がんだまぁBlog
ガンダムネタだけを語るブログです。
劇場版ファーストを1作ごとに話が完結するよう整理する
 劇場版ファーストガンダムが名作なのはガノタ的に疑いのない事実ですが、シナリオ的な意味で見ると、所詮TV版のダイジェストに過ぎず、劇場作品単体としてみた場合しっかり話としてまとまっているかというと、微妙なところです。
 しかし、ちょっと再構築すればそこそこに3部作っぽいエピソードにできるのではないかと思い、考えてみました。

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ガンダムコミックを語る13「バトルフィールドオブパシフィスト」
 とうとうガンダムWまでやってきました。先日突然ガンダムWのコラムを追加したのはこれの伏線です。ガンダムファイト7thが入ったんで大幅に遅れてしまいましたが…。

 さて、この話はTV版とエンドレスワルツの間の話です。この他にもいくつか同時期の話はあるんですが、それはまた今度の機会に。ただその中でも最も公式度が高いのがこの作品だと思います。G-UNIT同様ときた洸一作品であり、機体とパイロットがGジェネFにも登場しているからです。そして、サンライズの監修を経てTV版の脚本家が原作だというのだから、ガンダムファイト7thとかジャミルの若い頃の話とは全然違うのです。

 原作の脚本家が関わってるだけあって、話の内容は実にウイングのノリを引き継いでいます。主役5人が敵味方に分かれたり、敵の理論がぶっ飛んでたりするところが、ですかね(笑)
 話の主軸は、武器を放棄した世界で封印された資源衛星ウルカヌスの戦力をめぐって争うということなわけですが、実際のテーマは「本当に武器は捨てるべきなのか?」という点になります。その問いをヒイロ達は突きつけられて、「じゃあ捨ててやるよ」ということでエンドレスワルツのガンダム太陽投下に続くわけですね。話としては良くまとまっています。良くも悪くもときた氏なので非常に薄っぺらく見えてしまいますが。

 宇宙世紀ガンダムというかファーストが第二次世界大戦をモチーフにしていたのに対し、ガンダムWシリーズは戦後の世界をモチーフにしている点が特徴として挙げられます。だからテロリスト対世界国家という図式になり、政権交代はクーデターで行われるわけです。そして、完全平和主義という左よりの思想が主張されるのも、戦後ゆえの話になります。この作品に登場するパーフェクト・ピース・ピープルという団体は、今で言ういわゆる平和団体というかNGOにあたるものです。そういう要素を持ち込んだことが、ガンダムWの特徴であり、批判される点でもあります(ガンダム的なものを好む人ほど、この手の平和的思想を嫌いますから)。ちょっと見せ方が極端すぎたのは分かりやすさ(ターゲットが女性ということもあるんでしょう)を狙ってのことなんでしょうが、そういう意味では、本当に最後まで理想論を貫いたリリーナと違って、胡散臭さを見せたP3の方がリアリティがあって良いと思うんです。とはいえ私が世界の監視者になる!というのがラスボスの理想だったわけですから、まぁアフターコロニーにはまともな考えを持つ奴はいないということになるんですが(笑)、その極端さがガンダムWの魅力であり、それを受け入れない人はほかの作品をどうぞということになるんだと思います。
 何が言いたいかといえば、ガンダムWって極端な話なんだよねということなんですよ。ある程度のリアリティを確保しつつ、キャラクターをかなりデフォルメしているという。そういう意味では、ファーストも似たようなものだったと思うので、やっぱりウイングはファーストに近いよねという結論になります。

 そういうことを踏まえておくと、なかなかガンダムコミックの中では得意な価値のある作品ということに成ります。でも…作品単体としては微妙です。ロボットアクションとしては内容が薄いですし(ウイングゼロは最後の最後しか出てこないし)、じゃあキャラクターで楽しめるかといえば、そっちを直球で狙った作品に比べて特にファンが喜ぶ内容でもなく。非常に中途半端な作品です。スコーピオも何が凄いのか良くわからなかったし。シナリオの奥に秘められた意味を考えないと、ちょっと評価できる作品ではないですね。途中で連載雑誌が廃刊になったりしてスケジュールがきつかった部分もあるようなので、仕方のないことではあるんですが。そういう意味じゃ、やっぱりコミック冬の時代の作品だったともいえます。

 とりあえず、ビルゴIIIは「ビルゴキューブ」って読むんですよということだけ、付け加えておしまいということで(爆)

「新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST」
原作:千葉克彦
作画:ときた洸一
連載:覇王マガジン97年4~5月号、コミックボンボン97年夏休み増刊号
ボンボンKC版:1997年10月6日初版(絶版?)
廉価版:2003年4月初版(絶版)
ボンボンKCDX版:2005年12月22日発売
ガンダムコミックを語る12「ガンダムファイト7th」
 最近やってなかったのはこれをヤフオクで落として届くのを待ってたからです(爆)非宇宙世紀ガンダムに突入する際にはこれは外せないと思うのです。
 で、これが何かというとマスターアジアの若い頃の話です。シュウジ・クロスという本名で、旧シャッフル同盟と出会う話という感じですかね。

 まぁ、あれですよ。Gガンなんで細かいところには突っ込めません。デビルガンダムとは全然関係ないMSが何故かデスアーミーそっくりだったり、ネオロシアの悪い人たちの顔が何故かウルベやカッシュ博士らにそっくりだったり、ラスボスはガンダムじゃないのにガンダムファイトレディーゴーって言っちゃったり、そういうところに突っ込むのは野暮というものです。

 ただそれはそれとして、旧シャッフル同盟も日米中仏露だったっていうのはいかがなものかと(クイーン・ザ・スペードなんてアメリカ人に見えないよ…)、それにネオドイツの人も立ち位置がシュバルツと同じだったりと、ツッコミどころという意味じゃなくあまりにも捻りがなさすぎというか、あえて昔の話をやってるように思えないところが苦しいところです。結局アニメを焼きなおしたような話が延々と続くだけなので、面白みには欠けます。石破天驚拳があるんだからサンシャインフィンガーはもう少し早めに使って欲しかったとかね。あとせっかくの熱血漫画なんだから「大ピンチ→火事場のクソ力で大逆転」みたいなのはやらないと。普通に「俺は強いから勝つのだ」で終わってしまうのはなんとも…。絶対無敵キラ・ヤマトと同レベルじゃないですか。いや師匠だからそれでいいのか…。

 しかし主役機ヤマトガンダムはさすが大河原デザインだけあってなかなかカッコいいです。他のガンダムは敵機も含めて13回大会の機体とほとんど仕様が同じというのが納得いきませんが。まぁいまや黒歴史となりつつあるガンダムフリーダムが登場するのでそういう意味じゃ貴重かな。ハイマットなフリーダムと比較すると泣けてきます。
 それと各キャラの必殺技のセンスはなかなかいいですね。カイザーガンダムの圧倒的な強さの演出も好きでした。そりゃ決勝大会で全機を同時に敵に回しても勝つわな。それだけにシナリオがちゃんと練られていなかったことは残念です。というかアニメのGガンダムってかなりちゃんとシナリオできてたよなぁと今さらながら思うのでした。

 Gガンダムの外伝コミックはこの他にサイ・サイシーが主役の「翔龍伝説」があるんですが、こちらも似たような内容っぽいので割愛します(筆者未見)。真・流星胡蝶剣があるなら真じゃないやつもあるのか?というネタから出発したっぽい話です。
 この頃のガンダムコミックはボンボンだけだったので、どうしても内容には期待できないものばかりなんですが、その分公式度が高い作品が多く出揃っているのが特徴です。ガンダムエース創刊までは、ガンダムコミックは冬の時代だったと言えるでしょう。コミックジャパンが滑ったから…(苦笑)

 つーか来年はガンダムファイト16回の年ですよ。最近はネオオーブ代表とネオプラント代表が競合国の仲間入りを果たしているようで…。

「機動武闘外伝 ガンダムファイト7th」
作者:おとといきたろう
連載:コミックボンボン増刊号(1996年春、夏、冬)
ボンボンKC版:1997年1月8日初版(絶版)
ガンダムコミックを語る11「ガンダムReon」
 アウターガンダムシリーズ第3弾は、割と知られてないマイナーな作品です。どうしてかというと掲載誌がマイナーだったこと、その掲載誌が廃刊になって事実上打ち切りになってしまったこと、前2作に比べオリジナル要素が多いことなどが挙げられると思います。

 内容としては、アウターガンダム同様無人機が主役ですが今回はパイロット(火器管制要員)を必要とすること、そしてそのパイロットが女性であることが大きな違いです。というか、ガンダムの中では極めて珍しい、女の子が主人公の作品だったりします。それ故なのか、それまでの松浦作品とはうってかわってコメディ的な描写が多いという特徴も持っています。じゃあ方向性としてはZZ的なのかというとそうではなくて、ウィルスをめぐる人間たちの駆け引きを背景に進行するシナリオはやはりシリアスです。ただ、それを「ばっかじゃないの?」というノリでぶっ壊すという意味では、Gガンダムの影響でも受けているのかもしれません。
 この作品の特徴は、原作に通じる要素が少ないということです。アウターガンダムは1年戦争でしたし、ムーンクライシスはZ、ZZの設定をふんだんに利用していました。しかし今作はアウターガンダムシリーズのキャラが出てくるだけで、既存の設定はほとんど出てきません(νガンダムくらいかな)。つまり、いわゆる松浦氏の個性に依存している側面が強い内容であると言えるのです。それは、富野作品がそうであるように、やはり作者の価値観を理解できる人間でなければ好まない作品になっているということです。それが、ガンダムReonです。

 もう一つ特徴を挙げるならば、明確に逆シャアのオマージュが取り入れられていることです。シャア・クェス・ギュネイの関係を明確にトレースしたキャラが登場しますし、それに対するアムロ的なキャラもいます。その4人の関係を浮き彫りにする前に話が終わってしまったので消化不良ではあるのですが、松浦氏はこの作品を通して逆シャアに対する何らかのカウンターをもってきたいと考えていたと思われます。そこを意識して読み取るのも面白いかもしれません。

 この作品は半端のまま終わってはいますが、「ウィルスで人間がおかしくなる中、正常に動ける機械が頼り」という、普通の人工知能ものとは逆のテーマを提示しているという意味では評価できる作品です。裏を返せばそれ以外での評価はし辛いないようであり、正直なところ、アウターやムンクラを「松浦作品だから好き」と言える人にしかオススメできない内容です。
 νガンダム(レプリカ)の登場シーンとかクィン・マンサ登場シーンとかは流石なんですけどね~。最後ハイメガキャノンはないだろ~とか思ったりもするのですよ。うん。

「機動戦士ガンダムReon」
作画:松浦まさふみ
連載:MS SAGA Vol.7~10
メディアコミックス版:1996年2月25日初版(絶版)
電撃コミックス版:2003年10月初版(発売中)
ガンダムコミックを語る10「クロスボーンガンダム」後編
 クロスボーンガンダムの存在を初めて知ったのは中学生のときだったと思います。本屋で見かけたんですが、買う気は起こりませんでした。「クロスボーンガンダムって敵がガンダム作るのかよ、しかも絵ダサッ!」というのが初印象(笑)中身も見ずに、こんなのがF91の続編なんて認めねーとか思ってました。そのファーストインプレッションがあるから、今でもクロボンにどこか引っかかるところがあるのかもしれません。内容がいいのは分かる、分かるんだがしかし!みたいなね。
 まぁそんな前置きはここまでにして、この作品の特徴が「ダブルヒーロー」なところだと言うところから始めましょうか。

 よく少年漫画(主にジャンプ)には二つの主人公のパターンがあって、それが「どんなときも絶対負けない無敵型」と「最初は弱いけど不屈の闘志でどんどん強くなる成長型」なんですが、その両方をやっちゃってるのがこのクロスボーンガンダムなんですよね。これも、富野・長谷川というダブルヒーロー(?)だったから成せたことなんでしょう。そういう意味じゃ、富野監督が一人でやろうとして失敗したクワトロ・カミーユのダブル主人公をここで完成させたとも言えます。しかも上手いことに、ちょうど半分でキンケドゥメインからトビアメインにストーリーが切り替わる。このプロットの完璧さが、この作品の第二の特徴であります。それは原作が富野監督だからというのもあるでしょうが、おそらく打ち切りも引き伸ばしも予定されていなかったからなんじゃないでしょうか。漫画と言うのは基本的には、終わることを前提には作られないので、どうしても行き当たりばったりなストーリーになりがちです(この辺はTVアニメも似たようなものですが)。そのためプロットはどんな名作でも多少崩れてくるんですが、それがほとんど無いのがこの漫画なんです。話がちゃんと積み重ねられてるんですよね。最後はちょっと勢い任せだった気もしますけど。

<クロスボーン・ガンダムX3>
 このX3は極めてSEED的な機体です。ムラマサブラスターはシュベルトゲベールの原型のようなものですし、Iフィールドでビームを曲げるという演出はフォビドゥン、掌から出すというのはデスティニーですからね。そういう意味で、長谷川氏の「活劇」と福田監督の「殺陣」っていうのはかなり同一に近いのかなぁとか思ったりします。まぁ「わかっててやってる」のと「わかったふりしてるだけ」という大いなる違いが両者にはありますが…。

<シェリンドン・ロナ>
 この作品は当初は単にクロスボーンバンガードが少数戦力で木星軍を攻撃するだけの話なんですが、そこから大きく変化するきっかけを作るのがこのシェリンドンです。彼女の思想は多少宗教じみてはいますが、シャア・アズナブルの考えをほぼそのまま継承しています(後のメタトロンの関係者だったりして)。そしてベラもトビアもそれを否定するという流れは、すなわち初期ガンダム・サーガの否定でもあるわけです。逆シャア以後、F91にしろVにしろ、旧ガンダムの要素はできるだけ避け続けてきた富野監督ですが、ここに来て明確にアンチテーゼをぶつけてきたと言えます。

<森に想う>
 さらにトビアが地球に降りてきたことによって、旧ガンダムからの転換は加速します。それまで魂を引く重力の井戸という描かれ方だった地球が、偉大なる存在として変わるのです(兆候はガイア・ギアやVガンダム最終回にありましたけどね)。ただそれも、人類のフィールドが木星にまで広がった結果、地球の大きさに気づくという流れだったわけですから、クロスボーンでなければこの変化には辿り着けなかったと言えます。

<敵意という名の隣人>
 クラックス・ドゥガチという存在も、今まで通りの富野ラスボスとは一風変わった存在です。娘に対する感情や地球を焼くことをためらわない部分は、おそらく鉄仮面でやりきれなかったことの清算の意味もあるんでしょうが、それまでの富野ラスボスがどこか理屈・イデオロギーで世界を破滅に導こうとしていたのに対し、極めて個人的な感情に根ざしていたというところが富野作品としては革新的だったのではないでしょうか。シャアも似たような存在ですが、彼はギリギリまでその感情を隠し続けていましたから、ドゥガチはそこから一歩進んだ悪役だったと言えると思います。そしてその先に感情の塊みたいなギンガナムが生まれると(笑)

<人と継ぐ者の間に在る者・トビア=アロナクス>
 ニュータイプ能力を持ちながらニュータイプであることを捨てた者、それがトビアです。長谷川氏の感情をそのまま体現しているキャラですが、彼の「決着は人間の手でつけます」という言葉は、長谷川・富野両氏の共通の結論だったんじゃないかなと思います。ニュータイプになんてならなくてもいい、人も捨てたもんじゃないというブレンから∀に向かっていく過程の出発点が、まさにこのトビアというキャラクターだったのでしょう。つまり、彼こそが「人と継ぐ者の間」だったというわけです。

「きっとそれは"新しい時代"を迎える前に"人"が"人間"のまままだできることが、やらなきゃいけないことが残されているっていう意味だと思うから。たとえ…それがあと何千年…何万年かかろうと…きっと」
 そして…風が、吹いた。

 クロスボーン・ガンダムは、壮大なるターンAの序章だったのだ!とまとめて今回はお開きで~す。

「機動戦士クロスボーンガンダム」
原作:富野由悠季 漫画:長谷川裕一
連載:月刊少年エース'94年12月号~'97年3月号
コミックス:全6巻(1995年3月10日~1997年6月5日)
普及版:上巻・下巻(2003年9月1日初版)
外伝「スカルハート」:2005年1月22日初版
(連載:ガンダムエースNo.7、13~15、26、少年エース’03年10月号)
ガンダムコミックを語る10「クロスボーンガンダム」前編
 とうとうやってきましたガンダムコミックの最高峰。この作品は今まで松浦作品や他の長谷川作品と比較してきましたが、本当はそのような比較さえ許されない作品です。何故か?素晴らしすぎるからと言う意味ではなく、他のガンダムコミックとは明らかに別種の作品だからです。

 この作品には必ず「F91の続編」「富野原作」(次点として「カトキハジメデザイン」)という枕詞が付きます。すなわち長谷川氏個人だけのものではないということです。公式の映像作品の世界観を継承した上で、しかもガンダムの生みの親が原作。他にこのような背景のコミックは現時点では存在しません。故に、この作品は他のコミックとは比較できないのです。コミックとアニメのちょうど中間点にある作品と言っていいでしょう。それがクロスボーン・ガンダムです。

 しかし、だからといって長谷川氏でなくてもこの内容になったかといえば、それも絶対にないと言いきることができます。確かに長谷川氏でなければ、もっと綺麗な絵で、もっとリアルなメカが登場していたかもしれません。しかし、長谷川氏ほどガンダムの「殺陣」をちゃんと描ける人はいません。そして長谷川氏ほど「ガンダムの本質を理解した上でリアルに傾倒せず漫画を描ける」人もいないでしょう。それは松浦氏でも出来ないと思います(松浦氏は正直殺陣のような連続した動きのシーンはあまり上手くない)。クロスボーンガンダムの魅力はメカでもキャラでもストーリーでもなく、アクションです。そしてそれは富野監督の求めているものでもあります。劇場版Zの戦闘シーンの躍動感はそれを如実に示しています。だから、クロスボーンガンダムは長谷川氏でなければならなかったのです。

 さて、そうだとしてこの作品のどこまでが富野監督の仕事で、どこまでが長谷川氏の仕事だったかは明らかにしておきたいところです。この作品は二人のコラボレーションであり、双方の魅力があって初めて一つであると言えるからです。
 まず、シナリオのおおまかなラインは富野監督だとみて間違いないでしょう。漫画にしてはあまりにもプロットがしっかりしすぎていますからね。また、長谷川氏の言葉からF91のキャラは基本的に富野監督が動かしていたとも思えます。キンケドゥがカッコよすぎるのと寝返ったザビーネの別人ぶりは長谷川氏の演出でしょうけど。逆にトビアとかウモンとかは長谷川氏のキャラって感じがします。難しいのはベルナデット。造形は長谷川キャラ寄りですが、敵軍の姫というパターンは富野作品の王道でもあり、双方の意向が平等に反映されているのかなと思います。ドゥガチは思いっきり富野ラスボスですね。それに対するトビアの言葉に富野監督の意志がどれほど反映されているかは、判断の難しいところです。思うに、富野監督と長谷川氏の関係はドゥガチとトビアの関係に近かったんじゃないかなと思います。そんな感じで問答していたんじゃないかなと…。当時の富野監督は鬱状態の頃だと思いますしねぇ。
 メカに関してはほとんど長谷川氏の独壇場だったんじゃないかなぁと思います。死の旋風隊とかクロスボーンvsF91なんかは明らかに長谷川的ですし、富野監督の指示は「ここででっかいMAが出てくる」とかその程度のものだったんじゃないかと。ただ仲間が死ぬ演出とかは富野監督の意向っぽいですよね。長谷川氏はあんまり安易に人を殺さないんで(笑)

 まぁそんな感じで、作中の陰の側面は富野監督、陽の部分は長谷川氏だったと考えて問題ないんじゃないかな~と思います。
 それでは次回は作者がどうとか考えずに、シナリオを追っていこうかなと思います。
ガンダムコミックを語る9「ムーンクライシス」その2
 いつものガンダムの歴史を踏まえた上での俯瞰視点の話を忘れていました。このムンクラにしろクロボンにしろ、特徴的なのは「サイドストーリーではない」ということです。それには当時はVガンダムが終わり、非宇宙世紀の時代に突入していた時期だったからという背景があります。つまり、純粋な宇宙世紀の作品がなくなってしまい、コミックがそれを受け継いだということです。だから、既存の作品の外伝ものではなく、完全新作ストーリーの作品が作られたんですね。そして、それは成功だったと言えるでしょう。ただそれをやってのけたのは結局長谷川・松浦両氏だけで、結局完全新作はコミックといえどもかなり能力と労力を要するのだと言うことができます。ガンダムエース連載作品の中でも完全新作ってないですよね。エコールがぎりぎりそんな感じでしたが、グリプス戦役入っちゃいましたからねぇ。

 特に、クロボンが富野原作であったのに対しムンクラはほぼ独力で完成させたといってもいいわけで、松浦氏の力量恐るべし、と思ったりもするんです。もちろん長谷川氏に独力で完全新作を作る力量がないとは思いませんが、松浦氏が現状で唯一、「外伝ではない」コミックを自力で描いた作家であることは確かなんです(ダブルフェイクとか強化人間物語はある意味完全新作なんですが、ぶっちゃけ作品を完成させたとは言い難い)。その割にあんまり認められてないのはやっぱり絵柄のせいなんですかねぇ…。ガンダムエースに一度くらい呼ばれてもいい気がするんですが。

 ムンクラの作品自体を一言で語るならば、「ガンダムらしさのオンパレード」とでも言いますか、燃えるジオニズムも、主人公の天才ぶりも、ヒロインの高潔さも、三つ巴の争いも、主役機交代のさりげなさも、ラスボスとの熱い戦いも、量産機同士の地味な戦いも、ひたすら盛り込まれている。足りないのは禅問答くらいですかねぇ。
 しかしそれだけで終わらないのがムンクラ。そこから更に、ボーイミーツガールという王道路線とタウ・リンという強烈にブラックなキャラを持ってきて普通のガンダムとは一味違う味も出しているのが、この作品を傑作たらしめているといえます。大統領が無能じゃないところもガンダムらしくないですよね(敵味方に関わらず、富野ガンダムにとって政治家=忌むべき存在であった)。
 タウ・リンについてもう少し深く語ると、実は結構「当初のシャア」に近い役回りなんですよね。組織にいながらトップを謀殺しようとするあたりもそうだし、不幸な生まれであるというのもそうです。最後の機体がジオングなのも同じ。違いは、身分くらいなものです(性格が一番違うけど)。クルーゼもこれくらい描かれてればただの変態仮面じゃなかったんだけどなぁ。逆に主人公のタクナは、アムロやカミーユのように悩まない、ひたすら前に突き進むタイプで珍しいです。ガキ大将タイプのジュドーともまた違いますね。一番近いのはウッソでしょうか。モチーフに関してはあとがきで語られてますが、「既存の型を破る主人公」はガンダムの名物でもあるんで、そういう意味ではガンダムらしいと言えます。

 …まぁ語るとキリが無い部分もあるんで、この辺にしておきましょう。本気でリメイクしたら絶対面白いんだけどなぁ。Z祭りの最終章としてどうですかねぇ、角川書店様(爆)
ガンダムコミックを語る9「ムーンクライシス」
 ついにここまできましたよ。アウターガンダム第二弾にして松浦コミック最高傑作です。この作品の優れているところは以下4点。

1.U.C.0099年というミッシングリンクもの
2.一話完結ではなく連続ドラマでしっかりまとまっている
3.燃える渋い見せ場が多い
4.ZやZZのキャラ・MSがサービス的に登場しまくる
5.主役機がゼータ系(既存のMSの延長線上)

 こんな感じですかねぇ。クロスボーンガンダムはどちらかというとTVアニメ的ですが、こっちは劇場アニメっぽいと言うとわかりやすいかもしれないですね。シナリオ量とか演出手法を含めて。個人的にクロボンより好きなのは、シナリオや設定・演出のハードさもそうですが既存の作品の要素がふんだんに散りばめられている点が大きいです。クロボンもF91のキャラを引っ張っていますが、基本的には全く違う敵との全く違う話だし、主役機もF97のナンバーを持っているとはいえF91の面影はほとんど無いですからね。
 実際のところシナリオ・メカアクション・ファンサービスを兼ね備えている上に作品としてまとまっているというのは長谷川作品を抜くと皆無と言ってもいいはず。初めて本屋で見たときは「絵がしょぼっ…0099年でミネバが出る?どうせ同人レベルのしょーもないストーリーなんだろ」と思ってしまったんですが、買って読んでみたら面白すぎて目から鱗って感じでした。

 ただやっぱり松浦コミックの真髄は「台詞+絵+シチュエーション」の1カットで魅せることですよね。「俺が…生まれた街だ」「今日この日に…英霊達の祝福あれ」「ガンダムか…なんと因果な…」「死は誰にでも平等だぜ」「ならば、地球連邦が崩壊した後は、誰がこの世界を統治するというのだ」「血塗られた道だ!免罪など乞わん!」「おやじ…おふくろよ…俺は最期まであんた達を 許さなかったぞ」とね。
 思えば悪役が悪役らしいのもこの作品の特徴の一つですかね(クルーゼに近い部分がありますが、バックグラウンドの深さが違いすぎる)。深く突っ込むともう少し掘り下げられるんじゃないのとか、設定的におかしいところあるじゃないのとかあるんですが、本当はちゃんと理屈も考証しているしそれよりもノリと勢いを優先したのがまた、ガンダムらしいかなと。グランジオングかっこいいしなぁ。
 逆ギガが長谷川氏のガンダムへの回答であったなら、この作品が松浦氏の回答だったんじゃないかと思う部分は多いですね。従来のガンダムの要素を全て内包している側面がありますから。ただそれを既存のキャラを使ったか新しいキャラを使ったかの違いかと。ちなみに主人公はタクナ・新堂・アンダースンという名前ですが、戦記のノエルと血がつながってるんじゃないかと勝手に思ったりもしてます(爆)

※追記:アンダースンの名は養父母の名前でした。むしろ養母がノエルってことでオッケー(爆死)

 ちなみに同時収録の短編コミックもなかなか面白いので一見の価値ありです。キャラ絵に我慢できるなら、まず読んでおくべき作品かなと思います。クロボンより短いですしね。
 では次回はいよいよおまちかねのクロスボーン・ガンダムでいきましょう。

「機動戦士ガンダム ムーンクライシス」
作画:松浦まさふみ
連載:MS SAGA Vol.1~6
メディアコミックス版:1995年1月30日初版(絶版)
電撃コミックス版・上巻:1997年11月15日初版(発売中)
電撃コミックス版・下巻:1998年1月15日初版(発売中)
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