いますが、微妙ですね。

説明が多いことについては、氏の傾向でもありますし、宇宙世紀文献史学の私としては大満足なんですがw
アンクシャのRAS型番とか嬉しかったですし(笑)<これでアニメ化してくれれば、完全にRASが公式設定になりますからねぇ★彡

ドムトロとドワッジの取扱については「雑多のごった煮」ということをよりアピールしたかったのではないかと。
部隊毎の統一もなにもあったものではない地球に残された「地上および水陸両用モビルスーツたちの総力を挙げたジオン最後の徒花」という役目を背負わせたかったんだろうなぁと。

それにしてもアジアに目をつけたのがMSVの設定を知っていたとしか思えない氏の筆っぷりでした(笑)

MSVでは終戦時にアジアはまだジオンの勢力圏であった設定になっていた訳でして、これが事実上裏付けられたような気がします(明確にそう記述されている訳じゃないですけれど)
2009/01/25 (日) 15:41:10 | URL | 陰鏡 #nL6A2.tM[ 編集 ]
>クレアさん
あぁ、確かにそういう側面はありますね。
富野作品のような想像の余地はあまりないかもしれません。
最も、これは作者の性格の違いでもあるような気がしますね。
富野監督は、読者にニュータイプ的な洞察力を要求する言い回しを良く使いますから…(笑)

>陰鏡さん
ミネバは、序盤の描き方からはそういう本質を見抜く感覚を持っていることをあまり感じられなかった点が引っかかるんですよね。
物語の都合のいい時だけ有能になっている、というイメージがあって。

ドムトロとドワッジの混成というのはデザイン的な違和感であって、
デザインラインが異なる作品のMSをそのまま出すっていう感覚があんまり好きではないんですよね。
Gジェネとかゲームで散々ごった煮にされてるので今更ではあるんですが、リアルの絵で見ると結構違和感を感じました。

終戦時のジオン勢力圏は、多分意識していたんだと思いますね。
ジオン残党を出すならどの地域が適当か、というのは調べるでしょうし。
2009/01/25 (日) 21:47:18 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>バンシーの顔にバイザー
其処に突っ込むと「そもそも装甲をスライドする意味ってなくね?」ともいえるのでw

ミネバは一応物凄い英才教育を受けてるはずなんで、それが一人になって社会を見ることによってようやく花開いたということなんでしょう。

こんかいトミノと真逆の文章をかく福井氏を採用したのは「UC世界からトミノ色を廃する」という目的もあるんでしょう。
あまり意識し過ぎると展開の自由度がなくなるし、時代の変化にもついていけなくなりますから。
2009/04/04 (土) 23:55:03 | URL | DN #mQop/nM.[ 編集 ]
確かに意味ないですね(笑)
あれなんでNT-Dのときだけガンダムになるようになってるんでしょうね。

ミネバは能力と人格の成長バランスがずれているのかもしれませんね。
本来情緒的成長をすべきところまで英才教育に費やされてしまっていると。

福井氏採用の理由は、たまたまUC世界を描ける力量と知識のある作家が彼だったという理由のだけかなと思います。
文章や雰囲気が富野っぽくなくても全然構わないんですが、
キャラクターの描き方の技術が単純に富野監督に劣っている気がするなということです。主観ですが。
2009/04/05 (日) 21:48:49 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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