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ガンダムネタだけを語るブログです。
Zガンダムの前半シナリオの構造的な欠陥
 小説版を読みながらZガンダムのストーリーを振り返ってみて、1つ気づいたことがあります。それは、序盤の宇宙編と、その後の地上編に、シナリオ上の完全な隔たりがある、ということです。
 単純に言ってしまえば、地上編になってしまうと、カミーユがアーガマから離れ、メインキャラともほとんど関わらなくなってしまう、ということです。このせいで、序盤にカミーユが培った人間関係、特にエマ、レコア、ファといった女性キャラとの関係が一度切れてしまうんですよ。これは、ストーリー全体を振り返ると、ちょっと勿体無かったのではないかと感じました。

 もちろん、その分カミーユにはフォウというキャラクターが絡んできますし、それがストーリー上大きなポイントになってはいるのですが、そのフォウの出番は数話のみであって、地上編全体がフォウ編になってるわけじゃないですよね。
 じゃあ、地上編は何編というのが妥当かといえば、それは「アムロ編」なわけです。だから、小説第2巻もアムロ・レイというタイトルになっているんであって。
 でも、Zガンダムという物語の中において、アムロは決してメインキャラではありませんでした。後半は、キリマンジャロ~ダカールの時にゲスト的に出てくるだけで、あとは全くシナリオに関わってきません。カミーユにとっても、そこまで重要な役回りを演じたキャラではなかったと思います(フォウ関連でも、結局ニュータイプの先輩としての態度はほとんど取っていなかった)。
 つまり、シナリオにおいてさして重要ではないキャラクターのためのエピソードに、全体の4分の1ほどを割いてしまっているのが、Zガンダムという作品なのです。

 なんでこんなことになってしまったのかと言えば、それはもうファンサービスでしかないんでしょう。ファンはよくわからないキレる17歳よりも、あのアムロがどうなったのかの方が気になっていたのかもしれませんし、本当はそうでなかったとしても、プロデューサーとかそういう人たちがそう思っていたのかもしれません。
 エゥーゴがジャブローを攻撃するために地球に降下する、という作戦は、エゥーゴのスポンサー達の強硬な意見によるものだった、という描写があります。これは、物語の中だけではなく、実際の制作背景でもあったように思えます。だとすれば、このやや蛇足であった(あくまでシナリオ全体を俯瞰した場合の話ですよ)地上編は、外圧により作られたエピソードだった、と言えます。

 とはいえ、放映当時の富野監督のコメントによると、どうも当初から明確なプロットがあったわけではなかったために、そういう展開になってしまったというような感じがあります。つまり、準備不足でいっぱいいっぱいになっているうちにグダグダになってしまったという感じでしょうか。ある意味では種デスの制作背景にも似ているんですが、ファーストが明確なプロットが放映前にあったのに対し、そういったものがZガンダムにはなかったのだろう、という推測が出来ます。
 そうであるなら、このシナリオ上の欠陥は外圧が原因であり、悪いのは監督以下のスタッフではなくプロデューサーやスポンサーの人たちだ、とは言い切れず、そもそもZガンダムというアニメの企画自体がしっかりできていなかった、とも言えるのかもしれません。

 個人的に、地上編は好きか嫌いかで言えば好きな方です。アムロ関連のエピソードにしろ、フォウ関連のエピソードにしろ、後半のシナリオに比べればよく出来ていると思います。
 逆に言えば、本来のメインキャラクター、ファ・エマ・レコアの女性キャラや、シャア・シロッコ・ジェリドのような男性キャラが、アムロやフォウというキャラクターに比べて魅力に乏しかったのかな、とも思えます。

 ではどうすればよかったか、となると、2つの選択肢があったと思います。1つは、アムロ関連の話を大幅にカットしてフォウ関連だけで地上編を短くまとめて、その分早くカミーユを宇宙に戻し、本来のアーガマを中心としたシナリオに戻すこと。もう1つは、アムロとフォウという強力なキャラクターを生かすために、アムロを宇宙に上げ、フォウも炎の中に消さずに宇宙に上げて、以後レギュラー化させることです。どちらが魅力的なストーリーになりそうか、というのは人によるかと思いますが、多分後者だろうな(笑)
 たぶんそういうのも含めて、劇場版にするときは、不完全であるZガンダムのシナリオを全く新しい形に再構築してしまうべきだったんだろうな、と思います。それをあくまでTV版の総集編という形にしか出来なかったのが、新訳がうまくいかなかった理由なのかなとも思います。ただ、新訳は予算的な問題もあって全部新作画に出来なかったという事情があったからだとしても、富野監督は、多分Zガンダムという作品に対してそこまで思い入れが持てなかったんだろうなと思います。いくら監督にとってトラウマだった作品に向き合うことができるようになったとしても、それで作品が好きになるわけではないですからね。第3部のあの投げやり具合を見ると、本当に仕事だからやっただけです、という印象を受けてしまいましたし、それはそういうことなんだろうな、と今は思っています。

 Zガンダムのメインキャラクターは、どうもファーストに比べると小粒な印象を受けます。ファーストが「ホワイトベースのクルー」と「迫り来る強敵」というスタイルになっていて、結束していく味方と、強烈な個性を持った敵という描かれ方だったのに対し、ゼータは敵も味方も一定のレギュラーキャラがいたものの、どちらも大した結束もなければ、ファーストにおけるシャアやランバ・ラルのような存在感のある敵キャラがいなかった(カミーユやシャアを実力で上回る敵が、結局ヤザンとシロッコ、ハマーンくらいしか現れなかった)。そういう中で、前作主人公であるアムロと、悲劇のヒロイン役であるフォウという、作中において傑出した存在感のあるキャラクターが、ゲスト扱いだったという点が、Zガンダムの構造上の欠点だったのかな、と思います。フォウ編なんて遠藤氏のサイドストーリーみたいなものだもんなぁ…。
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コメント
もし仮にエマが地球に降下したらお話としては、本当に新約Zと言えるくらい劇的な違いがあると思います。
まずアムロとの絡みは確実にあると思います。
「やっぱりあなたはアムロさんだったのね」
とか。
カミーユとフォウももう少し別のオチがあった気もします。
そもそも惹かれあわない、とかですね。
カミーユはエマに夢中ですから。
エマ自身もアーガマ内と違ってカミーユに構うだけの精神的なゆとりが出てくると思うんですよね。
2008/08/13 (水) 16:10:57 | URL | R.M #-[ 編集 ]
そうですね、わざわざエマにアムロのことを語らせたのは伏線にも見えますし、
カミーユにとってエマもレコアも母性の代替としての側面を持っていて、
それこそ新訳で変化するひとつのターニングポイントにもなり得たんですけどね。
エマが、元ティターンズという側面を見せて戦う機会がほとんどなかったのも、物語的にはもったいないですし。

エマが地球に降下しなかったのも、救出されたレコアがすぐに離脱したのも、
意図的だったんじゃないかな、という気がしますね。
エマが地球に下りてても、アポリーたちと一緒に離脱してそうです。
2008/08/13 (水) 22:32:27 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
>エマが地球に降下しなかったのも、救出されたレコアがすぐに離脱したのも、
>意図的だったんじゃないかな

それというのも、やはりエマやレコアが居るとフォウはいよいよもってキャラが立たないからじゃないかと思います。
とは言え、(エマは降下しないとして)フォウにもっと話数を割けれるかというと、私としてはそれも微妙な気がします。
実際に二人で過ごしたまともな時間は1日デートした時くらいなものなのに、精神崩壊を誘発するくらいの強烈なインパクトのある出会いっていうのがフォウというキャラのそもそもの立ち位置だと思うので。
そうじゃないとすると、
「私はムラサメ博士の人形じゃない!」
とか言ってるフォウと
「好きだぁー!!フォウ!!!」
とか言ってるカミーユっていう展開になりそうで怖いです・・・(笑

カミーユ
「命令だ。絶対に死ぬな!」
2008/08/15 (金) 02:37:44 | URL | R.M #-[ 編集 ]
フォウは元々「ひと夏の恋」的なキャラクターでしたしね~。
「永遠のフォウ」までいったからララァ的存在になったんであって、
この時点ではララァよりもむしろミハルに近い立ち位置だったんですよね。
フォウをレギュラー化させると、ファのキャラは完全に死んじゃいそうですね(笑)
2008/08/15 (金) 23:11:17 | URL | ルロイ #-[ 編集 ]
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